アパートの隣人は俺の新しい抱き枕

穂村大樹(ほむら だいじゅ)

第1話 鍵を無くした女の子

 この四月から大学生になった俺、瑞野拓実みずのたくみは大学に通うために地元を離れ、大学まで徒歩十分程のアパートに引っ越して来た。


 実家からでも大学に通えない距離ではないのだが、毎日長い時間をかけて通学をするのも面倒くさいので実家から通うか一人暮らしをするか悩みに悩んでいた。

 そんな時、賃貸情報サイトを物色していると駅近で日当たり良好、スーパーやコンビニも徒歩十分圏内にあるという好立地の物件を見つけ一人暮らしをする事に決めた。築年数が古いのは玉に瑕だが贅沢は言っていられない。


 引越しの際、家具家電はもちろん趣味でやっているゲームやギターをも持ってきたのだが、その何よりも最優先で持って来た物がある。


 それは "抱き枕" だ。


 恥ずかしい話ではあるが俺は昔から抱き枕が無いと眠れず、その癖が抜けないまま大学生になってしまった。

 抱き枕が無いと眠る事が出来ないため、抱き枕を持ってくるのは何を持ってくるよりも最優先だった。ベッド下の十八禁コーナーでさえ抱き枕には敵わない。


 修学旅行とか地獄だったからね。


 抱き枕が無くて眠れなかった、という訳ではなく、抱き枕がないと本気で一睡も出来ないので修学旅行に抱き枕を持っていったのだが、同級生からの目線が辛かったのだ。あれは本当に恥ずかしかったなぁ。全裸で歩いてる変態男を見るような同級生たちの目線はトラウマレベル。


 まあ要するに、恥を忍んで修学旅行に持って行く程俺にとって抱き枕は無くてはならない存在なのだ。

 しかも、俺が愛用している物とは別の抱き枕では眠る事が出来ないという偏食家っぷり。


 抱き枕が無くなる、それは俺自身がお亡くなりになる事とイコールだと言っても過言ではない(過言)。




 ◇◆




 大学生活を初めて一ヶ月が経過し、新しい友人も出来て少しずつ大学生活に慣れてきた頃、大学の中を歩いていると何かが落ちている事に気が付いた。


 何が落ちているか気になったので近づいて拾ってみると、キーホルダーに取り付けられた家の鍵だった。

 しかもこの鍵、俺が持っているアパートの鍵と種類が同じな上、律儀にペンでアパート名が記されており、そのアパート名は俺が住んでいるアパートと同じ名前なのだ。どこからどう見ても俺と同じアパートの住人の鍵だという事は間違いなかった。


 拾うべきかこのまま落としておくべきか悩ましいところだが、今俺がここで鍵を拾ったところでどの部屋の住人の鍵かも分からないし、そのままにしておくか。


 ……いや、誰かに鍵を拾われて悪用されても困る。一度は拾うのを躊躇った俺だが、結局落ちていた鍵を拾ってポケットに入れた。


 今すぐ持ち主に届けてやりたいところだが、講義を受けなければならないため鍵を届けるのは講義が終わってからにしよう。


 そう思い講義に臨んだが、俺が講義を受けている間も鍵の持ち主が困っているのではないかと考えると講義の内容は全く頭に入ってこなかった。




◇◆




 講義を終えた俺は急足で帰宅し、五分でアパートに到着した。一旦自分の部屋に入ろうと思っていたが、隣の部屋の玄関の前にちょこんと座りこみスマホを弄っている黒髪ロングの清楚で可愛らしい女性がいた。


 家に入らず、いや、入れず扉の前に座っているという事はあいつがこの鍵の持ち主か。探す手間が省けたな。

 地べたに座っている女性がこの鍵の持ち主だと断定した俺は迷わずその女性に声をかけた。


「あの、すいません」


「……なに」


 俺が声をかけるとその女性は不機嫌そうな声で、俺を睨むようにこちらに顔を向けた。そんなに睨まれたらもう家の鍵返さないんだからね‼︎


 --ん? なんかこの人目尻が赤いような……。


「これってあんたの鍵?」


 俺が鍵を見せるとその女性は目の色を変え、立ち上がって俺の方へ飛びついてきた。いや近い近い近い恥ずかしいんだけど。うん、でもこの人が貧乳でよかった。この距離巨乳なら俺に当たってるから。


っ痛‼︎ え⁉︎ なんで今俺殴られたの⁉︎ エスパーか何かですか⁉︎ 急にほっぺ平手打ちとか恐ろしい子‼︎


 というか近づいて確信したがこの子、家の鍵を無くして泣いてたんだ。腫れた目に赤みがかった鼻先を見ればこの子が泣いていた事は容易に断定できた。


「なんであんたがそれ持ってんのよ‼︎」


 --え? 俺怒られてる?


 大学に落ちていた隣人の家の鍵を親切に届けたこの状況、感謝される事はあれど怒られる事はまずあり得ない。無くした鍵を拾ってくれた恩人なのだから、せめてお礼の一つや二つ言うのが礼儀ってもんじゃないの?


「え、いや、なんでって今日拾ったんだけど」


「返してよね、気持ち悪い‼︎」


 そういうと女性は俺の手から鍵を奪い取り、家へと入っていった。


 ……え、なにこの虚しさ。めっちゃ悲しいんだけど。

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