白い手とコーヒーの香り

新聞配達のバイクのエンジン音が段々と近づいてくる、何度となく止まっては走りだし、やがて遠のいていく。


朝早くからご苦労な事だ。

電子媒体の時代だ…。

紙媒体の新聞なんてものは

後10年もしたら無くなるかもしれないなー。

新しい事が始まれば、

成長と共に衰退していく物もあるのだ。

仕方が無い。

しかし人間ていうのは、世の中が便利になる度に衰退していくのだろう。

書籍を読まない人間はどうなっていくのだろうか。少なくても最近の若い人は善悪の判断が出来なくなってきているのは本を読まなくなったからではないだろうか?

考え無い人間は想像力が欠落していくに違いない。



人を批判するのは簡単な事だ。

しかしいくら批判しても過ぎていった時間は戻せない…。


 妻が入院してから1ヶ月がたった。

家の事は任せきりで何一つわからない。

最近コーヒーを飲んでいないのは、

淹れてくれる人がいないからというのもあるが、私のお気に入りのコーヒーがどこのメーカーかわからないからだ。

仕事にかまけて彼女の体調に気にも止めず…。いつまでも当たり前の日々が続くと思い込んでいた。


乳癌だった。

しかも末期の…。


毎日病院には顔をだすものの、

実際には手の施しようが無いほど進行しているらしく、日に日に弱っていく彼女に何もしてあげられない無力感に苛まれるのだ。


おつかれさん!

 

なんて間抜けなあいさつに


彼女はうっすらと微笑む。

管のついた手を力なく布団からのばしてわたしの手の温もりを確める。


白い手だ…。

元から抜けるような白い手だったけれど、

今は白いを通り越して、血色のない透き通るような透明な手だ。


冷たいねー。

またちょっと痩せちゃったな。


悲しそうな目でこちらを見る。

こんな時に気の利いた事を言えない自分がとても嫌になる。


私は何に祈れば良いのだろうか?

神様?仏様?それともイエスキリスト?

アラーの神?

宗教なんていうのは、

心の慰めだ。

悲しい気持ちを誤魔化す為に、

都合の良い時だけ、神様仏様と頼るのだ。



先生?

先生…?


あ、あーどうした?


最近ダメだ。

物事に集中できない。

彼女を失う事がどれだけ私をダメにするのか…。


天井を見上げながら、目を瞑って自分の精神を現実世界に引き戻す。

ここは私の研究室。

ゼミの生徒に講義を行う為に

与えられた部屋。


コーヒーお淹れしましょうか?


あ…。

あーありがとう。たのむよ。


二回生の麻倉深月か…。


昨日私が好きなドリップコーヒーのパックを買ったんですよ。

カルディーコーヒーはご存知ですか?


いや。

わからないなー。


コーヒーはやっぱりインスタントより、

ドリップが好きなんです。

コーヒーの香りってなんか癒されるじゃないですか。



カシューナッツの甘い香りと、トロピカルフルーツのようなさっぱりとした酸味が特徴。さわやかで、すっきりとしたコーヒー…


って書いてありますけど、

私は正直よくわかりません。


そういいながらティファールの赤い電気ポットから沸いたお湯をドリップの入り口にさしていく。

初めは粉が湿る程度に注いでしばらく待つんです。そうしたらいい具合に蒸らされて、香りが引き立つんですよ。


たしかに…甘いナッツの様な香りが

心地よい。

ん…?この香り…。


どうぞ。


あっ

ありがとう。


味気ない白い紙コップから香るこの心地よいナッツの香りは間違えなく、妻が毎朝いれてくれていた珈琲の香りだった。




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