第73話 俺の知らないところでイヴァルがこじらせている件について
その報がもたらされたのは、ラルフグレイン伯爵が日中の煩雑な仕事をこなし、ようやく帰路に着こうかとしている時だった。
「なに? それは本当か!」
「本当です! 連邦の軍勢がこちらに向かってきています」
連邦――銀河帝国と宇宙を二分する勢力が、またも帝国領を侵しているという。当然、ラルフグレインが看過できる話ではない。
幼き頃より、貴族の貴族たる誇りを教え込まれたラルフグレインだ。幾多の敵に怯えるはずもない。
しかし、今、ラルフグレイン領にはイヴァル皇子殿下が逗留している。もし、彼に万一があったとすれば……ラルフグレインの首は容易く宙を舞うだろう。
「最悪のタイミングだ……」
かすれた喉から絞り出された声は、彼の絶望感を如実に現していた。
帝国の吸血鬼まで呼ばれるイヴァルは、キャバリー戦において並ぶ者が見当たらぬほどの実力と、それに見合った矜持と好戦的な正確を持っている。戦いを好む彼のこと、この事態が耳に入れば喜び勇んで前線へと赴くであろうと容易に想像できた。
イヴァルは確かに強者である。銀河帝国において最も高貴な血をもって生まれた皇族であり、戦場においては立ちふさがる敵の血を啜る吸血鬼である。
だからこそ、慢心しないとは限らない。慢心せずとも、圧倒的な数の暴力という濁流に押し流される可能性も考えられる。
「絶対にイヴァル殿下の耳に入れるな!」
「い、いえ……それが……」
ラルフグレインは即座に厳命を下したが、血を求める皇族は既に――
「ラルフグレイン卿。連邦の魑魅魍魎が近づいているようだな!」
彼の後ろにいた。
銀髪も輝かしい美貌。だが、相貌に映しているのは暴力的な笑み。
イヴァル・アルフォンヌ・ピースメーカー。帝国でも生え抜きのキャバリーライダーにて、皇位継承権を持つ銀河帝国最高峰の権力を持つ者の一人。
「な、ぜ……?」
「寂しいことを言うなよ、ラルフグレイン」
馴れ馴れしく、ラルフグレインの肩に寄りかかる銀髪の皇族。何処か、獣が獲物を捉えた生暖かい吐息を感じたのは錯覚だろうか。
「戦況の変化があれば、余に逐一知らせるように命じていただけだ。連邦の蝿どもは、このイヴァル・アルフォンヌ・ピースメーカーが仕留める!」
戦いの臭いに機敏な吸血鬼は、ラルフグレインが認識するよりも先に連邦の侵攻を読んでいたのか。それとも、単に滞在中の戦闘に乱入しようとしていた心づもりだったのか。ラルフグレインには判断がつかない。しかし、彼の命運を握っている皇族が、これから始まる戦闘に自ら嬉々として参じようとしていることだけは確実だった。
「おやめください、イヴァル殿下! もし、あなたに万一のことがありましたら――」
「万一に……何があるというのだ?」
諫言は、鋭い眼光に射落とされた。
「仮に、何かがあったとしても、貴公に類が及ばぬよう遺言でも書いておくか?」
皇族の遺言は勅命に匹敵する。彼が遺言を残したならば、イヴァルが戦死したとしてもラルフグレイン家は安泰だろう。
だが、ラルフグレイン伯爵は正しく貴族であった。
「そうであったとしても、イヴァル殿下を失うわけにはまいりません! どうしても行くというのなら、私を殺してからにしていただきます!」
皇族を失うことは銀河帝国の大いなる損失。民草がいなければ国は成り立たず、そして皇族がいなければ帝国は成り立たぬ。
「ほう……。面白い趣向だな。そう言われて、余が退くと思っているのか?」
吸血鬼と称される皇族の双眸に、凶暴な色が混じる。戦場で幾多の生命を奪ってきた皇族の重圧は、決して伊達ではない。野卑な暴力と高潔な血脈を併せ持った者が放つ気配は、あのヴァルドルフとは違う形で怖ろしい。
しかし、それでもラルフグレインは一歩も退かなかった。否、退けなかった。
「…………」
「…………」
痛いほどの沈黙がしばし空間を横切り、そして――
「フン、いいだろう。諫言を聞くも皇族の器量。貴公が、貴族に相応しい気骨の者であるということは理解した」
満足げな皇族は、もしかすると伯爵を試していたのかもしれない。彼があっさりと退く器か、それとも生命を賭してでも諌める忠臣か。
そして、ラルフグレインは彼の眼鏡にかなったらしい。
「忠心、見事である。これからも、励めよ」
「……は」
どうやら、戦場へ赴くという暴挙は考え直されたようだ――と。ラルフグレインが我知らず胸を撫で下ろしていたところだった。
「だが、諫言を聞き入れるも聞き入れぬも、皇子の器量。ラルフグレインよ、貴公の忠節心には心打たれるものはあったが、やはり余は戦場へと馳せる。戦って、更に強くなる」
「なんですと!」
踵を返すイヴァル。既に彼の心は戦場にあるのだろう。一歩一歩、欲する戦いの場へと歩を進める。
「何故なのです? 何故そこまでして!」
追いかけるラルフグレインには理解できない。帝国で皇帝の次の権力を有しながら、何故それほどまでに戦いを――いや、強さを求めるのか。
「余は強くならねばならん。強くあらねばならん。今までよりもっと。これからもずっと」
立ち止まったイヴァルの吐露は、伯爵の疑問への回答ではなかったのかもしれない。
それは呪いの言葉のように、ラルフグレインには感じられた。まるで、自縄自縛の呪い。
この若き皇子が強さを求め欲する源泉は何処にあるのだろうか。
振り返ったイヴァルの瞳には、燃ゆる強い意思が宿っていた。
「余は、イヴァル・アルフォンヌ・ピースメーカー! 皇帝となり、銀河最強の権力を手に入れる男だ!」
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