第3話 オタクには、雨属性は、効果なし。

学校ではどうでもいい話、放課後は滑り止めに落ちない程度の受験勉強とアイドルのライブ鑑賞。

そして土日は、二人だったり、志田と三人だったりで、オタク活動に明け暮れた。そんな生活は、梅雨の終わりごろのとある日まで、普通に続いた。



今日は雨が降っている。


傘をさして出かけるか、それとも雨音を聴きながら家でダラダラ過ごすか迷うようなそんな甘っちょろいものではない。


傘を差してもずぶぬれどころか、家のすぐそばにある武蔵関公園の川が氾濫するんじゃないかと心配になるほどの雨だ。


滝のような雨なんて言葉がふさわしいのかもしれないが、俺はあいにく生で滝を見たことがないから、その感覚は全く分からない。



そんな大雨の日曜日。


俺は一人で家にいた。


父親は仙台に出張で、母親は友人だか何だかの結婚式。璃奈は、すでに出かけていた。

一人の日曜日という響きは、それはそれで、心地よさげに聞こえるが、何かいいことがあるかと聞かれると、そんなわけでもない。


結局部屋から出なければ、普段と何も変わらない。時間になるとご飯が出てくるわけでもないし、家を出る時に家中の戸締りをしないといけないことを考えると、むしろ一人というのはかなり面倒なことではないかと思えてくる。


約束の時間ギリギリまで、戸締りをしたり、昼ご飯を作ったり、その食器を洗ったりと、まるで家政婦のような時間を送った。



「ピンポーン」とインターホンが鳴った。俺は準備していたリュックサックを背負い、傘立てから自分の傘を取って、玄関のドアを開けた。


俺は玄関のドアを開けたことを後悔した。


時間を指定して家に来いと言っておきながら、玄関のドアを開けないというのは、いくら相手が友達であっても失礼であるから、俺はドアを開けるよりも先に、傘を開くべきだった。


家の中からでも、外が土砂降りだというのはわかっていたが、ここまでひどい雨だとは思わなかった。


俺は頭はもちろん、首にかけた古川美波の推しタオルも、colorfulと書かれたイベント限定販売だったTシャツも、一瞬でずぶぬれになった。


振り向きざまに、ジャッキーチェンが後ろから殴ろうとしている敵に裏拳をするような素早さで、ドアの鍵を閉め、タクシーへとダッシュしている長田の後を追いかけた。


「ずぶ濡れですみません」

運転手に声をかける。


「雨の日は、シートにカバーをかけていますから、お気になさらず。」

おじさんとおじいさんの中間のような外見の運転手は、目を細めた。


 実は、めちゃくちゃ強かったりする執事の役がよく似合いそうだ。


「上石井駅までお願いします。」

と長田が言った。



俺たちは、僅か数分間のタクシーを満喫して、更にずぶぬれになることなく、志田との待ち合わせの駅まで向かった。


高校生にとってのタクシーというものは、結構なぜいたくだ。冬に暖房付けながら鍋と同じような感じだ。



待ち合わせにしていた駅の柱にもたれながら、志田は俺と長田のことを待っていた。

三、四センチくらいのヒールに膝が見えるくらいのミニスカート、雨避けなのか寒いからなのか羽織っている化学繊維のパーカーの中には、colorfulという俺と長田が着ているのと同じフォントのロゴが見えた。


「よう志田。」

「じゃあ行こうか」

俺と長田と志田の三人は、会場の渋谷へと向かった。


途中、高田馬場で西武新宿線から、山手線に乗り換える時、目の前にガニ股で座っていたおじさんが降り、目の前の椅子が空いたので、俺はそこに腰かけ、ツイッターのアイドルオタクアカウントを開いた。


今の高校生にとっては、アカウントをいくつか持っているのは当たり前であるのだが、オタクというのは、非常にめんどくさい生き物だ。


「アイドルオタクを名乗るならアイドルのことだけ、アニメオタクを名乗るなら、アニメだけと言った風に、アカウントを分ける」という暗黙の了解というか、不文律みたいなものがある。


別にこのルールにのっとらなくても何の問題もないし、どっちなんですかと指摘してくる人などほとんどいないが、守っているのが常識みたいな雰囲気がある。


デートは男性がおごるとか、医者は社会的地位が高い職業だとか、そんな感じの少し古臭い常識に近いかもしれない。


そのせいで、ゲームにもアニメにもそれなりに興味がある俺は、四つのアカウントを時と場合によって、使い分けている。


アカウントにログインし、タイムラインをスクロールしていると、colorfulの公式アカウントのツイートが目に留まった。


七人のメンバーが、今日のライブ会場の看板の前で肩を組んでいる。


ツイートが目に留まったのは、メンバー全員が肩を組んで看板の前に立っているというあまり見られない構図の写真のせいではない。


そのツイートがあまりにも短かったからだ。



 「本日、重大発表があります。」



 七人の真ん中にいる古川美波とその右の北山リナが、少し悲しそうな表情をしていた。


 右に座っている長田と志田に、

「これ見ろよ」

小声でスマホを見せる。


 「うぉ!重大発表」

「去年の冬から新曲出てなかったし、新曲かな」

「あのシングル確か週間で三位くらいだったから、次は一位とれるかもな」

「一位とれたら、Mステあるかも」


最初の小声は何のためだったのか、当人の俺もそんなことはどうでもよくなって、三人で想像とも運営への要望とも似ても似つかない妄想という言葉が一番しっくりきそうな会話を繰り広げた。


 志田の向かいの席で、ポケットに手を突っ込みながら、スマートフォンをまっすぐ立てててニヤニヤしながら画面を見ていたおじさんも、長田の前に立って吊革を握りながら顔を赤らめていた風が吹かなくてもパンツが見えそうなミニスカートをはいたお姉さんも、ゲームセンターですごい大きさのスナック菓子をゲットして開けてみると中身がコンビニで売っているのと大差ないくらいの量だった時の俺と同じような表情で、降りて行った。


 それには俺は気づいたが、俺たちが話している間に、家を出たときの大雨が嘘のようにぴたりと止んでいたのには気づかなかった。



 渋谷。


一昔前には、若者の街と呼ばれ、いわゆるパリピ以外の若者を見つけるのは難しかったそうだが、今は割とそうでもない。


俺とは、アマゾンの未開の地に住む先住民よりも遠い存在のアパレルブランド店ばかりが詰まった人があふれかえっていそうなビルの周りには、オフィスが立ち並び、若者の街とは言っても、一昔前に渋谷にいた若者たちとは全く違った人種が多いように感じる。


とはいっても、そのころの渋谷のことは映像でしか知らない。俺の記憶があるのはガングロギャルだとか、ルーズソックスとかの時代ではなく、ケータイをデコっていたり謎にダメージジーンズが流行ったころくらいからだ。


 しかし、オタクのホームタウンである秋葉原(俺が最も利用する駅と言ってしまうとほんの少しだけ過言だ)に比べると、やや近づき難いような印象を受ける。


志田は、学校の友達(志田は隠れオタクだから、もちろんその友達はオタクではない)とよく来ると言っていたし、長田はイケメンだから、サンフランシスコとかじゃなければ、どこでも普通に暮らしていけそうだ。カストロ地区に行ったら、少し言い寄られたりするかもしれない。


 そんなこんなで、渋谷という街への苦手意識と、志田と長田と自分を比べての劣等感を覚えながらしばらく歩いて、俺たちは今日の会場になっているライブハウスの前に到着した。



 「よし」

と小さな声で言ってから、志田はパーカーを脱いで、肩にかけていたトートバックに入れた。


 俺は、前を歩いていたサラリーマンを呼び止める。自分のケータイをポケットから取り出そうとして、肩越しに振り返って尋ねる。「俺のエイトなんだけど、テンだったりする?」

「私イレブンだよ。先月買った。」

と志田が渡してくれたスマホを呼び止めたサラリーマンに渡す。


 花壇に咲いている丸い花(確か、アリウムとかいう元素みたいな名前だったはずだ)を踏まないように跨ぎ、二人の間に入る。



 そして、三人で看板の前で肩を組んで写真を撮った。

 写真の中の志田は、普段学校で見るよりも何倍も楽しそうな笑顔だった。


 一般の人にとって、ライブというのは好きな音楽なんかを聞きに行くものであり、まるで映画館で映画を見るようなスタンスで、ステージ上のパフォーマンスを享受するものだと思う。


 (“思う”というあいまいな表現を使ったのは、俺自身が小学生くらいからオタクだったため、オタクじゃない状態でライブに行ったことがないからだ。)


 しかし、オタクにとってのライブというのは、そんなものではない。

ライブに行くことを“参戦する”という表現を使うことからわかるように、オタクにとってのライブは、参加するものなのだ。


だからこそ全力で声援を上げ、コールをし、ペンライトを振る。


もちろん、そんなことをするのは、自分自身が楽しいからというのも理由の一つだが、一番は自分が好きなアイドルだったり声優だったりが頑張っているからライブを見ている俺たちはこんなに楽しいんだぞということを見せたいからなのかなと思う。



 今日のcolorfulのライブはそんなオタクたちの自己満足ともとれるような情熱が、空回りというか悪目立ちしたようなライブだった。


俺だけがそう感じたのではなく、俺の隣にいた長田と志田も同じだっただろうし、いつも通り最前列でメンバーの名前が刺繍された特攻服を着ている人たちもきっと同じだっただろう。



 その様は、もう短くなって使いにくくなってしまった鉛筆を愛着があるからというただそれだけの理由で、使い続けていた十年くらい前の俺の気持ちとよく似ていた。





(「アリウム」という花の名前が出てきましたが、これからも花の描写がいくつかあります。一応全部意味があるので、気になった方は花言葉を調べてみてください)

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