第2話
これは、僕と彼女の、僕にとっては希望となる物語である。
高校三年生になった僕は、毎日を特に理由もなく憂鬱に過ごしていた。これは、のちに彼女と出会ったことで自覚したことで、それまでは自分が常に憂鬱な気持ちを抱えていたことにさえ気がついていなかった。
夏休みがもうすぐ始まる七月上旬、教師たちが秋に迫る進路選択をほのめかし始めて、僕たち生徒が若干の焦りを抱き始めた頃、僕は学生におけるマジョリティに属していた。つまり、進路に対して全く準備を進めておらず、そもそも自分のしたいことが見当たらない、いや、探そうともしていない怠惰な学生だった。
この不景気の中、一体どの職に就けば安泰に過ごせるのか。きっと、そんな確かなものはもはや存在しないのだろうと思う。まして、進路選択をしたことで幸せになれるだなんて都合のいいことは、これっぽっちも思ってはいない。
僕は教師から配られた、一見価値のあるように見える進路選択表をペラペラと仰ぎながら周りを見た。クラスメイトたちは何故か笑顔を浮かべながら楽しそうにグループを自然に形成して話し合っている。僕は友達がいないため、誰かと相談することはない。そもそも、相談して意味があるとも思っていない。
当然僕の持論なんて全く気にすることもないクラスメイトたちの笑顔を見て、このクラスにいる全員が成人して社会に出たときに、どれほどの人間が今と同じ笑顔を保持することができるのだろうか、と想像してみた。無意味なことで、想像してみて後悔するような未来が見えてしまうことだと分かっていたにもかかわらず、僕は、それでも想像するという愚行をはたらいて少し憂鬱になった。無意識のうちに、僕は進路選択表を机の引き出しにしまっていた。
おそらくくしゃくしゃになっている進路選択表をかばんに詰め込んで、ホームルームを終えた僕は昇降口に向かった。そこで下靴に履き替えていると、廊下から声が聞こえてきた。
「はい、君にはこの花をあげる!」
「え、あ、ありがとう?」
一人の女子生徒が、持っていた一本の花をもう一人の女子生徒に手渡していた。
僕は最初、てっきり顔見知りで花の受け渡しが行われているものだと思ったのだけど、花を受け取って困惑している様子の女子学生を見るに、どうやらそういうわけでもなさそうだった。
僕は奇妙な光景を見てなんとも言えない気持ちになった。なんとなく視線を外せずに二人を見ていると、花を渡した女子生徒が不意にこちらに視線を寄越してきた。そして、僕と彼女の目がばっちりと合ってしまった。本能的に身の危険を感じた僕は、急いで靴箱に上靴を収納して出口に向かおうと身を翻した。けれど、嫌な予感は的中し、彼女は僕の肩を叩いた。このまま無視をするわけにもいかないので、僕は渋々、恐る恐る彼女の方を振り向いた。
「こんにちは」
真っ直ぐな目だな、というのが間近に迫った彼女の第一印象だった。ただし、不気味なほどに輝く笑顔を僕に向けた彼女からは、その感情を窺い知ることが全くできない。
今の光景を見たことに対して彼女が口封じを要求してくるのかと身構えたけれど、次に彼女から発された言葉に僕は思わず首をひねった。
「君の花はねぇ……あれ、思い浮かばない」
彼女の奇怪な発言に僕は完全に怯え切り、信じられないといった表情で僕を見る彼女に、僕はそっくりそのままの表情を返したくなった。けれど、生憎僕の表情筋は長らく稼働しておらず、彼女のように彩りのある表情を作る技術は持ち合わせていない。仕方なく、僕は彼女がおとなしく身を引いてくれるのに期待しながらイレギュラーなこの状況が晴れることを待った。
「…………」
彼女は難しい顔をしながら僕を睨み続けている。傍から見れば、きっと僕が悪者で彼女が正当に怒っているように見えるのだろう。そもそも僕は怒られてもいないはずだけれど。
「……ねぇ、この後、時間あるかな?」
ようやく口を開いた彼女から出た言葉の意味を理解するのに、僕はそれなりの時間を要した。
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