風船葛が運んで来た幸せ 4

 あれから二週間。それなりに落ち着きを取り戻した私は、仕事の休みを利用して庭を弄っていた。

 風に揺れる風船葛を引っこ抜こうと何度か思ったものの、結局はその可愛さに癒され、抜けずにいる。

 もう一度「可愛い」と言って立ち上がり、伸びをしながら今日の夕飯はどうしようかな、と考えた時だった。うしろからいきなり抱き締められ、強い力で腰に腕が回される。

 賢司は今、部活でいない。部活のあとでまっすぐバイトに向かうと言っていたから、助けを求められない。

 白昼堂々の痴漢、近所の人に助けを求めようかと思う間もなく顎を掴まれ、無理矢理横を向かされた。私を覗くように顔を近付けて来たのは、別れたはずの敦志の顔。

 それに混乱しつつ、何か言おうと口を開けた途端、口を塞がれた。


「あつ……、んんっ」


 今までされたことのない、濃厚なキス。敦志とは何度もキスをした。触れ合うような、慈しむようなキスを。

 だが、敦志にまだ抱かれたことはない。それが多少不満で不安だったが、大事にされているみたいで嬉しくもあったのだ。

 その敦志が、『食べる』という表現がぴったりなほど私の口腔を舌で犯し、蹂躙していく。


「んっ、んんっ、あつ、し、さん……?」

「この、バカ彩! 俺の話を最後まで聞かずに逃げやがって! さよなら? ふざけんな、誰がお前を手放すか!」

「え……?」


 唇を離され、わけがわからずおろおろしていると、敦志は私の体を回して正面に向かせたあと、そのままギュッと抱き締めて盛大な溜息をついた。


「お前の元妹、最悪だな」

「え?」

「嘘つきだし。俺が知らないと思ったのか、あることないこと話をしていた。自分で奪っておきながら結婚直前でお前が逃げ、そのせいで結婚する羽目になったとか、結婚式でお前の友人たちに散々罵られたとか言ってたぞ」

「……罵られるのは当然じゃない。私から話したことはあまりないけど、招待状を出した友人たちは、あの子のしたことを全て知っているもの。中には目撃して、『その場で平手打ちと罵って来てやったわ!』って報告に来た人が何人もいたしね」

「そりゃ凄い」


 耳元で笑った敦志の声と、私をギュッと抱き締める敦志の腕の腕の中は、夢でも見てるんじゃないかと思うほど心地よくて。でも。


「暑い……」

「俺も暑い」

「なら、離して」

「いやだ。これから出かける予定なんだ。彩が逃げないって約束するなら離す」

「……もし逃げたら?」

「手錠を嵌めて逃げられないようにする」


 それは困る。近所の人に白い目でみられそうだ。


「どこに行くの?」

「行ってのお楽しみだな」

「もう。逃げないから離してくれる? 出かけるなら着替えないと」

「手伝ってやろうか?」


 ニヤリと笑った敦志に顔が熱くなるが、「バカっ! 変態!」と軽く胸を叩くと、敦志は笑いながらキスをしたあとで、離してくれた。家に戻って汗をさっと流してワンピースに着替える。

 戸締まりをしてからバッグに財布やハンカチ、スマホを入れて外に出ると、よほど暑かったのか敦志は車の中にいた。

 玄関の鍵を閉めて敦志の車に乗り込むと、敦志は車を走らせる。

 連れて行かれたのは車で三十分ほどの距離にある病院で、何で病院? と首を傾げながらも敦志のうしろをついていく。とある病室のところへ行くと、敦志はそのまま中へ入っていった。

 友人のお見舞いだろうかと何の気なしについて行くと、窓際に座っている男性が目に入る。その見覚えのある顔に愕然とし、その場で足を止めた。


「下田さん、こんにちは」

「おや、寺田さん。おや? うしろの女性は……っ、彩……?」

「敦志さん、なんで……」

「下田さんが譫言で彩を呼ぶほど、後悔していたから、かな」

「彩……」


 キュッと唇を噛み、そのまま父を見る。憔悴した顔と苦しそうに眉をしかめた父は、一年前よりも痩せたみたいだ。

 痩せたというよりもやつれた、といった感じだった。血色もあまり良くない。

 きちんとご飯を食べているんだろうかと、思わず心配してしまう。


「彩、俺が悪かったよ。全部彩の言う通りだった」

「……」

「さすがにキャンセル料を支払うだけの金など、彼にも我が家にもない。だから式場資金は洋治くんに払わせたうえで、優衣と洋治くんを結婚させた。だが、式では散々な目にあったし、優衣のせいで会社を辞めざるを得なかったよ。もちろん、洋治くんも」

「……」

「今は違う会社にいるが、いろいろあってね。そこもたぶん辞めるだろう。それに彩が出て行ったあと、優衣のことで母さんと喧嘩ばかりしててな。それに疲れて母さんとは最近別れたんだ。彩には酷いことを言ったと思っている。今すぐ赦してくれとは言わないが、どうか俺を赦してくれ。この通りだ」


 頭を下げた父に、今さら何を言っているんだろうとぼんやりと考える。でも、この人を憎んだことはない。

 売り言葉に買い言葉。本当は私も、後悔していたのだから。


「……いつ、退院するの?」

「今日、だが」

「入院費は?」

「もう支払いは済ませてある」

「退院したあと、どこに住むか決まってるの? それとも独り暮らし?」

「入院中に離婚したから、住むところはこれから探す」


 父の言葉に溜息をついて目をとじ、こめかみをぐりぐりと回す。住むところがないなら私の家に連れてこようか……なんて考えている私がいる。

 自分は甘いんだろうか。それとも、お人好しなんだろうか。


 目を開けてスマホを出すと、賢司に相談するべく簡単な説明を書いてメールを送る。

 たまたま休憩していたんだろう。賢司はすぐに返事をよこし、『父さんならOKだよ!』とハートやら絵文字やらが書かれている、やたらハイテンションなメールが返って来た。

 それに呆れつつも、何も言わず私の行動を見ていた父に視線を合わせる。


「貴方さえ……お父さんさえ良かったら、私たちの家に一緒に住む?」

「私たちの、家?」

「賢司と二人で住んでる家。一軒家だし、部屋も余ってるし。庭も広いから、お父さんの好きな家庭菜園もできるわよ?」

「いい、のか?」

「いいから誘ってるんだけど」


 そう言うと、父は「済まない、ありがとう」と言って涙を流した。黙って私と父のやり取りを聞いていた敦志は、何も言わずに私の頭を撫でた。


 父を連れて敦志の車に乗ったあと、父が「役所に行ってくれ」と言うのであの街の役所に行く。何しに行ったのか問えば、転出届を出して来たと言い、その行動の素早さにそう言えば自分も同じことをしたなと苦笑した。

 実家の権利書は既に洋治名義に変えており、父名義の通帳や実印などの貴重品も既に持ち出している。だから、あの家に帰る必要も、退院したことを告げる必要もないそうだ。

 優衣には離婚したことを告げてはいないが、そろそろ母親の口から伝わるだろうと、鼻を鳴らしていた。


 そのまま敦志に送ってもらい、もう一度敦志に番号とアドレスを教えてと言うと、ニヤリと笑って「貸しだ。次に会った時、覚えてろよ」とキスを落として帰って行った。何を言われるんだろうと思ったが、今朝と違ってまた会えるということに喜んだ。

 父を中に案内し、どの部屋がいいか決めてもらうと、父を連れて買い物に出かける。余分な布団と父のための食器、食材がなかったからだ。

 先に役所に行き、転入届を出して私の籍に入れると、大型スーパーに行って諸々の物を揃え、父の部屋のためのエアコンを買う。パソコンは必要かと問えば、パソコンは今のところ必要ないがタブレットが欲しい、ついでに携帯も新しくしたいと言ったので携帯ショップに寄った。

 私たち同様に父も携帯を一旦解約して番号とアドレスを新しくしたことに驚いた。その辺は似た者親子なんだなと、妙に納得してしまったが。


 夕飯の席で、父といろんな話をした。

 この家のこと。賢司の進路。敦志さんとの馴れ初め……。

 結婚するまで父が獣医師をしていたと聞いた時は驚いたが、賢司がこの家で開業したいと言っていたと話すと、父は「そうか」と何かを考え込んでいた。

 バイトから帰って来た賢司は父の背中を思い切り叩き、「これで許してやる」と笑いながら部屋へと行く。


 翌日、父が「車を貸してくれ」と言うので車を貸し、私は自転車で仕事に向かった。


 いろんなことがあった、この一年。これからもきっといろんなことがあるんだろう。


 父が会社を辞めて獣医師の修行をまた始め、賢司が大学を卒業する前に自宅を改造して動物病院を開業したことも。

 隣の空地が売りにだされ、それを買って家を増築し、庭を広げて家庭菜園を広げたことも。

 増築して賢司夫婦や父と仲良く住んでいることも。

「覚えてろよ」と言った敦志に散々抱かれ、そのことが元で出来ちゃった結婚し、敦志が父に殴られながらも、ずっと仲良く皆と一緒に住むことも。


 それは未来の話。



 ――敦志がくれた風船葛の種は、今日もその白い花と緑の風船を風に揺らしながら、いろんな幸せを見続ける。


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