第3話

 驚愕と不審が辺りに伝播した。にわかに信じがたい事であったが、それを伝えに来た加ヶ里の右足は言葉を裏付けるように腿からべったりと血に濡れている。

「人数は」

 行列の先頭にあっても加ヶ里の声を聞き取ったのか、背を向けたままの原が加ヶ里に尋ねた。

「およそ二十二、三と思われます」

 行列を構成する人数よりやや少ないが、こちらは腕におぼえのある者ばかりではなく、襲撃者の方に手だれが揃っていると考えれば血の気が引くほど危うい状況だった。

「本当なのか」

「そもそもなぜ女人が田崎様の伝令など」

 疑念が出るのも無理のない事だろう。だが修之輔は、すぐに弘紀の姿を探して視野に入れ、走ってその側へと移動し始めた。

 刹那、脇の雑木林の奥から鉄砲の音が聞こえた。

 田崎の手勢が打ち取ったのではなかったか、と考え、いや、あれはこちらへの合図だと気づいた。修之輔は声を上げて周りの者に告げた。

「ここにいる者すべて、直ちに抜刀しろ。敵が来るぞ」

 その言葉の終らぬうちに、加ヶ里が転がり落ちてきた山肌から、多数の人影が飛び出してきた。沸くように次から次へと現れる襲撃者たちは既に抜刀していて、準備の間に合わなかった者達が数人、斬られた。

 抜刀にすら手間取る身内に襲い掛かる刃を修之輔が打ち払って、思い切り袈裟懸けに切る。致命傷ではあるがとどめを確実に刺すようにと、震える手でようやく自分の刀を抜いた身内に告げて、間髪入れず、前に飛び出してきた黒い影の胴を無造作に切り裂いた。これのとどめも他の者に任せた。自分が成すべきことは速やかに多数の戦闘能力を奪う事だと、修之輔は判断していた。

 松風に騎乗する弘紀の下まであと数歩というところで、敵の刃先が松風の腿を突いた。痛みと驚愕に後足で立ち上がる松風は背から弘紀を落とし、身の軽い弘紀はそれでも地面に打ち付けられる前に受け身を取って、だが起き上がる時に体勢を崩したのが見えた。

 弘紀の姿を見とめた敵の一人がその身を斬ろうと刀を振りかぶった背中は、修之輔の斬撃で切り裂かれた。間髪入れずに修之輔は背からその者の心の臓を貫いた。

「弘紀、そこの駕籠の影に」

 貫いた体から刃を抜き、担ぎ手に打ち捨てられた駕籠の脇に弘紀を誘導する。駕籠は道の山肌側に転がっていて、これでこちらの面からの攻撃は考慮に入れずに戦うことができる。

 弘紀を背後に庇って、周りを見渡すごく僅かな時間ができた。

 田崎配下の烏は、おそらくその主戦力すべてを鉄砲隊の殲滅に振り向けている。味方は戦闘に慣れていない者が大半、原のいる前方部分は十人程度の敵が囲い、行列を真っ二つに分断している。自分の他に剣を使える者は、と見回して、絶望的ともいえる戦力に血の気が引く。

 弘紀と自分のいる行列の後方部分に刃を向ける敵、十名程は手練れと見えて、これらを実質、修之輔一人で相手にしなければならないということだ。

 背後の弘紀に言葉短く、怪我はないかと尋ねると、足を捻って走ることができない、という答えが返ってきた。急な落馬でその程度で済んだのなら幸いだが、本来身体能力の高い弘紀が、その動きを制限されていることは状況をより困難なものにした。

 田崎は交戦に入る前に加ヶ里以外の伝令を最も近い番所に走らせている筈で、その知らせによって援軍がここに到着するまで、弘紀を守り切ることが修之輔の唯一にして絶対の使命だった。

 味方の覚束ない応戦の間を縫って、やみくもに斬りかかってきた二、三人は直ぐに切り捨てたが、同じ場所に留まり続けている修之輔の足元には流れた血が溜まり始めていた。

 上段から斬りかかってきた刀を避けようとしてその血溜まりに足を取られて一歩よろける。すかさず打ち込んでくる一太刀は躱したが、二太刀目で左わき腹を背中にかけて、熱い筋が走ったと思った。致命傷ではないが深手となる傷だった。

 ぬかるむ血に足を取られて立ち上がれず、次の攻撃を避け切れないと覚悟したとき、修之輔の背後から伸びた鞘のままの太刀が相手の刀を払った。


 辺りに響く高い金属音。


 翻って再び打ち下ろされる敵の刃を、駕籠の影から立ち上がった弘紀が長覆輪の鞘で止めた。それは以前に修之輔が弘紀に教えた沙鳴きの技そのものだった。

 体勢を立て直す余裕を得た修之輔は、弘紀に刃を止められている敵の脇腹を深く抉った。背中まで食い込む刃が腹を横に裂いて、対峙する弘紀にその血が降り注ぐ。弘紀の目が見開かれたままと分かってはいたが、血まみれの刃で相手の首を斬った。

「弘紀、助かった。よくやってくれた。後はあそこの影にいればいい」

 血を全身に浴びて動きを止めた弘紀の様子を見て、修之輔は弘紀の肩をそっと押した。駕籠の側にもう一度、その身を隠させる。手早く、けれど怯えさせないように。多少の返り血はあったが自分の羽織を脱いで頭から弘紀に被せた。

 それ以上の余裕はなかった。直ぐに新手が二人がかりで襲ってきた。一人は一度刃を止めて、残りの一人がこちらに斬りかかるのを待って手首を返した。狙うのは刃を止めた相手の手首に走る血管。

 こちらが命を奪う首か胴を狙ってくると考えていれば、手首へ集中した攻撃への備えは意表を突くことになる。深く相手の手首を切り裂くと、噴き出た血潮がもう一人の視界を奪う。早さを減じた刃を上から地面に叩きつけ、半歩で背中に回って首を刺した。

 手首を裂いた者は刀を持てずに取り落とし、自分の体から失われる血液に呆然となっている。すでに戦闘の意志は喪失しているが、先にもう一人の首を刺した刃を抜いて、そのまま首を斬った。胸を指すより、頭を割るより、もっとも簡単に命を奪える場所だ。

 修之輔は自分の周りに倒れている者の手から刀を奪って足元に寄せた。弘紀から借りた刀には人脂がこびりつき、凝固した血液が絡んで既に切れ味が落ちている。新たな刀が必要だった。

 死体から取り上げた刀を構える。これで何人斬ったことになるのか。当初より頭数が減って視界が広くなっていた。自分の傷からも血は流れて、その分頭が冴える気がした。

 が、唐突に、その自分の傷を中心にして体の力が急激に抜けるのが分かった。軽く体の均衡を崩した修之輔の様子を見逃さず、すかさず真っ直ぐに攻撃してきた者の刀を払おうとして力が足りない。両足に力を込めて、体全体を捻るようにして次の斬撃を受け、力の入らないことを利用して不意を突いて力を抜くと、相手の方の足が踏鞴を踏んだ。隙を逃さずに背中から脇にかけて太刀を下ろし、斬撃は与えたが、そこでもやはり力が足りなかった。既に動きの鈍い相手の体に二度三度と繰り返し太刀を加えて血まみれの体が動かなくなった時、修之輔は自分の行動が焦燥で制御できていないことに気づいて、一瞬、天を仰いだ。

 修之輔の周りにはあと三人、動けない相手を執拗に切り刻む修之輔の鬼気にたじろいで、三人ともに刃を構えた。同時に攻撃してくるつもりだろう。


 凌ぎ切れるのか。いや、全員を倒さなければならない。

 倒せるのか。いや、それよりも弘紀を守らなければならない。

 弘紀を逃がすほうが先か。いや、弘紀は逃げないだろう。


 全てを諦めれば共にここで死ぬことになると、だがそれも悪くはないかと一瞬、真白になる思考の片隅で囁く声。眼前に舞う雪片の幻影。

 

 それはとても幸福なことのように思えた。


 背後の弘紀を振り返ると、弘紀は先ほど被せた羽織から顔を出してこちらを見ていて、修之輔は案外に穏やかに見える弘紀のその瞳と見つめ合った。

 それはほんの一秒にも満たない時間だったのかもしれないが。


 息を吐いて心を静めた。もし自分が駄目だとしても、せめて二人とは差し違える覚悟で、残る一人にも手傷を負わせられれば弘紀が逃げ延びる可能性がある。何としても弘紀の命をここで絶たせるわけにはいかない。

 向かい合う残された三人の敵と睨み合って、刀を振り上げるその一瞬、修之輔は肩から力を抜き、刀を下ろした。意表をつかれて敵は戸惑い、だが好機と見て斬りかかる、その切り替えの間に。


 真中の者の喉から刃が生えた。


 何が起こったか分からぬまま、地に倒れ、断末魔の痙攣に蠢く仲間の姿を他の二人が見下ろす。その片方を、背後から急襲した何者かの刃が屠り、残る一人を胸元に走り込んだ修之輔が切り倒した。

 血が滴り落ちる刀を下げて周りを見れば、この場に立っている者は味方以外にはいなかった。


「間に合って良かったな」

 背後から敵を急襲した者が、緊張感のまるでない声音で修之輔に声を掛けてきた。それは来る途中、農作業をしている姿を見かけていた寅丸だった。

「畑におったら血相を変えて走ってくる見知った顔があってな、急いで援軍に駆けつけろと時代錯誤な事を云っておるから何事かと、儂ら数人で走ってきたのだ」

 乱闘で乱れた息を整える修之輔に、走ってきた割りにはさほど息も切らせていない寅丸がそう説明してよこし、その途中、駕籠の影から立ち上がった弘紀がいるのに気が付いたらしい。

「おい、あれが藩主様だな」

 そう云って弘紀の方に向かうのではなく、振り返って背後の味方に知らせるよう、大声で告げた。

「藩主様はご無事だぞ」

 安堵の声がそこかしこから聞こえてきた。寅丸が、あっちにも知らせてこよう、といって、原たちがいる方へと小走りに去った。


「弘紀」

 修之輔が名を呼んでも弘紀は何も返答せず、だが修之輔の側に近付いて、また動かなくなった。昏い表情で顔を伏せる弘紀に寄り添っていると、そう経たないうち、近くの番所から寄越された手勢が到着した。

 寅丸とその仲間は、大きな怪我のない身内の救助を手伝っている。敵のうち、まだ息がある者は止めを刺さずにそのまま身柄を拘束し、死ぬ前に取り調べを行うという事だった。

 怪我人の救護と死体の搬送、そして隊列の再配置と、急遽生じた事態の始末は、まず、日のあるうちに行列が城内に帰還することを最優先に進められた。

 道沿いの一件の民家を一時召し上げて、再出発できるまで弘紀の身をそこに匿うことになり、数名がつぶさに民家の中の安全を確認した後、弘紀が、秋生だけでよい、とだけ云って、他の者を民家の外に出した。

 番所から寄越された役人の間にどうするか戸惑う気配があったが、残るように言われた修之輔が護衛の任についている者であり、人手はあるだけ欲しい外の様子に、結局、修之輔一人に弘紀の世話が任されることになった。

「これを弘紀様に」

 そう云って修之輔の手には、弘紀の着替えが渡された。弘紀が着ている桔梗色の着物は、瀟洒な刺繍が分からないほど返り血に赤黒く染まっていた。このまま城下町に入るわけにはいかない。修之輔は弘紀の着替えを框においてから、民家の土間にあった桶を借りて軒先の水がめから水を汲んだ。少し力を入れると脇腹の傷が痛んでまた血が滲んだ。

「弘紀、着替えを」

 そう声を掛けても、弘紀は返答することもなく、ただ土間に立ってじっとしている。

 弘紀の袴帯に手を掛けて何も言わず、修之輔もそれ以上は何も言葉を発しないまま弘紀から袴を取り、帯を解いて小袖も脱がせた。下に着ている単衣の胸の辺りに返り血が滲んでいたが、新しい小袖を着れば隠すことができる。

 修之輔の手になすがまま、所々に血の染みが滲む単衣一枚の弘紀を框に座らせた。言葉を発しないのは茫然としているというより、動揺が強すぎて話をできる状態ではないからだと、不安定に揺れ続けるその瞳を見て修之輔は気づいていた。

 修之輔も無言のまま、弘紀が袂に持っていた青海波の手拭いを水に浸して絞り、弘紀の顔に着いた血や土、汚れを拭った。腕を持ち上げて、胸元あたりにも触れて、怪我はないか確認していく。上半身に目立った怪我がないことに安心して弘紀の腕を下ろすと、ようやく弘紀がぽつりと言葉を漏らした。 

「人をあれだけ切ることが、これほど大変なこととは思っていませんでした」

 弘紀の言葉を聞きながら、屈みこんでその足を拭う。左の足首は捻挫をしているようで、赤く腫れていた。だが怪我らしい怪我はそれだけだった。単衣の裾を直してやって立ち上がると、弘紀の手に袖を強く掴まれた。

「あんなに、あんなに血がっ、どうして……っ、母上……」

 自ら発した言葉に弘紀自身の混乱が煽られて、けれど口から出せない言葉は震えとなって弘紀の全身に広がっていく。修之輔は土間に倒れ込まぬよう弘紀の身体を抱きとめて、けれど弘紀の恐慌は深刻さを増して行った。

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