忘れていた初恋 後編

 自宅マンション近くのスーパーに寄り、二人で手を繋いで買い物をするが、芸能人である義貴の存在に気づかない。

 いや、全く気づかれてないわけじゃないみたいだけど、「こんなところで芸能人が買い物してるわけがない」という先入観があるのか、義貴の顔を見ても「似てるわねー」なんて小さく呟くだけだ。

「いや、本人だから」と義貴と視線を合わせて笑っていると、「宇田川さん?」と旧姓で話しかけられた。話しかけられたほうを見ると、「やっぱり宇田川さんだ!」と、その人は嬉しそうな顔をした。

 誰だかわからず首を傾げていると、「中学一年の夏までクラスメイトだった、熊川だよ」と言われて、初恋の彼かと思い出す。


「俺、夏休みに会った時に宇田川さんに酷いこと言っちゃったってあとで気づいて、連絡網に書いてあった電話番号にかけたけど繋がらなくて。仕方がないから夏休みが終わったら謝ろうと思ってたのに、宇田川さん、急に引越しちゃったって先生から聞いて。誰も宇田川さんの行き先を知らないし……。あの時はごめん!」

「別にいいよ、今さらだし。昔の話だから、赦してあげる」

「良かった! それで、もしよかったら、俺と……」

「晶、誰?」


 熊川くんの話を遮るように、義貴が私の腰を優しく引き寄せながらそう聞いて来た。顔は笑顔、声も優しげ。でも目は笑っていない。

 おお、さすが俳優さん。演技力バッチリです。


「中学一年の夏休み前までの間、クラスメイトだった熊川くん。熊川くん、この人は私の旦那で義貴」


 そう言うと、熊川くんは呆然と私と義貴を見たあとで私のお腹に視線を落とすと、なぜか苦しそうに目を閉じた。


「そ、う、なんだ。デートと買い物の邪魔をしてごめん。懐かしかったから、つい話しかけてちゃった。それじゃ」


 力なく笑った熊川くんは、踵を返して別の陳列棚のほうに行ってしまった。


「何あれ。てか、何を言おうとしてたんだか」

「彼は、晶の何?」

「何、って言われても。さっき言った通り短期間のクラスメイトで、初恋だった人、かな。『もし、世界中で私と貴方の二人しかいなかったらどうする? 私を選ぶ?』って遠回しに聞いたらフラれたけど」

「何て言われてフラれたの?」

「『誰がお前みたいな根暗なんか選ぶかよっ! 世界中探し回って、別の人間を探す!』だったかな。涙を見せたくなくて、それを誤魔化すために大笑いしたら、あんぐりと口を開けてた」

「……なるほど、その顔に惚れたわけか」


 義貴の言ってることがわからず、頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにする。


「意味がわからないし。それに、あのCMを見るまですっかり忘れてたわよ」

「あのCM?」

「『初恋ショコラ』のCM。あのアイドルグループのリーダーと同じ顔だったの。でも、久しぶりに会った熊川くんは、あのリーダーとは似ても似つかなかったわね。義貴、買い物の続き、しよ? 今日は何が食べたい?」


 そんなことを言いながら歩き始める。そのうしろで、義貴が「鈍感。……でも、よかった」と呟いていたなんて、気にもせずに。



 初恋の人は、アイドルグループのリーダーとは似ても似つかなかったけど、それでもやっぱりあのアイドルグループは嫌いだと一人で納得。「冷しゃぶサラダうどんが食べたい」と言った義貴に、二人で材料を集めながら、明日義貴の事務所の社長さんやマネージャーさんにゼリーを持って行ってもらおうと考え、その材料もこっそりかき集めたのだった。



 ***



 おまけ



「義貴さん、迎えに来ました」


 彼のマンションに来たのは、自分がマネジメントをしている義貴の自宅だ。出迎えてくれたのは、義貴の奥さん。

 美人というわけではないが、可愛らしく、気立ての良い方だ。

 義貴が結婚する前はよく不摂生をして体調を壊していたが、結婚してからは、奥さん――晶さんが食事の管理をきちんとしているのか、体調を崩すことはなくなった。

 義貴や僕が所属している芸能事務所は、タレントが数人しかいない小さな芸能事務所だ。

 だが、その数人全員が稼ぎ頭だから、小さくてもそれなりにやって行ける。


 晶さんの両手には、小さな紙袋と大きな紙袋がぶら下がっている。それを見た義貴が慌てて飛んできて、大きな紙袋を持ち上げた。

 過保護はまずいが、どうやら本当に重たいものだったらしい。義貴が持っても、かなり重そうだった。

 それを見た晶さんが、紙袋を指してニコニコと笑っている。


「義貴、それ、必ず社長さんに渡してね? 事務所の人が何人いるかわかんないけど、多分足りると思うから」

「これなら充分足りるよ。ありがと」

「で、これは、義貴がいつもお世話になってる、マネージャーの大渡おおわたりさんに」

「僕に、ですか?」


 小さな紙袋を差し出され、それに困惑しながら首を傾げる。晶さんは苦笑しながらも、説明してくれた。


「今言った通りいつもお世話になってるし、奥さんあまり食欲がないんですって? 妊婦なのに、食べられないのはマズイと思うから」

「どうしてそれを……ああ、義貴さんですか」

「そうなの。野菜ジュースを使ったゼリーだし、大渡さんや子供たちも食べられるゼリーも入ってるから。あと、袋の中にゼリーのレシピと、奥さんが食べられそうなレシピも入ってるから、食べさせてあげてください」


 僕の妻の心配までしてくれているとは思わなかった。それがすごく嬉しくて、差し出された紙袋を受け取って中を見ると、小さなタッパに入っている茶色いものを見つけた。


「あ、そのタッパの中身は大渡さん自身に。今ここでちょっと食べてみます?」


 そう言われてタッパの蓋を開けると、中から一口サイズに切られているケーキが出て来た。それを一つ摘まんで口に放り込むと。


「『初恋ショコラ』、ですか⁉ こんな沢山、よく買えましたね!」


 その味はコンビニスイーツの『初恋ショコラ』というケーキだった。常に売り切れていて、僕や妻もまだ二、三回しか食べたことがない。

 これだけの量をよく買えたものだと感心していたのだが、晶さんが突然ニヤリと笑い、義貴は苦虫を噛み潰したような顔になった。そのことに首を捻る。


「んふふー。義貴、私の勝ちね! 千疋屋のゼリーの詰め合わせ、五箱ヨロシクねー! 二箱は彩んとこに持って行くんだから、絶対に忘れないでよ?」

「くっそー。わかってるよ!」

「あの……義貴さん?」


 わけがわからず、義貴と『初恋ショコラ』を見比べる。


「それは買ったものじゃないんだ。昨日晶が、俺の目の前で作ったやつ」

「え、でも、これはどう見ても『初恋ショコラ』ですし、味も『初恋ショコラ』そのものですよ⁉」

「まあ、晶の特技が特技だから……。誰にも……大渡さん一人の胸のうちに閉まってくれるって約束するなら、教えてやる。じゃあ晶、行ってきます!」

「行ってらっしゃい。大渡さん、それ、帰るまで冷蔵庫に入れておいてくださいね。奥さんによろしく。義貴、社長さんにと千疋屋、忘れないでよね!」


 そう言って晶さんは、僕と義貴を送り出した。



 ――車の中で聞いた晶さんの特技はびっくりしたが、納得のできるものだった。

 もちろん、誰にも言わない。いや、言えない。


 誰かに喋ったら、即、事務所も芸能界も辞めると脅されたから。

 そもそもスカウトした時も、条件が『結婚を許してくれること、結婚したら奥さん優先。それを破ったら即退社』と言ったくらいだ。

 義貴は、やるといったらやる。そんな義貴に惚れられた晶さんが可哀想なのか、そんな義貴を手玉にとり舵をとっている晶さんが凄いのか……。



 それは誰にもわからない。


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