第5話
次の鐘が鳴ればそれが宿直開始の合図である。
前番にあたっている者たちは鐘の音と共に三々五々、持ち場に散った。修之輔も原について三の丸へ向かったが、当然慣れた場所なので見廻りにも時間はかからない。修之輔が今夜ここに配属されたのは新参者への配慮なのだろうか。最初の見廻りが終わって早々に、原と共に控え部屋に戻った。次の鐘まで待機になる。
控え部屋では遅番にあたる者達がそこかしこに集まって雑談をしていた。原はさっさと一人で部屋の隅に座り込み、目を閉じている。まだ勝手が分からない修之輔は身の置き場に戸惑ったが、何回か城内で見たことのある者がいて声を掛けてくれた。立派な体躯に声も大きい。
「秋生だったか、そなた新参か」
「
「外から来たのか」
「はい、羽代に所縁のある方から紹介して頂きました」
「外からきて城詰めか、珍しいな。羽代に係累もいないのだろう」
「係累はいないのですが、剣を少しやっていたのでそれを買われたのだと」
「お、秋生は剣を使うか。俺も城下の道場で鍛えた口だ、今度手合わせ願おうか」
城下の道場と聞いて、もしやと思い寅丸の名を出すと、そうそう、と大きく笑いながら、なんだあいつの知り合いか、と急にくだけた口調になった。
「寅丸から面倒見てやってくれと頼まれていたが、そうか秋生のことか。あいつ、会えばわかるとか適当な事を言っていたから、いったい誰のことかと思っておったのだが」
急に快活に話しだす外田の様子に、暇を持て余している者達が寄ってきて会話に加わる。外田が彼らに修之輔を紹介した。
「秋生は剣をやるらしいぞ、寅丸の道場にしばらくいたらしい」
「ここ最近見かける顔だとは思っていたのだ。あまりに容貌がそれだから、さてどこのお方の小姓上がりかと思っていた」
誰かが漏らしたそんな言葉に外田が呆れたように云う。
「お前、下手に夜這いなどかけてみろ、
「剣の腕で仕官したと知れたなら、そんなことはせんわ。そもそも色小姓上がりなど、こちらの気が擦り減るだけよ」
上のお方と面倒なつながりがあるのが一番厄介だ、という言葉は、ここまでの話とまとめて聞き流すことにした。だが、新参者に興味津々な周りはそうそう簡単に流してはくれないようで、直接修之輔に聞いてくる者がいた。
「それであれか、秋生には
生真面目というより、単純な興味で聞いてきてるのは分かるのだが、この新たな職場でどのような態度で返答したらよいものか、修之輔が困惑していると、思いがけず部屋の隅から原が助け舟を出してくれた。
「秋生は今、羽代に係累がないと言っていたではないか。念兄でも家中におれば、それこそ小姓枠で仕官が通っているだろう。このような雑務をせずともよいはずだ」
そうか、放っておかれるような顔ではないが、と納得して引き下がってくれたのは有難いが、弘紀のことを思うと的外れな推測でもなく、否定しづらい面があるのも否めない。
しかし修之輔は数えで二十三才、この年にして念兄を持つ身と見られるのも無理があるし、かといって弘紀を
「しかし念兄など、だいぶ古臭い言葉を持ち出したな」
今の若い奴らには知らん者もいるんじゃないのか、という外田も、そう年を取っているようには見えない。せいぜい二十代後半だろう。
「今は使わんか」
「西の方ではまだそういうことがあると聞くが東北の方では、たしかご法度になった藩もあるときく」
「どうしてだ」
「主君よりも相手の方への忠義を優先してしまうからだと」
「はあ、そんなものかね」
「だって考えてみろよ、相手が男でなくたって、例えば西川様は城のお仕事より奥方優先、軽んじでもしたらしばらく家での夕飯抜きらしいぞ」
「そうなるとそりゃあ、主君より奥方、というより、夕飯に忠義を尽くしていることになる」
当直の控え部屋に笑い声が満ちた。
「しかし係累がないと言えば、弘紀様もそうだな」
深更に近付く控え部屋で、次に移った話題の先は弘紀のことだった
「先代だった兄上はどうも政務に向かず、次兄の
「では妾か側室か」
「そういう話でもないようだ。子をもうけてもその子を自分の子として育ててはいけないらしい。そんなところに誰が大事な娘を嫁がせようと思うものか。まして妾など、なんの得にもならん」
「では
「それでさっきの話よ、係累が無くて困るのは弘紀様だと」
「賢いと評判の弘紀様のこと、これからなにかお考えになるのかもしれないが」
継ぐ言葉を誰も見つけられないまま、けれどいずれはどうにかなること、と話題は他へ移ろっていく。
「今でこそ弘紀様の後見に田崎様が付いておられるが、今後は田崎様と加納様の御両人が藩の中心になるのだろうか」
「弘紀様のご意向次第と言うところだろうが、いくら後見とはいえ弘紀様は田崎様の言いなりになるようなお方ではなさそうだな」
「弘紀様は加納様との仲があまり良くないと聞いたが」
「仲が良くないというか、まだ馴染んでないのでは。そもそも加納様は先代の家臣であったのだし臆するとこともあるだろう。年も倍ほど違うのでは」
「この頃は、だが臆することなく加納様に意見しているのを聞いた者がある」
「弘紀様は問題ないだろう。なんにしろこの羽代の藩主なのだから。だが加納様が田崎様を嫌っているという話も聞いたことがある」
「田崎様、か」
しばし沈黙が辺りを支配する。誰もが言いたく聞きたいことを口にできない空気の重さに耐えかねたか、
「最近どうなんだ、
居心地の悪い沈黙に一抹のざわめきが混ざる。
「奴らなどと言って、どこに潜んでいるやもしれんぞ」
あまりにも異様な雰囲気に、修之輔は小声で
「烏とやらはそんなに恐れられているのですか」
弘紀は田崎が直接使う配下だと言っていたが、ここの話ではどうも様相が違うようだ。控え部屋は先ほどまでの快活さが影をひそめ、神妙な顔をした外田が、修之輔のその問いかけに抑えた声音で答えた。
「連中はどこにでも潜んでいて、狙った者を闇に葬るのだ。消されたものは死体も残らず、ただその存在だけがある日ふっと消えるのだと言われている」
それではまるで狐狸のまやかしの類ではないかと思い、けれど辺りの雰囲気は暗く澱んで互いが互いの発言を推し量る隠微な緊張が漂っている。
その緊張の狭間から、ぼそぼそと周りから次第に声が漏れ始める。
「しかしこれほど話題に上がっても、烏というもの、誰もその姿を見たものはいないのか」
「いても、見ても、誰もなんにも言わないだろう」
「もし、自分が見たと誰かに言えば、その者もその言葉を聞いた者も消されるらしい」
そう、修之輔は初日にその烏の一人である加ヶ里に連れられてこの城に来たのだが、その時の門番はここに集まっている者達の知己か、あるいは当人が今ここにいるかもしれないのに、その時の話は一向に出てこない。
「消される者もだいたいが、田崎様の意向に逆らった者に限られる」
「結局、田崎様はその」
「その先を言うなよ、聞いた俺たちの身も危ういではないか」
弘紀に呼ばれて城に来た夜、弘紀が語った話とも、修之輔が田崎に抱く印象とも違う話が語られていく。得体のしれない存在が闇から鎌首をもたげるような感覚に、恐怖よりも目を凝らしてその実態を知りたいという思いが強まった。
そこで次の刻を告げる鐘が鳴った。
二、三回、城内の巡廻に出ると前番の仕事は後番に引き継がれる。最後の巡廻を終えて二の丸御殿の玄関前、控え部屋に戻ろうとした修之輔は原に呼び止められた。上の方から先ほど指示があって、修之輔に後番の仕事が回ってきているという。
修之輔が控え部屋での雑談に付き合っている間、原がその指示を受けたらしい。伝えてくれたことに礼を言うと、まだ不慣れだろうからと指定された場所近くまで案内してくれた。
原に連れて行かれたのは、だが奇妙な事に御殿の外ではなく内側で、御殿の中を通る廊下の先、表と奥の境界近くでいったん曲がる狭い廊下だった。
「この先の行き止まりのところで番をしていろということだ」
その狭い廊下の先を指さして、自分の仕事はここまでと原はさっさといなくなった。
修之輔は指示された廊下の行き止まりまで歩み寄って、疑問に思った。廊下の左右の襖の向こうは、昼間、家臣たちが集まって政務をするための部屋で、夜はもちろん誰もおらず、何か高価なものが置いてあるわけではない。
ここになぜ常駐の見張りが必要なのだろう。聞く相手もいないのでとりあえず行き止まりの壁を背にしてそこに座り、番をしている体裁をとった。眠気はないがここで居眠りをしても咎める者は誰もいないだろう。
疑問は解消されないまま、しばらく座っていると空気が流れていることに気がついた。この閉じ切った空間のいったいどこからと辺りを見回すと、背側の木壁に隙間があって、そこから風と光が漏れている。先ほどは確実に見えていなかったその光を怪訝に思い、隙間に爪を掛けて引いてみると木板が横に滑って開いた。
隠し戸だった。
巾は半間あるだろうか、高さ三尺ほどの空間が木壁に開いている。周囲に人の気配がないのを確かめて中を覗いてみると、三段ほど階段が下がって人一人通れる細い通路が先に伸びているのが見えた。その床の上、持ち手をこちらに向けた手持ち灯籠が置かれていた。まるで修之輔にこれを持て、と命じているように。
もう一度、辺りを見回して誰もいないことを確認し、隠し戸をくぐる。通路は思ったより高さがあり、中に入れば腰をかがめる必要はなかった。階段を降り、床の上の灯籠を手に持つと後ろで戸が閉じた。カタン、という小さな音。なにか鍵の様なものが掛かった音だと思ったが、閉じ込められた緊張は感じなかった。
そうして先へ進めと言うように、その通路の先に灯りが漏れている。
木村に見せられた御殿の略図、その間取りを思い出す。あのあたりは、確か。そして灯りに誘われるこの光景は、このあいだ。
既視感に誘われて、修之輔は躊躇なく足を進めた。通路の左側、一寸程の幅で光の漏れるその場所に、指を差し入れて横に開いた。
「あ、うまくいったみたいですね」
柔らかな灯籠の明かり。磨かれた黒漆の調度も艶やかに、襖絵は四季の野山の彩りを映す。武家には珍しく几帳を立ててその手前、二つ三つと灯りをともし、書見台に置かれた書物から目を離して弘紀がこちらを振り向いた。ここは二の丸御殿の奥にある羽代藩主の居室。初めて入る弘紀の部屋だった。
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