第15話 俺はきっともう子供じゃない

 南十七番地から去っていくチーニとレナから十メートル程後方の建物の影に、一人の少年が隠れていた。


 建物の間を器用に進み、二人が十三番地行きの公共馬車に乗ったことを確認してから、少年は深く息を吐き出す。


「やっぱりトムにはちゃんと口止めしとかねーと」


 ラルゼはお調子者で知っていることは何でも喋ってしまうおチビを頭に浮かべながら、そう呟いた。丈の足りていないズボンのポケットで今日分の給金が揺れている。何の迷いもなく、普通に、公共馬車に乗っていった二人の大人を思い出して、ラルゼは眉間に皺を寄せた。


「今度来たら財布くらい掏ってやろっと」


 ラルゼは彼らが去っていった方を睨んで、べーっと舌を出す。


「なにしてるの」


 平坦な声がラルゼの後ろから届いた。


「なんでもねーよ」

「あの人たちは」


 首を傾げたフィルに、公共馬車を指さす。


「あれに乗ってどっか行った。諦めようとか、王都がどうとか言ってたから、帰ったんじゃねーの」

「そう。私たちも帰ろう。もう暗い」


 差し出された手とフィルの顔を見比べて、ラルゼは小さくため息を吐いた。冷え切った手に冷え切った手を重ねれば、ぎゅっと思いのほか強い力で握られる。


「もう子供じゃねえっての」


 口の中で転がした言葉が聞こえたのか、手を握る力が強まった。フィルの手を握り返しながら、反対の手でポケットの中の給金をいじる。二人は安さが売りの食堂でハムとチーズが挟まったパンを買う。品物を受け取って、乱暴に渡されるお釣りを間違いがないか確認して、それからまた手を繋いだ。


 路地を抜け、建物の間をすり抜け、二人は地下街へと入った。地下街は、光石こうせきの炭鉱跡に人が勝手に住み着いてできた街だ。光石は磨くほどに光を増す石で、磨かなくてもぼんやりと光る。だから、ラルゼたちが生まれ育った地下街に、完全な暗闇はない。常に光石で出来た壁が光っているからだ。


 地下街に太陽の光が差すことはないが、夜が訪れることもない。ラルゼは地上より明るい街に降り立って、詰めていた息を吐く。するり、とフィルが手を離した。

年下の仲間を心配する素振りで手を繋ぐが、本当はフィルの方が暗闇を怖がっていると、ラルゼは知っている。


 南十七番地の入口から、炭鉱を少し進んだところでラルゼはフィルと分かれた。蟻の巣のように自在に広がる炭鉱は、今でも住んでいる人間の勝手が良いように広げられている。


 地上に出始めてから、家と呼んでいいのかも分からなくなった自宅に戻ると、藁の上で寝ころんでいたベラが体を起こす。


「いいって。寝てろ。また熱が出たらどうすんだよ」


 上体を起こしかけたベラは「へへへ」と笑い声をこぼしながら、藁の上に戻った。円形に掘られた家の中心で、ラルゼはさっき買ったパンをちぎる。小さくちぎって皿にのせ、水を注いだマグカップと一緒に、ベラに渡す。


「食えるか? つか食え。ちゃんと食わねえとまた熱出るだろ」

「へへへ、ありがとう。お兄ちゃん」

「べつに。お前こそ早く元気になれよ。空がみてーんだろ」

「んふふ、今日も綺麗だった?」


 ベラはパンを飲み込みながら、笑う。高熱にうなされている時だって、二日間ご飯が食べられなかった時だって、ベラは笑っていた。ラルゼは妹の長い髪を梳きながら、言葉を返す。


「俺はべつに綺麗とか思った事ねえよ。でけえなーとは思うけど」

「えー、お兄ちゃん、センスないねえ」

「うるせーよ、元気になって自分で見ろっての」

「ふふふ、そしたら、お兄ちゃんにもどこが綺麗かたくさん教えてあげるね」


 小さなパンを食べながら、笑うベラにラルゼは笑顔を返す。


「たのしみにしとく」


 頷いたラルゼの手元に握られたマグカップを見て、ベラは眉を寄せた。


「お兄ちゃん、水だけ? お兄ちゃんの分のパンは?」

「あ? あぁ、買ってすぐ食った。腹減ったからな」

「ほんとうに?」

「ほんと」


 ラルゼはマグカップを傾けて、表情を隠す。ベラは地上に出る前に息が上がって歩けなくなってしまうほど体が弱いが、代わりにものすごく勘が鋭いのだ。嘘を吐くと高確率でバレる。ラルゼは鋭い視線から逃げるように、立ち上がって自分の寝床を整える。


「お兄ちゃん」


 ベラがそっと名前を呼ぶ。ラルゼは小さく息をついてから、振り返って妹と視線を合わせた。


「私もうおなか一杯だから、これあげる」


 ベラがラルゼに半分ほど中身の残った皿を差し出す。ラルゼは眉を寄せて、ベラを見やる。


「いらねーよ、お前がちゃんと食え。俺はまじで食ったから」

「もう食べられない」


 ベラは頑なにそう繰り返す。サンドウィッチ半分で腹が満たされるわけもないのに。ラルゼはベラから目を逸らして、言葉を返す。


「明日の朝とか食えばいいだろ」

「一昨日買ってきてくれた硬いパンがまだ残ってるよ」


 何と言おうか迷っているうちに、ベラの声が背中に投げられる。


「お兄ちゃん」


 ラルゼは小さく息を吐き出した。この妹の、優しさを多く含んだ強い声に、ラルゼはめっぽう弱い。渋々ゆっくりと振り返ると、ベラは楽しそうに笑った。


「はい。あーん」


 パンの欠片が口元に差し出される。


「自分で食えるって」

「あーん」


 強い口調で繰り返すベラに、ラルゼは仕方なく口を開いた。空腹感を通し越して、痛みを訴え始めていた腹にパンが落ちていく。ラルゼは水を飲み込んでから、ベラと視線を合わせて笑った。


「ありがと」

「ふふっ、お礼を言うのは私の方だよ」


 ベラが笑いながら「いつもありがとう」と言葉を続ける。


「ん。ごめんな」


 ベラは視線を落として、小さく笑い声をあげた。その声は小さく震えていて、とても楽しそうには聞こえない。


「それこそ私のセリフだよ。変なお兄ちゃん」


 顔を上げたベラはラルゼの頬を撫でて笑う。ラルゼは口をへの字に曲げて、その手から逃げる。


「俺は子供じゃねえの!」


 ベラが楽しそうな笑い声をあげ、途中でせき込む。ラルゼは焦りながら手を伸ばして、祈るような気持ちでベラに触れた。自分の手より熱い気がするが、熱が出ているような感じもしない。ほっと、小さく息を吐く。


「もう寝ろ。あんまり起きてると体調崩すぞ」

「うん。おやすみ、お兄ちゃん」


 横になって目を閉じる妹の髪を、ラルゼはぼんやりと明るい部屋の中で長いこと撫でていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る