夜中のストーカーモドキ

御影

一話完結

 仕事帰りの夜、残業に疲れた帰りに居酒屋で軽く酒を嗜む。男はほろ酔い気分で街を足元が軽くフラフラした状態でぶらついていた。周りには人が多く賑やかだ。男と同じようにフラフラした足取りで歌を歌う者、言い合いをしている者、互いに腕を組み合って歩くカップルもいた。今歩いている道路には居酒屋が並んでいるが、少し先へ行くとラブホ街となっている。しかし、男には行為に及ぶような相手もいない、デリヘルを呼ぶようなお金もない。そのため男はそれとは逆の方向である帰路を渡った。

「残業しても金がたまらないし、彼女は出来ないし、生きてて何の意味があるんだか」

 男の職場はかなり劣悪な環境であった。サービス残業は当たり前、過酷なノルマ等上司は部下を駒としか思っていないのだ。それなのに健康管理については徹底しており、予防接種は会社の方で定期的に無料で受けることができる。最近は感染症が増えたらしく、それに応じて接種するワクチンも増えていた。そこまで社員の健康を気遣うなら労働環境をどうにかしてほしいと男は思っていた。しかし社員の健康を気遣うのも社畜たちが健康被害を訴え、働く人間が減ってしまうのを防ぐためなだろうと自己完結していた。

 男が歩いていると高架線路の近くにきた。電車が通る音が聞こえ、ふとその先を見つめる。電車の中には死んだような顔をしたものや眠たそうな顔で扉の脇によっかかる者が見える。

 何となくそのまま電車を見つめていると、窓の外を見つめている長髪で陰気な空気を発していた女が見えた。その見えた一瞬の中でその女と男は目が合った。

「え...なんだ...?」

 背筋が凍るような感覚に襲われた。ハッキリと見えたわけでは無いが、あれは確実に男の方を見つめていた。そしてほんの少し笑っているように見えた。

 男は怖くなり速足でその場を後にした。恐怖で足が少し震えている。この状況で唯一救いなのが周りに人が多いことだ。

 さっきの出来事を忘れさせてくれるような賑やかさで、煩わしいと思っていたカップルも今となってはそこに居てくれるだけで心強い。

 そのまましばらく早歩きで進んでいると

-ヒタッ、ヒタッ-

 と濡れた足で地面を歩く音が遠くから聞こえてきた。

「なんだこの音は、不快だな...」

 気にせず歩いていたがその足音は一向に消えることはない。よく聞き耳を立ててみると、男から見て右側から聞こえているのが分かった。

 だが男は気にせずそのまま帰路を渡る。

-ヒタッ、ヒタッ、ヒタッ-

 しかしその足音はどんどんと大きくなり、男に近づいていっているのが分かる。どんなに歩いても歩いても音は近づき続ける。

 すかさず男は右側を見てみるが、沢山の人間が行きかっているせいか、音はハッキリ聞こえるのに音源が分からない。

 その後も音は更に大きくハッキリと聞こえるようになっていった。

「な、何なんだよ...」

 しかし、何度音のなる方を見てもその音を発していると思われる人物は見当たらない。そしてどんどん音は大きくなっていく。しかし、周囲の人間はそれを気にしている様子はない。どうやら男にしか聞こえていないようだ。

「俺だけなのか....?」

 あまりにも不気味だったため、音が発生していると思われる方向とは逆方向に歩き始める。

-ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ-

 しかし音は大きくなっていき、音の間隔は短くなっていく。何かが自分に近づいているようであった。足はガクガクに震え、冷や汗が噴き出す。音は大きくなっていくのにどこから発せられるのかは分からない。その正体不明の何かによって男の精神は参っていく。

「うああああああああああああああああ...」

 男はたまらなくなり走り出した。周囲の人間が変人を見るような冷ややかな目を向けてくるが男はそんなものを気にも留めず走り続けた。肺が焼けるような苦しみに襲われたがそれよりも恐怖が打ち勝ち、とにかく足音から離れることに必死だった。

 その甲斐があって音は遠ざかり、最終的に聞こえなくなった。

「ぜぇ...ぜぇ...巻いたか...?」

 なぜ自分がこんな目に合っているのか分からなかった。思い当たる節が無い。今日だっていつも通り真面目に頑張って仕事をしていただけなのに、そんな事を考えていると、ふとさっき目が合ってしまった電車に乗っていた陰気な空気を発した女のことを思い出す。

 あの女は何だったのか、自身を追いかけ続ける足音と関係あるのか。

「そういえば、あの女は俺の事を見て笑っていた...目的の物を見つけられたような感じだったな...もしかしてこの足音はあの女の物なのか...?」

 そういう理屈だと女は駅で電車を降りてわざわざ男の方へ向かったということになるだろう。しかし、それにしては余りにも来るのが早すぎる。足音が聞こえ始めた地点から駅までは走っても10分くらいかかるはずであった。電車で女を見かけてから足音が聞こえるまで5分も経っていない。

 そのため、男はあの女が超常的何かなのではないかと疑い始めた。女と足音が関与していることにまだ確証があるわけではないが、かといって他に思い当たる節があるわけでもない。音に対して自分しか反応していないのも妙だ。

「何であいつは俺を....」

 その後は足音がしていたのとは逆方向に息を切らしながら歩き続けた。男は強い疲労を感じていた。久しぶりに思い切り走ったのもあるが、何よりも得体のしれないものに追いかけられ続けるという恐怖感と緊張感によるものが大きい。

 ほっとしたのもつかの間、またヒタヒタと足音が聞こえてきた。しかも今度はさっきとは違う方角だ。

「な、なんで今度はこっちから来てるんだよ」

 疲労からまだ回復していなかったためそのまま音から逃げるように歩いていると、やはり少しづつ音が大きくなっていき、近づいてきているのが分かった。

 男はまた走り出した。走ったことによりわき腹が痛くなっていたが、今はそれを気にしている余裕はなかった。

「はぁ...はぁ...」

 周りからはまた冷たい目で見られているが、正直自分の周囲に人がいるだけでも安心できた。そしてしばらく走るとまた音は遠ざかっていき、聞こえなくなった。

「はぁ...はぁ...くっそ、もう勘弁してくれ」

気を紛らわすために近くにあったバーへと足を運んでいく。中では数人の客とバーテンダーがおり、各々ほろ酔いで会話を楽しんでいた。男はカウンター席に座り、カクテルを一杯注文した。しばらくして男の前に酒の入ったグラスが置かれた。

「ふぅ...これでも飲んで落ち着くとしよう...多分疲れているんだ」

 男はグラスの酒をグイっと飲む。本来はそんな飲み方をすべき酒でないため、バーテンダーに白い眼を向けられたが男は気にしなかった。

 落ち着きを戻した男はほっと一息ついた後に胸ポケットから取り出したタバコに火をつけた。

「すううう....ふうう...」

 しかし、しばらくするとまた遠くの方から足音が聞こえてきた。しかも入り口の方からだ。

-ヒタッ、ヒタッ-

 ある程度落ち着いてきていた男は気にせずタバコを吸い続けた。

(周りには客がいるし目の前にはバーテンダーがいるのだ。たとえ超常的何かが来たとしても下手な真似はしまい)

 その後も音は次第に大きくなっていき間隔も短くなっていったが、多少心臓の音が大きくなったものの周りに人がいるという安心感から落ち着いていた。

 そして再度バーテンダーに酒を注文した。今度は度数が強めのものである。変わらず足音は聞こえ続けるが男は更に酔えば気にならなくなるだろうと考えていた。バーテンダーが男に酒を差し出す。男はそれをまた一気に飲み干した。体が少し火照り、酔いを感じ始めたところで異変が起こった。

(あれ?急に静かになったな)

 さっきまで聞こえていた他の客の話し声が聞こえなくなったのだ。不審に感じた男は店内を見回した。

「え...」

 周りにはいつの間にか誰もいなくなっていた。さっきまで目の前にいたはずのバーテンダーも煙の如く消えていた。その静まり返った店内は最初から誰もいなかったようにも思えてくるほどだ。

「な、なんで...さっきまで人が沢山いたのに...」

 男が驚きを隠せないと同時に足音はどんどんと近づいてきていた。

-ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ- 

 人のいる建物の中であれば安全だと思っていた。しかしその期待は見事に裏切られた。

「うわあああああああああああ」

 男は半狂乱になりながら店から飛び出す。店から出て周りを見回すとどこにも人間が見当たらず車が走っているのだけが見える。

「どういうことだ....」

誰でもいいから誰か人間の顔を見たかった男は信号待ちしている車に走りながら近づいた。しかし中を見てみると誰もいない。よく見ると他の車にも誰も乗っておらず、中に人がいないにも関わず走り続けている。

「な、何なんだよ!」

 男は叫び声をあげた。そして足音から逃げるように走り始めた。

「くそっ、くそっ」

 さっきまでは走っていれば足音は遠ざかっていたのに今回は遠ざかるどころかどんどん近づいたきていた。

-ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ-

 走っても走っても音は近づいてきていた。走った男よりも得体のしれない何かが近づく速度の方が速くなっている。そしてどこを見回しても自分以外の人間が見たらないのだ。車と自転車が走っているのが見えるがどちらも無人で、人が乗っていないのに関わらず勝手に走っているのだ。

「はぁ...はぁ...」

 男は走り過ぎて体中が熱くなり息も上がってフラフラになっていた。もはや限界も近い。それなのに足音はさっきよりも近づいていた。

-ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ-

 今はもはや耳元で音が鳴らされているような感覚である。それくらい音は近かった。

 気づくと男は静かで田んぼに囲まれた道路にいた。さっきまで都会にいたのにいつの間にか辺境地まで走ってきていたようだ。男はそのまま走っていくと林の中へ入っていった。ここなら身を隠せるかもしれないと思ったからだ。

「はぁ...この草の影に隠れていれば....」

 隠れるなら適当な建物に入った方がまだマシなのだが、男にはもはやそんな事を考えるための判断力も残っていなかった。

 そのまま草の陰に隠れていると足音の間隔は少し長くなった。どうやら男を探しているようだ。男はほっと息をつき、そのまま座り込もうとした。

-バキッ-

 その瞬間、男は枝を踏んで折ってしまった。するとその音に気が付いたのか得体のしれない何かの足音は速くなり、大きくなっていく。

「ヤバいッ....」

 草越しに音のする方を見ているとそれは姿を現した。

「あ、あれは...」

 それは電車から男を笑いながら見ていた女だった。顔は一瞬しか見えなかったがこの陰気な空気は間違いなくあの女だった。

「そこにいるんでしょ?ねぇ出てきてよ」

 女はしゃべりかけ始めた。もう隠れるのも無駄であったが男は恐怖で姿を出すことができなかった。女の見た目はボサボサの長い髪で顔中しわくちゃ、そこから中年であるのがわかる。そのうえ軽く太っており美人とは程遠い見た目である。 

「ねぇ何で出てこないの?いるんでしょ?」

 女がそう話すと男は恐る恐る姿を現した。これ以上隠れていると何をされるか分からないと思ったからだ。

「な、何なんだよお前は...俺に何か恨みでもあるのか...?」

 男が問いかけると女はニヤッと笑った。男は恐怖で息が上がり、額からは走ったことによって体が熱くなったことによる汗とは別に冷や汗が一滴垂れる。

「別に恨みなんてないわよ。あなたを見かけたときにピンと来ただけ」

「どういう事だ...」

「あなた、今自分が置かれている状況に不満を持っているでしょ?」

「何の事だよ」

「ブラック企業で働かされて、恋人もおらず帰っても迎えてくれる人がいない。そんな毎日に嫌気を感じてるんでしょ?」

 なんでそんな事を知っているのかと男は足を震わせながら考えていた。しかし今はそれどころではない。この女の目的が気になっていた。逃げることはもはや不可能だろう。

「お前は俺にどうして欲しいんだ?」

「どうって、別にあなたは何もしてくれなくていいわよ」

「え...」

「あなたは今の状況に満足していないんでしょ?人生が嫌なんでしょ?だったらその体を私にちょうだいよ」

「な、何だと...」

 女が突然とんでもないことを口走り、男はそれの意味を理解することができなかった。

「あなたの体をちょうだいって言っても死ねって言ってるわけじゃないよ。私の体とあなたの体を交換しようってこと」

「そんな...」

 そして女は突然叫びだした。

「私はもうこの体が嫌なの!!一部の人間にしか見えないし見えたとしても怖がられるだけだし、もう嫌!!この生活はもう嫌なの!!!そんな時あなたを見つけたの。あなたには私が見えているようだし、目が合ったときに分かったわ。あなたが今まで歩んできた人生、そしてその人生に不満を持っているという事がね」

「だから何だって言うんだ」

「もうその人生が嫌ならその体ちょうだいよ!!私の体ならそんな不満も無くなるわ!!」

「冗談じゃない」

 男はその場から逃げ出した。すると女は叫び声をあげながら男を追いかけ始めた。

「なんでよー!!!くれたって良いじゃないのよー!!!!私を助けてよ!!」

 男はそれに返事をすることはなく、そのまま夢中で走り続けた。

 それから数分ほど走り続けると、林を抜けて住宅街に辿りついた。もう女の声も足音も聞こえてこない。

「諦めた...のか...?」

 住宅街を息を切らしながら歩いていると、どこからか家族で楽しそうに談笑している声が聞こえてきた。男はその声がする方へ急いで近づき、インターホンを鳴らした。すると中から中年の男が顔を覗かせた。

「あの...どちら様でしょうか?」

 中年の男は訝しげにインターホンを鳴らした男を見た。その男はというと人がいるという安心感でその場に崩れ落ちた。

「ど、どうしたんですか?」

「い、いえすいません...どうも家を間違えたみたいです」

「は、はぁ...」

 中年の男は首を傾げながらドアを閉めた。

 その後落ち着きを取り戻した男はスマホのマップを頼りに自宅へ帰ることにした。そのまま家に向かっているとさっきまでいた都会的な街に辿りつく。周りには人が沢山おり、話し声も聞こえてくる。今の男にとってそれだけでも感激だった。

「いくら辛い人生だったとしてもこんな普通の日常があるだけでも幸せなのかもな」

 男はそう感慨に浸りながら帰って行く。結局女の正体は分からなかった。しかし、あんな半狂乱になってしまうほど辛い人生を歩んでいる存在もいるのだ。だったらこの毎日に感謝しながら生きていこう、そう男は心に誓った。

 ちなみにその後、さっき入った店のバーテンダーに鬼の形相で走り寄られ、未払いだった料金を請求された。

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 一般の人間は入ることすら叶わないある建物の一室、ここでは某有名企業に勤める研究員による説明会が行われていた。説明会を終えた後は部屋から人が続々と出ていった。どれも高価なスーツや時計を身に着けた重役と思われるものたちであった。部屋から出ていく人間の表情は、満足そうなものだったり、不安を感じているようなものだったり様々だ。

 説明会を聞いていたもみあげが特徴的な男(以下もみあげ男)と口の周りの青髭が目立つ男(以下青髭男)の二人は、その集団から外れて休憩のために別の部屋へ移動した。研究員の説明が異様に長く、終わった後にかなりの疲労を感じたためだ。

 誰もいない部屋へ入った二人はそこでさっきの説明会の内容について話し始めた。

「世の中は荒んでいると思っていたがここまでとはな」

「そうだなぁ、俺も初めて聞いたときは驚いたよ」

「え?お前は以前からあれの存在について知ってたのか?」

「いや、結構有名な話だと思うが?」

「そうなのか」

 そしてもみあげ男はため息をついた。

「会社への不満を無くさせる魔法のような薬か...なんか想像しただけでも嫌だよ...」

「幻覚を見せることによって不満を無くすだとか説明されてたけど、薬を打たれた人間は一体何を見てるんだろうな」

「さぁな、俺たちには知りえないものさ」

 もみあげ男は肩をすくめた。そんなものは実際に薬を打たれてみなければ分からないのである。かといってわざわざそんなものを打とうという気にもならない。

「そういえば説明の中でさ、多くの企業でもう既に試験的に使用されてるとか言ってたけど、あんなものを自分から打とうと思う人間なんかいないと思うんだがな、大金でも詰んで頼んでるのか?」

 それを聞いて青髭男は呆れ顔になる。

「お前って本当に何も知らないんだな。社員に内緒で薬を打ってるんだよ」

 もみあげ男は驚愕で目を見開く。そして不安交じりに青髭男に質問をする。

「それって法律的に大丈夫なのか...?」

「この薬を作った会社は既に警察も政治家も丸め込んでるからそこら辺は大丈夫だ」

「まじかよ...」

「というかお前の会社でも既に使用されているはずだぞ?」

「は?」

「お前んとこの社長が例の薬を会社で試験的に使用することを許可する書類に署名してるのを見たぞ。本当に何も聞いてないのか?」

 それを聞いたもみあげ男は頭を抱えた。眉間にしわを寄せてお怒りの様子だ。

「あのクソ社長め、本当に自由だな。そういう大事なことは会長である俺にも言えってんだ」

「お前も苦労してるんだな」

「はぁ...」

 すると、ふとある疑問がもみあげ男の頭に浮かんだ。

「社員を実験用モルモットにするとして、どうやってそんな薬を内緒で打つんだ?数回に分けて打たなきゃならないらしいし、お茶か何かに混ぜるとしても経口摂取じゃ効果が出ないとか言ってたし、少なくとも俺はそんな様子を見たことがないけどな」

「それはあれだよ。最近異様に増えたものがあるだろ?」

「あぁあれか、確かにあれなら怪しまれないかもな...」 

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夜中のストーカーモドキ 御影 @nyanda

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