第6話

 練兵の閲覧があった翌日の午後、弘紀はまた使用人の着物を着て隠し通路から御殿の外に出た。今日は参勤の荷物を広間に揃える日。弘紀の裁決が必要な段階は過ぎていて、必要な物は全て揃った、という報告を後で加納から受けるだけだった。

 

 部屋の中でじっとしているわけにはいかない。弘紀にはやることがあった。

 御殿から出て足早に二の丸門から三の丸に抜けた。いつもは必ず足を向ける長屋にも目をくれず、弘紀は一直線に大手門へ向かう。


「船番所から荷を運んで来いとの用事を奥で言い使ったのです。外に出てもいいですか」

 大手門を出る時にちょっと身構えて、でも緊張は気付かれないよう慎重に門番に話しかけると、相手は気が抜けるほど緊張感皆無な顔でこっちを見た。少し眠そうだ。

「構わんぞ。何だ、今日は薪を担いでいないのか」

「薪割りは朝のうちに終わりました」

「そうか。戻ってきたらまた声を掛けろ」

 度々この格好で城内を歩いているので、弘紀のこの姿を見慣れた門番は疑いもせず通してくれる。城の外から入ろうとする人間には厳しいが、城の中からやってきた使用人姿の人間まで見咎めるのは、門番の仕事ではないだろう。

 この城の主であることも気づかれず、弘紀はあっさりと大手門をくぐって城の外に出た。以前、藩主の装いのまま一人で外に出ようとしたら、切腹覚悟の門番に体を張って止められたことを思い出す。


 城の主であることを公にすれば城から出られず、使用人の着物に身を包めば簡単に外に出ることができる。


 変な話だな、と思いながら、正面の砂浜の上空、弘紀はいつも近くにいるはずの鶚の姿を探してみた。ぐるっと見渡しても近くに翼影はなかった。目を凝らして水平線近く、海面を窺いながら飛翔している大きな鳥の姿がそれのようだ。それだけ確認すれば満足で、弘紀は目的地の船番所に向かって走り始めた。


 船番所は、大手門の外の道を真っすぐ城下町に向かってすぐ、一町ほどのところにある。そのぐらいの距離だから、小走りに行けば直ぐに番所に出入りする人々の姿が見え、話し声も次第にはっきりと聞こえてきた。


 羽代の港を管理する船番所前の海面は、ちょうど朝に一度引いた潮が戻り始めた頃合いで、穏やかな波は規則的に艀を打って小船を揺らしている。沖には大型の荷船が数隻舫っていて、その周りを囲んでいる何艘もの小舟と荷の上げ下ろしを行っているのが見えた。

 羽代に入る荷物は大きな荷船からいったん小舟に下ろされて港に運び込まれ、代わりに羽代で積まれる荷が小舟で荷船へ運ばれる。どちらの荷も、事前に届け出ている帳簿との照合が行われる。手間はかかるが、長年の海商い人は心得たもので、小舟ごとに乗せる品物を変えて番所に横づけ、役人による照合を効率よく受けている。


 弘紀は修之輔が今日この時間、船番所の荷下ろしを手伝っていることを知っている。その姿を探すと、修之輔は荷を下ろしている最中の船の横、帳面を繰りながら荷の内容を改めているところだった。すぐに走り寄りたい気持ちは抑えて、いくつかの木箱がまだ船に積まれたままであることを確認する。


 目当ての物はあの辺りと見当をつけ、弘紀は修之輔の傍に近づいた。気づいた修之輔が弘紀にわかる程度、珍しく少し驚いた顔で周りを見回した。

「弘紀一人で来たのか」

「探し物があるのです。ちょっと舟の中に降ります」

「危ないから気をつけろ」

「はい」

 修之輔の気遣わし気な視線が後ろから追ってくるのを感じながら弘紀は船の中に下り、まだ運び出されていない木箱の中に、羽代城あての荷物票が貼られた物を見つけ出した。上に乗っていた箱は弘紀一人で退かすことができたが、目当ての木箱は重くて押しても引いても動かない。


「修之輔様」

 ずっとこちらを気にしていたらしく、呼ぶと修之輔は直ぐに弘紀の側にやって来た。弘紀は目当ての箱を修之輔に指し示した。

「この箱をいっしょに運び出してくれませんか」

「勝手に運び出すことはできない。許可は」

 言いかけて修之輔の言葉が途切れた。弘紀を前にして誰の許可がいるのだろう、と考えたのだろう。弘紀は懐から書付けを取り出した。

「番所の役人にこれを渡してください。奥の滝沢の名義で、城あての荷物を私に持たせるように、と書いてあります」

 内容は滝沢が弘紀の意を受けて指示を出した、という体面になっている。まさか藩主本人が取りにくるとは思わないだろうが、修之輔から書付を見せられた役人は頷いて、使用人姿の弘紀と修之輔に木箱の運び出しを許可した。


「どこまで持って行けばいい」

「あの大手門前の砂浜まで」

 二人掛りでもその木箱の重さは腕に堪えた。何とか砂浜に辿りついて箱を下におろして弘紀が大きく息を吐いていると、その箱をどうするんだ、と修之輔が聞いてきた。

「ここで城の中から手伝いに来る者を待ちます。修之輔様、もう船番所に戻られて良いです」

 もうその手筈は済んでいる。そして、弘紀が待つのは城の中の者だけではない。

「誰かいた方がいいんじゃないのか」

「あまり目立ちたくないのです。門番もそこにいますし、それに何かあったら貴方はすぐ、来てくれるでしょう。船番所の仕事に戻ってください」

 木箱を運ばせておきながら、目的の場所に置いて早々、強引にこの場から去らせようとする弘紀に、修之輔は文句を言うわけでもなく従った。弘紀がこう言い出したら、もう他が何を言っても聞かないことは分かっている。

「何かあったら、直ぐに呼ぶように」

 周囲を見回して門番の姿を確認し、本当に直ぐに城の中から人が来るんだな、と念を押してから修之輔は船番所へと戻って行った。


 その背中をしばらく見送って、残った弘紀は一人、小太刀の代わりに帯に挟んでいた鳶口で木箱の蓋を開け始めた。蓋と箱の隙間に鳶口の先を差し入れて力を入れると、案外簡単に外れた蓋が、砂の上に転がった。

 早速中を除くと、木箱には洋銃が数丁、油紙に包まれていた。弘紀が思っていた通りだった。


 油紙を避けて銃の表面を指でなぞる。ゲベール銃だ。だが、ありえない凹凸があちらこちらにある。状態がひどく悪い。二、三回使えればいい方だろう。一度顔を上げて、修之輔が船番所に戻っているのを確認した。近くだから大丈夫。


 砂浜に両膝をついてじっくりと箱の中の銃の数と状態を確認していると、背後に砂を踏む音が聞こえた。

 こちらも、弘紀の予想通りだった。


「おおい、持って行く荷を間違えていないか。それは儂が運ぶのを頼まれた荷だ」

 弘紀はしゃがんだまま、顔を隠す前髪の影から相手の顔を透かし見た。

 狐のような細い目の若者が飄々と立ってこちらを見ている。簡素な小袖袴の姿だが、砂浜を苦も無く歩く脚力と、見かけよりも厚い肩幅が武術に秀でた者であることを示している。

 城下の虎道場の道場主、寅丸だ。


 寅丸は話し掛けた相手の身分に気づかないまま、こっちじゃないのか、と自分が抱えている箱を示した。その箱の外見は、今弘紀の足下に置かれた箱にそっくりで、でも一人で運べるぐらいの軽さのようだ。確かに中身は違う物だろう。だが。


 弘紀は無言で立ち上がった。

 海風が吹いて顔を隠していた髪が吹き上げられて、弘紀の華やかに整った目鼻立ちが露わになる。羽代の藩主である弘紀の顔を知っている寅丸は、反射的に膝を突こうとして、そのままで、と弘紀に制止された。

「この箱に張られた朝永の印影、偽造された偽物だ」

 弘紀は自分の足下の木箱を指し示しながら、前置き無く話し始めた。

「これまでに何回か、城へ荷を運び入れる時、届け出のあった荷の量と番所で付けた記録の荷の量が食い違うことがあった。城の荷物だからと番所の役人が目溢ししていたらしい。もしかしたら誰かの甘言に欺かれてのことかもしれない」


 このゲベール銃は、誰かが羽代城の荷物票を偽造してこっそりと藩内に持ち込んだ物だった。

「寅丸、以前、私は其方にこの荷物票を数枚託して上方や長崎へ派遣した」

「使用しなかったものは既にお返ししています」

「分かっている。さっき言ったはず、これは偽造された物だと」

 託された荷物票を使い切る前、寅丸は心得のあるものに密かに偽造させ、その後、それを用いて物品の密輸を行っていた。このことについては、ひそかに寅丸の周囲を探っていた田崎から既に報告を受けている。

 調査が終わり、田崎が遣わした隠密の気配が無くなって、もはやバレることはないと高を括って寅丸は密輸を再開した。それが今、弘紀の足下にある木箱に入ったゲベール銃である。

 横から攫われた初荷を寅丸本人が取り戻しに来たことで、密輸の事実に確証が得られたことになる。


 波打ち際のゲベール銃の箱に波が被る。潮が速度を上げて満ちてくる。

 弘紀は寅丸を見据えた。


「この銃で私は襲われた。許可なく羽代にこの銃を持ち込んだのは、寅丸、其方だな」

 昨年末、弘紀は、弘紀の朝永家当主就任に反対する実の兄に命を狙われた。兄が放った刺客は銃を装備していて、事前にそれを察知した田崎とその配下が襲撃の前、命がけで射手を殲滅した。

「だが一方で、あの時、其方に救われたのも事実」

 鉄砲を欠いても手練れの雇われ剣客十数人を相手に、深手を負いながら弘紀を守る修之輔の危機を駆けつけた寅丸が救った。それは直接ではないが弘紀を助けたことになる。

「あの銃が、よもや私に向けられるとは思いもしなかったか。自分の商いの結果が何をもたらすか、人がなぜそれを求めるのか、深く考えないまま金銭と品物を交換するだけの商いは、己の知らないところで禍になることがある」

 弘紀は身を屈め、箱の中からゲベール銃を一つ、取り出した。

「それ以前にそもそも、この銃は質が良くない。大きな商いに浮足立って、西洋の銃と聞けば飛びつく田舎者と欺かれたまでのこと」

 己の企みが途中から自分の手を離れて動き始めたこと、商いの相手に見くびられていたことをあからさまに指摘され、寅丸は黙って砂に目を落とす。


「己の理想にかまけて人を疑うことを知らないか」

 弘紀の視界に、砂浜をこちらに向かってやってくる人影が映った。弘紀にとっては正面でも、背を向けている寅丸は気づいていない。

「とはいえ、寅丸、其方の隠れた商いに確たる証拠があるわけではない。むしろ命を救われた方にこそ、あの場に居合わせた多くの者の証言があるだろう」

 その手に銃を持ち、足元にも数丁のゲベール銃が入った箱を置いたまま、証拠がない、という弘紀の真意を察しかねて、寅丸が顔を上げた。


「寅丸、任務を一つ、言い渡す。必ず遂行するように」

 寅丸の背後には、弘紀の様子を察して戻ってきた修之輔が近づいているが、弘紀は寅丸が自分から気を逸らすことを許していない。

 修之輔は慎重に足音を消していて、海風に鳴る砂も周囲の音を曖昧にしている。既に目を見交わせる距離、弘紀は寅丸に気取られないよう軽く修之輔と目を合わせてから、寅丸に目線を戻して任務について告げた。

「首尾良くし通せたなら親の代からの身分の回復を約束しよう。中途で失敗しても、引き受けられないからとこの話を断っても、それで罰したりはしない。だがこの藩には要らない者として扱われる、それだけだ」

 これ以上話すことはない、と語尾を切って、足を半歩、後ろに引いた。

 同時に、ざ、と砂を踏む足音を立てて、修之輔が二人の間に割って入り、弘紀を背に庇った。

 寅丸が顔を上げ、二人の姿を目に映す。修之輔は刀の柄に手を掛けている。長覆輪ではなく、主従の契約の証に弘紀から贈られたその刀は、鞘に塗られた黒漆が昼の陽を受けても青白い光を微かに零す。

 修之輔の友人でもある寅丸は、修之輔とは目を合わせず、膝を付いたまま一礼してすぐに立ち上がり、砂浜を街の方へ去って行った。


「弘紀」

 修之輔の声音には心配と忠告が滲む。

「大丈夫です」

 弘紀の口元に浮かぶ微笑は、修之輔を宥めるためのもの。それを見て軽くため息をつき、修之輔は視線を弘紀の肩越し、波打ち際の木箱に向けた。満ちてきた潮が木箱の中を次第に海水で満たしている。

「もともと古いものなのです。潮に洗われれば、もはや手入れ無しにこの銃を使うことはできません。分解して潮を抜き、また組み立てる、そこまでの技術を虎丸は持っていないでしょう。このまま置いて田崎に回収させ、まだ使える部品を別の銃へ流用させます」

 弘紀が大手門を振り返る。今その名を出した田崎が、数人を従えてこちらに向かってくるところだった。

「手伝っていただき、ありがとうございました」

 弘紀はそういって軽く修之輔に頭を下げた後、田崎らとすれ違う様に大手門を通って城の中へと戻っていった。

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