第57話 嫉妬

私は友達が少ない。

スマホの電話帳を見ても、身内である孝介さんとみゃー、両親、みゃーママは当然として、友人となると花凛ちゃんといろはさん、サツキちゃん、後は無理やり登録させられた大学の池谷さんの名前があるくらい。

念のためにお隣さんも登録しているが、それを合わせてもちょうど十件。

電話帳の機能が無くても憶えられる件数だ。

メッセージがたまに入るだけで、通話に使うことも少ないし、常にミュートでバイブも切っている。

が、珍しく電話がかかってきた。

画面に「池谷」と表示される。

今をときめく女子大生が、いったい私に何の用なのだろう。

「もしもし」

私が電話に出ると、近くで新聞を読んでいた孝介さんが「ん?」と反応した。

まあ私の通話相手は孝介さんが一番多いし、次いでみゃーである。

その二人が居間にいるのだから、誰からだ? という反応になるのも仕方がない。

『あ、タマちゃん? 以前に言っていた猫カフェ行かない?』

猫ならサバっちが、これまた珍しく私の膝の上に乗っている。

「今ラブラブなので」

孝介さんが、「え?」という顔をした。

『どういうこと? あ、旦那さん? それとも飼っている猫ちゃん?』

「ええまあ。主人より長い付き合いですからね」

孝介さんがちょっと身を乗り出す。

読書中のみゃーが、チラッと横目で私を見た。

私の頭に、良からぬ考えが浮かんできた。

いつも鷹揚おうように構えている孝介さんは、果たして嫉妬にさいなまれるのか。

『そっかぁ、飼っている猫ちゃんとはそんなに長いんだぁ。じゃあ猫カフェに行くと浮気になっちゃうね』

まあ長いと言っても、サバっちとは孝介さんより少し前にみゃーが仲良くなっただけですが。

「浮気は私のポリシーに反しますので」

孝介さんが新聞を置いた。

みゃーがチラッと孝介さんを見てから、再び本の文字を追う。

『じゃあ猫カフェ以外で遊ぼうよ』

正直、あまり気は進まない。

池谷さんには好感を持っているけれど、一緒に遊ぶとなると気を使う。

「今日は主人もいるので……」

孝介さんが腰を浮かしかけた。

読書で目が疲れたのか、みゃーが眉間みけんをぐりぐりしてから軽く私をにらむ。

『うーん、やっぱり彼氏とは違って家事とかもあるし、そんなに自由に遊べないかぁ』

「ええまあ。もう彼氏じゃないので昔のようには」

孝介さんが立ち上がった。

『昔? 昔はタマちゃんもそれなりに遊んでたの?』

「いえ、そういうわけではありませんが、昔に戻る気もないので」

孝介さんが意味もなく居間をうろうろする。

『あ、なんだ、そういうことか。彼氏から旦那さんになって、それでも今が一番だから自由に遊びたくないんだね』

なかなか鋭い人なのです。

「まあそんなところです。だから、ごめんなさい」

孝介さんが元の場所に座る。

読書に集中出来ないのか、ページを戻してみゃーが溜め息をく。

『いいっていいって。でも、気が向いたら遊んでね』

「はい。ではまた」

電話を切る。

私は何も無かったかのようにサバっちを撫でてから、おもむろにノートパソコンを開く。

「み、美月」

また孝介さんが身を乗り出す。

「何ですか?」

「い、今の電話、誰からだ?」

「……孝介さんの知らない人です」

嘘は言ってませんし、答えるまでの間が大事なのです。

「いや、でも……」

孝介さんは混乱しているようだ。

ここで私の発した言葉を列挙してみよう。

今ラブラブ、主人より長い付き合い、浮気はポリシーに反する、今日は主人がいる、もう彼氏じゃないので昔のようには、昔に戻る気もない、だからごめんなさい。

あーら不思議、まるで元カレと話していたかのようじゃありませんか。

「その、ちゃんと聞いたことが無いかも知れんが、お前、昔に付き合ってた男性とかいるのか?」

読んでいた本のページをめくるついでに、みたいな感じでみゃーがチラッと孝介さんを見る。

その一瞬のチラッという視線に、こーすけ君バカなの? というみゃーの冷徹さが表れていた。

恐ろしい。

私がみゃーと知り合ったのは高校からなのに、それ以前にも彼氏などいなかったことを見抜いているのだ。

みゃーの洞察力が恐ろしい。

……あれ? それってちょっと失礼じゃない?

タマちゃんに元カレなんているわけ無いじゃん、と確信してるわけで……。

まあ、それはともかく。

「つ、付き合ってた男性なんていません」

嘘は言っていない。

答える時にちょっと詰まっただけなのです。

「いや、そうは言ってもだな、さっきの電話の内容は……いや、まあ、昔のことを詮索せんさくするのは良くないな」

ああ、愛する人にいてもらえるというのは、なんと甘美な心地よさなのでしょうか。

今すぐ抱き付いて頬擦りして頭をナデナデしてあげたくなりますが、ここは心を鬼にして演技に徹しましょう。

「電話は……同じ大学の人です」

嘘は言っていない。

私は正直者なのです。

だが孝介さんは目をいた。

勝手に元カレが同じ大学にいると思ったのかも知れませぬ。

ふふふふふ、元カレは私に未練タラタラで、私を追って同じ大学に入学、主人がいると知っていても諦めきれないほどの恋情を抱いて、なんてストーリーが孝介さんの頭の中に──ん?

みゃーが読んでいた本を閉じて、机の上に置いた。

な、何か冷気のようなものが。

「タマちゃん」

「は、はい」

「電話の相手は池谷さん、だよね?」

「お、おっしゃる通りです」

恐ろしい。

みゃーの洞察力が恐ろしい。

「紛らわしい受け答えは、わざとじゃないよね?」

「め、滅相もないです、はい」

みゃーは念押しするかのように私を見据えてから、今度は孝介さんに目を向ける。

「こーすけ君」

「は、はい」

「タマちゃんに元カレとかいるわけ無いでしょう?」

ひ、ひどい。

「いや、でも、美月は美人だし」

孝介さん孝介さん!

「知り合ってから四年以上、タマちゃんに男性の影がチラリとでも見えたことがあった?」

「な、無いです」

「タマちゃんは美人で不器用で男性が苦手で、でもこーすけ君にはぞっこんで、いつでもどこでも寝ても覚めても孝介さん孝介さん。何か言うことは?」

「あ、ありません」

「じゃ、二人とも読書の邪魔しないでね」

「はい」

「はい」

恐ろしい。

瞬時に私の謀略を見破り、孝介さんの疑念を吹き飛ばす。

「それからこーすけ君」

「は、はい」

「私も、タマちゃんと同じだからね」

あ、ズルい。

怒ってからそんな可愛らしいこと言って、誰よりも純真な目をして孝介さんを見つめるとは。

結局、妬くのは私で、デレた孝介さんのすねに蹴りをお見舞いするのだ。

えいっ!

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