指数関数

 妻は完璧なシンメトリーだった。耳の形から睫毛の先まで、左右全く同じなのだ。それを意識してのことなのか、彼女は前髪をいつも中央で分けていた。男は妻の額が好きだったが、少しやりすぎだろうとも思った。


 人間の体というのは左右対称なようで実は違う。我々はそれに慣れているから、たとえば顔の半分を反転複写して作った写真を見たりすると、ちょっと不気味に感じる。自然とは得てしていい加減なもので、完璧さとは不自然なのだ。


 彼女の異常に、男は初めから気がついていた。その完璧すぎる容貌に対し彼は形容しがたい不安を感じたが、それ以上に彼女は美しかった。彼はその完全性の虜になったのだ。初めてのデートで、彼女が何気なく自分は両利きなのだと打ち明けたとき、男はこの人と一生添い遂げようと決意した。こんな人、ほかにはいないと思った。


 だから、地下鉄で見た光景を、彼はにわかには信じられなかった。端に座った彼の斜め向かい、自動ドアの前、見知らぬ男の腕の中に、彼は妻の姿を発見した。浮気などあり得なかった。妻は彼のとなりに座っていたのだ。硬直する彼の頬に、妻の細く、冷たい指が触れた。柔らかな口づけを受けて、男は驚くことも、考えることもやめた。妻はいたずらっぽく微笑んだ。


 双子の娘は妻に似た。つまり、完璧なシンメトリーだった。母を真似てか、彼女たちも前髪を中央で分けた。生まれつき両利きだった。父の溺愛のもと、二人はすくすく育った。成長するほど母に似た。母の方はというと、全く年を取らないようだった。男は妻の不老を確信し、それを透明な感覚で受け入れた。


 いやに明るい満月の夜、二人の娘は両親に別れを告げた。このとき娘たちはちょうど二十歳で、容貌は母と、文字通り完全に一致していた。月明かりに照らされた二人を眠気まなこで眺めているうち、男は妻と出会った頃を思い出したが、数が増えていたので苦笑した。男はまた、妻の親類をひとりも知らないことを思い出し、なんとなく納得した。大方ひとりの母と、双子の姉妹がいるのだろう。「結婚するのか」と彼が聞くと、ふたりは声を揃えて「そうなの」と答えた。彼は黙って頷いた。妻を見ると、あのキスのあとのように微笑んでいた。再び娘に顔を向けると、ふたりはもういなかった。男は寝直すことにした。妻は一足先にそうしていた。


 コピー用紙を四十回折ると月に届く。そんなことを考えながら、男は妻を抱きしめ、瞼を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る