百合色あやかし怪奇譚

まり雪

第一幕 出逢い

鬼の凄む山①

 燃える。燃える。


 1人の少女が、その光景に魅入っている。


「ママ」


 返事はない。


「パパ」


 鼓膜を震わすのは、ただひたすらに何かが爆ぜる音。


美月みつき


 鼻腔を襲うのは、淡々とタンパク質が焦げる匂い。


「……どこ?」


 あの日から、どうしようもなく久遠凛月くどおりつきという人間は壊れてしまった。



* * *


「次は~小田越おだごえ~、小田越~」


 間延びした運転手の声で、夢から覚めた。 


 あれから10年も経っているのに、未だにあの光景を、頬を撫でる熱を、人間が燃える匂いを、忘れられない。


「……はぁ」


 一体いつまでこうして生きていかなくてはならないんだろう。悪いことなんて何もしていないのに。


 あの日から、ずっと悪夢に囚われたまま生きてきた。ため息の一つも出ようというものだ。


「小田越~通過しま~す」

「……え?! あ、あのごめんなさい! 降ります!」


 凛月の叫び声に、バスがガクンと急停止する。


「困りますよお客さーん。もう少し早く教えてくれないと」

「すみません! すみません!」

「次から気を付けてね。ここら辺バスの数少ないんだから、乗り過ごしたりしたら大変だよ」

「はい……」


 中年らしくどっぷりと腹の出た運転手。その渋い顔から逃げ出すように、両手でスーツケースを持ち上げてバスのステップを駆け降りる。


「う、うわぁ!」


 そして恥ずかしさのあまり最後のステップを踏み外した凛月は、マンガみたいに派手にバスから路上へ転げ落ちた。


「ちょっと大丈夫?!」

「……大丈夫、です……」


 目も当てられない失態続きの自分に、顔を真っ赤にする凛月。


 だというのに、さっきまで握りしめていたスーツケースはなぜか落下せず、凛月を嘲笑うかのように見下ろしていた。


「ははっ。慌ただしいね~お嬢さん。それにしても、そんなナリで山登りかい?」


 バスから降りてきた運転手が、スーツケースを地面に降ろしながら凛月に手を貸してくれる。


「す、すみません……」


 助け起こされた凛月の服装は、白のワンピースに桜色のカーディガン。そして、年齢よりも若干幼く見える顔面を隠すようにつばの広がった純白の帽子。


 ほかに客がいないからか、運転手も気さくに話しかけてくる。


 都会ではこんなことありえない。


 これが田舎か……と、凛月は密かに驚いていた。


「えっと、あの、実はここに祖母の家があるみたいで」

「家……? ああ! あんた、もしかして月子つきこさんのお孫さんか何かかい?」

「そ、そうです、けど」


 正確には『どうやら孫らしい』が正解だが。


「なんだなんだ、それならそうと早く言ってくれよ~!」


 急に親しげになった運転手に、一歩引いてしまう凛月。


 昔から、人と話すのは得意じゃない。


「珍しい髪の色してるから、もしかしてと思ってたけどね。そうかそうか」

「……そうですか」


 無自覚とはいえ、触れてほしくない部分にずかずかと入りこんでくるこの感じ。


 正直、あまり好きではなかった。


 転んだ拍子に頭からこぼれ落ちた帽子に肩まで伸びた髪をしまい込み、凛月は1秒でも早くこの場から離脱しようと試みる。


「えっと。それじゃあ、お世話になりました」

「あ、ちょっと待って待って」


 だというのに、運転手が大声で凛月を引き留めた。


「な、なんでしょう」


 あからさまに困惑する凛月を気にする風もなく、運転手は大きな声で喋り続ける。


「これ、時刻表」

「え?」

「買い出しとか、このバス使わないといけないからね」

「そ、そうなんですか」

「そうなのそうなの。ここら辺には気の利いたお店なんてありゃあしないのよ」


 そう言いながら、運転手がぐるりとあたりを見回す。

 

 凛月もそれにつられて視線を動かした。そんな凛月の目の前に広がるのは、夕焼けで真っ赤に染まった山。山。山。


 確かに彼の言う通り、自然以外になにもない。


「そうみたい、ですね」


 私にぴったりだ、と凛月は視線を巡らした。


「はっは。お嬢さん、ここに来るのは初めてだろう? 道なりに少し進んだところにロープウェイ乗り場があるから、詳しい話はそこのおばちゃんに聞きな」

「わかりました。あの、色々すみません」

「いいってことよ。じゃあ、気をつけてな。もう夕暮れ時だし。まあ、久遠家の人間なら問題ないとは思うが」

「……? は、はい。ありがとうございました」


 久遠家の人間なら問題ない? 


 そんな意味深な言葉を残して、バスは行ってしまった。


 少しずつ小さくなっていく緑色の車体を見送りながら数秒、凛月は首をひねる。


「まぁいいか。それよりも」


 今は陽が落ちる前に目的地にたどり着くことを優先した方がいい。

 

 こんな見知らぬ土地で真っ暗闇の中を歩くのは、ちょっと困る。


伊吹山いぶきやまロープウェイ乗り場はコチラ』


 スーツケースをがらがらと引きずりながら、古びた看板の案内に従ってロープウェイ乗り場を目指す。


 確かここのロープウェイは午後6時までの営業だったはず。


 空いている手でスマホを見ると、今はまだ5時30分を過ぎたところ。かなり余裕がある。


 そのまま5分ほど舗装された山道を進むと、眼前に『伊吹山ロープウェイ乗り場』と掲げられた木造の建物が見えてきた。


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