居眠り

 コップが倒れた音がした。その音で目が覚めた男は、突っ伏していた体を起こして辺りを見渡した。だが、どこで倒れたのかを把握することが出来なかった。しかし、男は確かにマグカップのような重たい物が倒れた音を聞いた。幸い中身は入っていなかったようで液体が零れる音はしなかったが、どこで倒れているか分からないので落とすかもしれない。そう考えた男は倒れたコップを戻そうと両手で机の上を探ったが、なかなか見つけられなかった。そこで男は立ち上がり、更に腕を伸ばして捜索範囲を拡げることにした。

 男はまずは利き手側に腕を動かしたが、肘に何か当たった感覚があった。思わず動きを止めるが、すぐにバサバサという紙の束が崩れる音が耳に飛び込んでくる。慌てて食い止めようとしたが、崩壊を助長させてしまったようで、記憶にある高さより随分低い位置にてっぺんがあった。そして集める為に急いでしゃがんだものの、何処まで滑っていったのかが見えない。男は何とか手探りでかき集めたが、今度は机が何処か分からなくなってしまっていた。

 丁寧に紙束を整えた男は、踏まないようにその場にそっと置いて慎重に手を伸ばした。しかし、その手は何にもぶつからなかった。今度はゆっくりと立ち上がって、おそらく机があるだろうという方向に一歩踏み出す。途端に床が滑るように動いて、バランスが取れずに後ろに倒れそうになった。集め損ねた紙でも踏んだのだろう。だが、男は何か台のようなものにぶつかり倒れずに済んだ。

 ぶつかった物を触って確かめていると、最初に音を立てたのであろう倒れたマグカップに触れた。台のようなものは机のようだった。漸く見つかったコップを元に戻す。だが、ぶつかった拍子にペン立てが倒れていたらしく、ガシャガチャと無機質な物が落ちる音が耳に届いた。音の方向へ机を伝って歩いていったが、床に散らばったはずのペンは一本しか見つけられなかった。小さく溜息をついた男は、ペン立てを片付けることを諦めて誰かに助けを求めることにした。

 男は携帯を取り出そうと胸ポケットを叩いた。しかし、そこに携帯は無かった。慌ててポケットというポケットを叩いたが見つからない。もう一度胸ポケットを叩こうとした時、仮眠をとる前に携帯を充電器に繋いだことを思い出した。完全に何も見えない状態で、携帯の充電器を探し出すのは困難だろう。男は、直接人を呼ぶためにドアを探しはじめた。

 一先ず、机から見て左側の壁に手をついた。記憶が正しければこのまま一つ角を曲がればドアがある壁の筈だ。そう考えた男は慎重に歩を進めたが、その考えが甘いことをすぐに思い知った。何も置いていないはずの角にスチールラックがあったのだ。想定していなかった棚に思い切りぶつかったせいで、置いていた物が落ちたり倒れたりする音がやたらと大きく響いて聞こえた。男はこの後の片付けを思うと気が重くなったが、お陰で現在地を把握することが出来た。これ以上散らかさない為に、慎重に棚に手をついて立ち上がり、右側へと方向転換した。あとは真っ直ぐ歩けばドアのある壁だ。男はゆっくりと一歩一歩を確かめるように歩いた。そして棚という支えが無くなった瞬間、何かに躓き、その躓いた物を蹴り飛ばした。ガランガランと円柱状のものが転がる音がして、ゴミ箱を蹴ってしまったことがすぐに分かった。痛みで蹲っていた男はついでにゴミを拾い集めようとしたが、今度こそドアの位置がわからなくなるかもしれないと思い、体の向きを変えないように立ち上がってまた歩き出した。

 男はそこから更に数分か、十数分かけてドアに辿り着いた。疲労感からドア横の壁に手をつくと、パチリという音がして、部屋が明るくなった。突然の光に目が眩む。部屋全体を照らし出す光にようやく目が慣れてきた男は、振り返って惨状を目の当たりにした。

 丁寧に整えていたはずの書類はそこら中に散らばり、ペン立ての文房具はひとつ残らず机の上や床にぶちまけられている。スチールラックの小物やお土産なども落ちたり倒れたりしていて、幾つか壊れてしまっているものもあった。一番手前には壁の方を向いて転がるゴミ箱とその付近に放り出されたゴミや食べ物のカスなどが無惨にも広がっており、かなりの有様であった。

「あぁ、こりゃ酷い。コップしか元通りになっていないじゃないか」

 男は思わずといったように呟き、もう一度部屋を見渡して頭を振った。

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