マスターキー
鍵が落ちている。シンプルだが防犯性の高い、ディンプルキーだ。思わず辺りを見渡した。三百六十度ぐるりと見える範囲を確認したが、周りには安っぽいマンションや築年数の古そうなボロアパートしか見当たらず、ディンプルキーの持ち主が住んでいるようには思えない。茶色いレザーのキーカバーがついた鍵を、太陽に翳した。
持ち主は誰か? そしてその持ち主はどこに住んでいるのか? 分からないことの方が多いが、できる限り本来の場所に帰してやりたい。落とされたままというのはあまりにも悲しい。鍵は、大切な物の為に存在している。
思考を切り替え、いつものように持ち主の行動をその場でなぞる。カバーの擦り切れ方からみて左利きだろう。鍵を左手に持って、地面と平行に鍵を差し込み、解錠の動作をする。傍から見れば変人、一歩間違えれば通報ものだが、先程見渡した際に人がいないことも確認している。差し込んだ鍵から手を離し、その少し下にある、先程までは存在しなかったドアノブを捻って見えないドアをくぐった。
「八百、お前拾った鍵でもいいのか。節操無しだな」
壁一面を埋め尽くす時計と、鍵の並んだ棚で形成された通路をぶつからないように慎重に通り抜けた先、アンティーク調に揃えた作業机で鍵と戯れている人物に声をかけた。今日は男の姿らしい。戸棚に隠してあった珈琲を勝手に淹れて、返事を待つ。返事が無いまま一分ほど続いた金属音だったが、結局開けられなかったのか男は顔を上げた。
「うるさいな。だいたい、鍵矢がわざわざ拾った鍵を持ったまま自分の鍵を出して開けるのが面倒臭いとか言うから、解錠魔法を書き換えて鍵じゃなく鍵矢自身にしてやったんだろ」
「そうだったか? まぁいい。これ、このディンプルキー。視ろ、何年物だ?」
未だ文句を続けようとした八百の前に先程拾った鍵を差し出した。八百は眼が良い。視力が良いという意味ではなく、魔法的な意味で、だ。生まれつきスキャン機能付きみたいなもので、オマケにサイコメトリーまで兼ね備えている。以前に便利そうだと言った際には、いくら魔法が使えない人間でもデリカシーくらい知っているだろうと小言をくらった。うるさい奴だ。
「……二〇〇八年から二〇一〇年物。まだ鍵が全盛期で、ピッキングによってこの形の鍵が普及し始めた頃の、ニホン製かな。何処で拾ったの? これ一個だけ? ……まぁいいか、」
「これはお前へのお土産じゃない。帰すべき鍵だ。後できちんと許可取って複製してやるから」
いそいそと鍵を棚に仕舞おうとしている背中に断りを入れる。途端に分かりやすく落ち込んだ八百は、作業机の前に置かれた応接セットのソファにうつ伏せに倒れ込み、そのまま左方向を指さした。
「……その時代のディンプルキーの番号はあっちの棚。趣味程度だし、時代が時代だからあんまり期待しないで。……ていうか、鍵矢がそう言ってちゃんと複製してきたの、片手で数えられるくらいなんだけど」
すっかりいじけてこちらをブツブツと責める八百を無視し、指定された棚の前で解錠の動作を行う。黄色っぽい古い光に棚からの青い光が重なるのを見ながら、八百の優秀さと魔法の便利さを実感した。
俺は所謂旧世代と呼ばれる人間で魔法が使えない。なので、八百は俺でも使えるようにアイテムを媒介した魔法を組んでくれている。そのアイテムが鍵であるのには、一応理由がある。と言っても大した理由ではないが。
八百は旧時代の化石ともいえる鍵のコレクターで、鍵の製造番号や製造元、種類など様々な情報を集めている。だが、その趣味のために一度容疑をかけられたことがある。そしてその場にたまたま居合わせ、うっかり容疑を晴らしたのが俺だった。その流れで職業が探偵紛いの鍵屋だと知られ、懐かれて半同居状態になり、今に至るという訳だ。八百は勝手に弟子を名乗って俺の世話を焼いているが、魔法使いとのスケールの違いをごく稀に痛感することがある。
例えばこの空間。構造をよく知っているものには魔法をかけやすいらしく、この作業場兼自宅も隅々まで精査された後に、実空間に存在しないというとんでもハウスに改造された。まぁ何処からでも出入りできるのは便利であるし、作業がしやすいので強くは言わないが、ある日帰ってきたら店が丸ごと消えていたのには驚いた。内装も、作業机や道具しか無かった店舗は魔改造に魔改造を重ねられて八百の私物が並び、幾つかある空き部屋に勝手に住みつかれている。
勿論、追い出そうとした。俺は本来一人が好きだし、他人に気を遣うことも好きじゃない。だが、八百がいると仕事が早く終わることに気がついて諦めた。探し物一つとってもこの有様なものだから、口にはしないが悪くないと思っている。それに、本人が嬉しそうなのだから放っておくのが吉だ。
青い光が消え、扉がゆっくり開く。棚の中に一つだけ置かれたファイルを手に取り、薄く光る頁を開いた。
「あぁ、これだ。……ん、この鍵が使われている建物はもう無いな。取り壊されたのは……つい最近か」
「住人じゃないってこと? じゃあどうやって特定すんのさ」
「それはほら、お前の出番だよ八百。特徴は左利きで……恐らく二十代前半。今日俺が来た辺りでよく立ち止まる癖がある。祖父母か曾祖父母が亡くなっているな。この鍵はそのどちらかの形見だろう。なぞるのは表面だけでいい。急いでくれ。」
魔法使いづかいが荒い! と言いつつも、手袋を外した八百は直接鍵に触れた。数秒も経たないうちに目を閉じたままの八百が零す言葉を拾っていく。
「うん、女、二十代前半、立ち止まって辺りを見渡して、道の端の……花? 拝んでる。んー、会社勤め、パワハラに……セクハラ、うわぁ同僚からのいじめも。家は……高層かなぁ、でも新築っぽくは無い、広くも無い。えっ嘘、彼女テレパス持ちだよ珍しい」
「家の特徴もう少し拾えないか」
「鍵が動く範囲しか拾えないんだから、ちょっと待って」
制止するように手のひらを突き出した八百を横目に、旧人類向けの移動扉を設置する。
「特徴、特徴。あ、防火扉が青ってのは特徴にならない?」
「いや、でかした八百。テレパス対策済みの高層マンションで、二十代前半の女が住める、防火扉が青の所は一つしかない」
場所が分かれば楽に移動できる。ベルトに通していた幾つかの鍵束の中から、藍色に近い鍵を差し込んでドアを開けた。
抜けた先はどこかのマンションの屋上だった。先に通ったはずの鍵矢の姿が見えず、慌てて左右を見渡すと、左の柵に向かって歩いていく姿が見えた。小走りで隣に並んで分かったのだが、鍵矢が向かう先には、柵の向こう側に立っている女性がいた。
「近づかないで!」
女性が金切り声で制止する。かなり錯乱しているようで、下手に刺激すると飛び降りてしまうかもしれない。思わず歩みを止めたが、鍵矢は構わず歩きながら話し出した。
「近づかなければ鍵を帰せないだろう。それとも、鍵を落としたことに、本当に気が付かないほど憔悴してた?」
鍵矢の言葉に女性はビクリと肩を揺らした。おそらく否定の言葉を紡ごうとしたのだろう。だが、開いた口から音が出る前に鍵矢は続けて言った。
「違うよな。マチダユウ、お前はこの鍵を落としたんじゃない。誰かが拾って大切にしてくれることに賭けて、置いていったんだ」
「なんで、名前、違う、私は本当に落として、」
「常に持ち歩いていたのに? この鍵はお前の精神安定剤になっていた。なのに、落としてから少なくとも二日はあの場所にあった。気が付かないはずがない。死ぬ前の身辺整理の一環といったところか……まぁ、いい。俺は鍵を帰せたらそれで満足だ。」
鍵矢の長い脚は、彼女が動揺している間に彼女のすぐ目の前へと彼の体を運んだ。コートのポケットから件の鍵を取り出した鍵矢は、柵を掴んでいた彼女の片手を外し、その手に鍵を握らせる。そして満足気に一つ頷いた後に、興味を失ったようにこちらへ体を向けた。
「待って……」
歩き出そうとしている鍵矢のコートの裾を掴んだ彼女は、か細い声で助けを求めた。既に鍵を帰してどうでもよさそうな鍵矢は、こちらに目配せをしながら面倒臭いという顔を隠さずに言った。
「……部屋は余っている。アルバイトもテレパスなら募集中だ。条件は鍵が好きなこと。八百、後は好きにしろ」
鍵矢はこれ以上話すことは何もないと言いたげに裾を掴まれたままのコートを脱いで、ドアノブを捻った。
その日から鍵矢の作業場兼自宅は、テレパス対策が施された空間になった。
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