第27話 やわくあまく空気が溶ける
「せーのっせ」
掛け声と一緒に三本の指が、それぞれ別のパンを指さす。チーニはチョコが入ったデニッシュ、ディアはウインナーが入った硬いパン、ルーナはベーグルのサンドウィッチだ。
「ふふふ、被らなかったねぇ」
「一回も被ったことないだろ」
「そうだっけ?」
ルーナが首を傾げながら、チーニに視線を向けた。
「うん。たぶん」
チーニが頷いても、ルーナは首を傾げたまま「そうだったかなぁ」と唸っている。ディアは笑いながらパンに手を伸ばして、ルーナに言葉を投げた。
「とりあえず食べようよ。俺、超おなか空いた」
「ごめんごめん」
目を見合わせて、それぞれ手を合わせて、声を揃える。
「いただきます」
口の中のパンを飲み込んでから、ルーナはチーニに視線を向けた。
「チーニ、さっきの後で話すってやつ、どこまで引っ張るの」
ルーナは少しだけ不機嫌そうに唇と尖らせる。中指についたチョコレートを舐めながら視線を返し、小さく吐息をこぼすように笑った。
「さっきの?」
首を傾げるディアに次の一口を食べようとしていた手を止めて、チーニは言葉を返す。
「いろいろ聞いて回って分かったことと、そこから導き出せる仮説の話」
ディアはぱちくり、と瞬きを繰り返し、ルーナの不貞腐れた顔の意味を理解する。小さくため息を吐いて、ディアは笑みを浮かべるチーニを半目で見やった。
「また説明後回しにしたな?」
「ディアも聞いた方がいいと思って」
笑みを返すチーニの脛をテーブルの下でルーナが何度か蹴る。ディアは小さく息を吐いてから、ルーナの頭に手を伸ばした。そっと、栗色の髪をなでる。
「同じ話を聞いてたのに、チーニだけぜんぶ分かってるのはずるいと思います」
まっすぐ天井に向かって手を伸ばして、ルーナは更に唇を尖らせた。
「チーニの脳みそが欲しい」
ルーナの追撃を逃れるために足をテーブルの下から引き抜いて、膝を立てながらチーニが笑う。
「ルーナの脳みそだって、十分出来が良いでしょ」
「テストの順位は大体チーニが上だけどね」
ルーナは悔しそうに顔のパーツを真ん中に寄せた。眉間にも、口元にも、きゅっと皺が寄って、それが可笑しくてディアとチーニは顔を見合わせて笑う。悔しそうな顔で耐えていたルーナも、ついに耐え切れなくなって、三人分の笑い声が、やわくあまく、空気に溶けた。
ひとしきり笑った後で、チーニは口を開く。
「植物園の南京錠に傷はなかったし、ガラスにも穴は開いてなかった。つまり、犯人は合鍵を持っていたんだと思う」
「え、管理人の自作自演ってこと?」
首を傾げるディアにチーニは小さく笑って、首を横に振る。
「その可能性もなくはないけど、管理人さんはあそこにある植物たちを本気で大事にしてるから、花壇を荒すとは考えにくいかな」
「……合鍵」
机の一点を見つめてじっと黙っていたルーナの口から、小さく言葉が吐き出された。チーニは頷いて、さらに言葉を続ける。
「うん。僕も、その線が一番有力だと思う」
「なるほど、だから明日、外に行くのね」
「うん」
二人だけで理解して、勝手に進んでいく話に今度はディアがチーニの頬をつねった。
「俺を置いていくな」
「あはは、ごめんって」
チーニは引っ張られた頬をさすりながら、管理人の話を聞いていなかったディアにもわかるように、一つずつ話を続ける。
「一週間前に、植物園でアシュリルの毒が植物園で発生したのは覚えてる?」
「あぁ、うん。俺たちが外で剣術の授業だった時だろ。植物園使ってたのは、二年だっけ」
「うん、そう。その騒ぎの後、植物園の鍵が紛失してるらしいんだ」
「騒ぎの時に管理人が落としたってことじゃなく?」
「うん。僕はその騒ぎを起こした人物が盗んだんだと思う」
ディアがいまいちよく分からないという顔で首をひねる。チーニは小さく笑って、机の上のパンを端に寄せると、紙を広げた。
「植物園を上から見ると、こんな感じになるんだけど」
言葉を続けながら、植物園の簡略図を紙に書いていく。丸い外周、それぞれのゾーン、換気用の小窓、アシュリルの木。紙の上に掛かれた情報を見て、ディアが「あ」と低く声を上げた。
「ここから、狙えるな」
ディアが指さしたのは、植物園で管理人の話を聞きながらチーニが見上げたあの小窓だった。
「ここからアシュリルの幹に小石なんかを飛ばせば、毒ガスが出るし、ここから鍵かけまでは、毒の方を通らずに行ける」
「うん。しかもアシュリルの毒ガスは、紫色の煙幕みたいなものだから、その場にいた人にも見られずに済む。そうやって鍵を盗んで、外で合鍵を作ってしまえば、いくらでも植物園に侵入できる」
「ん。じゃあ、二年の誰かか?」
「いや。あの時、欠席していた人はいなかったようだし、もっと疑わしい人物が居る」
薄く笑みを浮かべて声を低めたチーニに、ルーナが「あぁ」と同じような低い声をあげる。ディアだけが、ぱちくりと瞬きを繰り返す。また自分だけが置いて行かれている現状に、ディアはムスッとした顔でルーナに視線を向けた。
「誰だよ」
「私たちのことが大嫌いで、あの時、剣術をサボってた人が、一人いるでしょ?」
ディアは、顎に触れながら遠い目をして記憶を探る。
「ぁあ、エリムか」
「だいせいかーい」
柔らかく笑ってチーニはディアの頭を撫でた。優しさを感じる何かに直接触れていないと、内側から怒りが爆発して四肢がもげてしまいそうだった。無理やり口角を上げて、ディアの頭を少し乱暴に撫でる。
「やめろよ、髪の毛ぐしゃぐしゃになるだろ」
「ふふっ、今更でしょ」
「くせ毛を揶揄うなよな」
不貞腐れた顔をしていても、チーニの手を振り払おうとしない。
(あぁ、どうしてだろう。ディアはこんなにも、優しいのに。どうして、こんなに、悪意に晒されるんだろう)
チーニはゆるく笑ったままディアの髪から手を離した。
「まあでも、これだけじゃ証拠とは言えないから、明日三番地に行って、合鍵を作った注文書でも手に入れてくるよ」
「ディアも行く?」
笑って首を傾げるルーナに、ディアの視線が下を向く。
「俺の外出は許可取るのも面倒くさいし、いいよ。……ごめんな、俺の、ことなのに」
チーニはもう一度ディアの頭に手を伸ばして、少し硬い髪の毛の間に指を通す。
「ディアはなにも、悪くないでしょ」
「そうかな。俺が普通だったら、こんな問題はじめからなかったかも」
自嘲のような笑みを浮かべるディアの髪をなでながら、チーニは柔らかい声で言葉を紡ぐ。
「僕はディアの色が好きだよ。どこに居てもすぐわかるし」
「それは」
「ねえ、知ってた? ディアの髪はさ、朝日で光るんだよ」
ディアが顔を上げる。チーニはその赤い目をまっすぐに見つめる。彼の中で燻ぶる怒りの矛先が、ディア自身に向いてしまわないように。彼の色彩を綺麗だと思っている人間がここに居ると、伝わるように。
「ねえ、ディア。君の白い髪はただ、綺麗なだけだよ。君の赤い目はただ、まっすぐなだけだよ。君は、ディアルム・エルガーは、ただの人間だよ」
真っすぐに見つめたディアの目が涙で光って、それが零れ落ちる前にディアは下を向いた。いつの間にかディアの手を握っていたルーナも、優しい声で言葉を吐きだす。
「私もディアの髪好きだよ。ちょっとくせ毛で時々寝ぐせついてるけど」
「しょうがないだろ。直らないんだから」
「ふふふ。ねえ、ディア、明日のお土産何が良い?」
ディアは鼻をすすって、少し黙って、隠しきれていない鼻声で答えた。
「クッキーがいい。バターがきいてるやつ」
「ジャムがのってるのにしようよ。あまいやつ」
チーニの言葉でディアが笑って、つられるように二人も笑った。三人分の笑い声が、部屋の中の空気をやわく、あまく、溶かしていく。
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