第36話 どうかお願い待っていて
先生たちにルーナが居なくなったことを伝え、警ら隊の捜索を頼んだチーニとディアは、かつてニフが勝手に研究室として使っていた空き教室に居た。チーニは棚を漁り、使えそうな毒薬を探す。
「なあ」
「なに?」
青色の液体が入った小瓶を取り出して、チーニはディアに視線を向けた。その手に握られている試験管を見て、チーニは眉を寄せる。ディアがチーニの方に試験管を差し出すと、緑の粉末がガラスの中で揺れた。
「俺の髪、染めて」
なかなか試験管を受け取ろうとしないチーニにディアが言葉を重ねる。
「じゃあ、俺をおいて行く?」
白髪のまま外に出ればそれだけで周囲の人間の注目を集めることも、それがルーナの捜索に不利になることも、チーニにはよくわかっていた。理解していても、髪を染めることに対する心理的なハードルは高い。
「俺が、俺の意志で、髪を染めるんだ。なんにも問題ないだろ?」
ディアはチーニの顔を覗き込んで、唇を釣り上げた。チーニはディアから視線を逸らして、小さく頷いた。
ディアが実験室にあるコンロ──ニフが勝手に買ってきたものだ──でお湯を沸かし始める。その間もチーニは、ごそごそと棚を漁っていた。
「何か探してるのか?」
チーニは先程取り出した青い液体の小瓶を指さして、口を開く。
「この毒薬、ニフさんが自分で作ったものなんだけど。気化させた状態で吸うと、意識を失うらしいんだ」
「へえ。器用だな、あの人」
チーニは目的の小瓶を探し当てて、棚から顔を出した。
「毒薬にしか興味のない変な人だよ」
やかんが蒸気を吹きだして、お湯が出来上がる。チーニは小さくため息を吐いて、ディアの手から試験管を受け取った。
❖❖❖
「これ、あげる」
珍しく制服に身を包んだニフがディアの手に試験管を落とす。チーニは緑の粉末とニフを見比べて首をひねった。
「何ですか、これ」
「髪の染色剤」
ニフはゆるく笑って、ディアに視線を向けたまま言葉を続ける。
「卒業祝いだよ」
「卒業するのニフさんでしょ」
チーニが口を挟むとニフは喉の奥で笑った。
「細かい事ばっかり気にしてるとモテないよ?」
「ぶん殴りますよ」
「ひどいねぇ。たくさん面倒見てあげた先輩を殴るなんて」
ニフは目を細めてチーニを見やる。薄い灰色の髪が春の太陽の柔らかく淡い光に透けているのが綺麗で、チーニは目を逸らした。上の人間が抜けるという事は、それだけチーニたちの終わりが近づいているという事だ。
「使い方は分かるね?」
「はい」
心臓の痛みに蓋をして、チーニはニフに視線を戻す。面白がるような、楽しそうな色を浮かべてニフはチーニの視線を受け止めた。
「じゃあ、また会おうね。チーニ」
❖❖❖
「チーニ?」
粉末をお湯に溶かしながら、ぼんやりと過去に浸っていたチーニをディアの声が現実に引き戻す。
「ぁあ、ごめん。大丈夫」
止まっていた手を動かして、粉末とお湯をペースト状にしていく。くすんだ緑色の粘つく液体をディアの白い髪に塗り付ける。綺麗な白が汚れていくさまを、じっと見ながら無心で作業を続けた。
ペーストをぬり終えたら、ビニールを巻いて、五分ほど放置し、シャワーを浴びればいいらしい。チーニは手についた液体を洗い流して、ディアの向かい側に座った。
「緑に染まるの?」
「オレンジ」
ディアが小さく笑いながら言葉を吐く。
「オレンジ」
チーニは緑に埋め尽くされた髪を見ながら、ディアの言葉を復唱した。柔らかな笑い声が返ってきて口をへの字に曲げて、視線を下げる。
「俺の髪はオレンジになってもきれいだと思うんだ」
ディアの言葉にチーニは顔を上げた。目を細めて、綺麗に口角をあげて、ディアが楽しそうに笑っている。
「しってるよ」
その顔があんまり優しいから、チーニの顔もほころぶ。それから五分、くだらない話を続けて髪のビニールを取る。
「で、あとは洗えばいいんだっけ?」
「シャワー、は時間がないな」
ディアは壁掛けの時計に視線を向けて呟いた。
「え、でもシャワー以外どうするの?」
「要は洗えればいいんだろ」
ディアは実験室にある流し台の水道をひねって、頭を突っ込む。チーニは驚いて固まったあと、ため息交じりの笑い声をこぼした。
「ディアは、時々、こう、とんでもない事するよね」
頭をごしごしと擦るディアに背を向けて、チーニは近くにかけてあったタオルを手に取る。ところどころ色が付いているが、まあ、無いよりはマシだろう。水を止めたディアの頭にタオルを被せた。タオルの下でディアが小さく呟く。
「大丈夫、だよな」
チーニは強めの力でタオル越しにディアの頭を撫でた。
「だいじょうぶだよ、きっと」
体を起こしたディアの顔を覗き込んで、チーニは笑った。
「さぁ、作戦を立てよう」
綺麗なオレンジに染まった髪がディアの頭の上で揺れる。
チーニは、複雑な数式が書いてある紙を裏返して、鞄の中からペンを取り出した。
「数日前、麻薬の密売に関わってる宗教団体の幹部が脱獄してるんだ」
ディアの顔から笑顔が消える。チーニはペンをいじりながら、言葉を続けた。
「ルーナが居なくなった件には、その脱獄犯が関わってると思う」
「誘拐ってことか?」
「それは何とも。でも、他の攫いやすい貴族じゃなくルーナを狙ったってことは、奴らは不死の心臓について何か知ってるのかもしれない」
ディアが眉を寄せる。
「それは極秘情報だろ? 貴族でも知ってる奴は限られてくる。脱獄犯が知ってる可能性なんてあるのか?」
チーニは視線を彷徨わせて、顔を下に向ける。口の中でいろんな言葉を殺して、結局声になったのは最も無難な嘘だった。
「どこから漏れたのかは、まだ分からないけど」
顔をあげて早口にチーニは言葉を重ねる。
「もしそうだとしたら、脱獄犯は地下街には行かない」
「確かに。不死の心臓の存在が知られれば、地下街の隣人同士で戦争だ。地上で警ら隊に見つかるより、五倍は不味いな」
ディアは考え込むように視線を遠くに投げた。
「うん。それに、学院内にルーナの死体がないってことは、奴らは不死の心臓がルーナの中にあるって知らないと思う」
「なるほど? ラクリア家のどこかにあると思ってるわけか」
チーニは紙に情報を書き込みながら、ディアに言葉を返す。
「恐らく。地下街にも逃げられず、ラクリア家のある王都からも離れたくない。となれば、元の拠点に戻るしかない」
チーニは紙の上に描かれた三番地の簡略図をペンの先で叩く。ディアは頬杖を突きながら、地図を見つめた。
「でも、脱獄した時点でアジトには警ら隊の監視がいる」
チーニは脱獄犯の立場になって思考を続ける。
「……協力者が要るね」
ぼんやりしたまま落とされたチーニの声にディアが頷いて、チーニのペンで紙に条件を書き込んでいく。
「ああ。拠点を持ってて、裏切る可能性が低く、警ら隊も簡単には手を出せない奴がいい」
「警ら隊が手を出しにくいとなると、貴族かな。その中で裏切る可能性が低いとなると、麻薬の密売で利益を得ていた貴族か」
チーニの言葉をディアが引き継いだ。
「ラクリア家を引きずり降ろして、王都に入りたい貴族か、だな」
チーニは小さく笑って言葉を続ける。
「うん。麻薬の密売に関わってた貴族については、恐らく第二師団にリストがあるだろうから、そっちは放っておいても大丈夫だと思う」
「となると、ラクリア家を恨んでいる家か」
「うん……ディアはどこか心当たりがある?」
ディアはペンを適当に動かして、意味のない図形を生み出しながら、唸った。
「いいや。俺も王城に住んでたとはいえ、外に出るのも、誰かと会うのも、基本的に禁止だったからな」
ディアは「俺にはお手上げだ」と肩をすくめた。チーニは顎に手をあてて、記憶を探る。ルーナとの会話、ハングの話、図書室で読んだ事件のファイル──思考に沈んでいたチーニが「あ」と小さく声をあげた。
「あったか? 心当たり」
薄く笑ったチーニが紙の上の三番地を指さす。
「うん。南三番地のこの辺りに、フレール家っていう貴族家があるんだ」
「フレール家」
ディアのオウム返しに頷きながら、チーニは言葉を続けた。
「元は一番地に住んでいた上流貴族だったんだけど、二十年前に当主が警ら隊に捕まってる。一家は一番地の居住権を失い、三番地に移り住んだんだ」
ディアは「なるほど?」と呟いて、チーニと視線を合わせ、小さく笑う。
「その逮捕にラクリア家が関わってるってことか」
「大正解。彼らが脱獄犯と関わっている証拠はないし、そもそもルーナが誘拐されたかも不確かだけど」
唇の端を釣り上げて、チーニは首を傾けた。
「ディアも僕の賭けに乗ってくれる?」
ディアはまだ濡れている髪を揺らして、チーニの方に身を乗り出す。
「外したら、一緒に怒られてくれるか?」
「もちろん」
二人分の小さな笑い声が、実験室の空気を震わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます