(9)インストール

「やれやれ。どうやら戦う他に道は無いみたいだね」


 レンはため息を一つつき。ついて来てと言って、踵(きびす)を返した。


「逃さない」

「砂の上じゃ指せないだろ? 案内するよ。戦場へ」


 そう答え、彼は歩き始める。


 一瞬、背後から問答無用で殴り倒してやろうかと考えて。すぐにかぶりを振り、レンの後を追った。そんな勝ち方をしたって、気分が晴れる訳がない。

 一歩踏み出す度に、景色が変わる。赤い大地が緑あふれる地上に、さらには雲の上に。これも何ちゃらドライブ? それとも幻を見せられてるのか?

 何でも良い。将棋を指せるのなら。煮えたぎるこの感情を昇華できるのなら、どこで指そうと問題無い。


「本当は、僕が父を止めたかった」


 歩きながら、こちらを振り返ることなくレンは話す。秘めたる胸の内を。


「でも駄目なんだ。僕には呪いがかけられている。いや、僕だけじゃない。竜ヶ崎の関係者全員に」


 浄禊がかけた呪いは、日常生活を送る分には全く支障を来たさない。発動するのは、父と将棋を指した時だけだ、とレンは語る。

 それは、将棋指しにとって致命的な作用。


「終盤にかけて、徐々に視界がぼやけて来るんだ。視力が落ちる訳じゃない、『大局観』が奪われていって。最後には、何も見えなくなる」


 さながら、深い霧の中に放り込まれたよう。手探りで指す将棋は、もはや勝負の体(てい)を成さない。

 身内さえも信用していない浄禊は、竜ヶ崎一族全員にこの呪いをかけた。レンもまた、物心つく前には施されていたという。


「悔しいけど、外部の人間に頼るしかなかった。だからあゆむ君を誘ったんだ」


 またもや景色が変わる。私達はいつの間にか、階段を上っていた。雲の上。周りには何も無く、ただただ青空が広がっているばかり。階段を踏み外せばどうなるかは、考えるまでもないだろう。

 はるかな前方に、城が空に浮かんでいるのが見える。天空城。どうやら階段はそこまで続いているらしい。

 あそこまで歩けと? 遠いわ。


「あんたらの事情はわかった。けど、あゆむを利用しようとしたことは許せない」

「そうだね。君は理屈で納得できるヒトじゃない」


 だから、君を選んだ。

 レンがそうつぶやいた瞬間。階段が消え、目の前には巨大な城がそびえていた。

 間近で見ると、何と言うか──遊園地のアトラクションみたいだなあ。


 白い城壁のてっぺんがピンク色に塗装されていて、実にファンシー。城門の上には『ようこそタカマガハラへ』なんて看板が掲げられてるし。しかもデコ文字で。

 これから将棋を指すにしては、いささか『和』が足りない気がする。デザインしたヤツ、出て来い。


「聖域を前に気後れしたかい?」

「……ある意味ね」


 レンいわく、ここは八百万の神々が住まう聖地とのこと。どうやら神のセンスは常人には理解しがたいものらしい。

 ま、まあ良い。将棋を指せればどこだって構わない。とにかく中に入ろう。

 意を決して門に触れた、次の瞬間。


「な──!?」


 突如として、地面の感覚が消えた。無重力の空間に放り込まれる。

 不意打ちにも程がある。すっかり油断してしまっていた。何とか体勢を戻そうと手足をバタつかせるも徒労に終わる。くそ。こんな情けない姿、レンに観られたら──。


「精神をしっかり保て。神域では足の代わりに心で立つんだ」

「ひゃっ!?」


 耳元でささやかれ、悲鳴に近い声が出た。反射的に振り返る。

 空を切る拳。宝石箱のように七色にきらめく世界に、白髪の少年が浮かんでいた。涼しげな顔に、わずかに好奇の色が混じる。


「へぇ。可愛い声も出せるんだね」

「くっ」


 たちまち頬が熱くなる。聞かれてしまった。よりによって、一番聞かれたくない奴にっ……!

 心をしっかり保てだと? 心で立てだと? 上から目線で言いやがって。

 ああ、やってやろうじゃんか。お前にできて、私にできないことは無い。地面をイメージしろ。足を踏ん張れ。感触がなくても構わない。私は立つ。立って、こいつと将棋を指すんだ!


「あきれる程に凄まじい精神力。さすがだね」


 感嘆の声を漏らすレンをキッとにらみ付ける。ぶっ倒す。

 全身の筋肉を突っ張らせる。体に一本芯を通す。細胞一個単位でさえバランスを崩すことを許さない、つもりで、末端神経に至るまで、感覚を研ぎ澄ます。

 心で立つの意味は、正直私にはわからない。なら、私のやり方で直立するだけだ。強引に、力ずくで。


「普通の人間には不可能だよ、そんな力技」


 苦笑まじりに、レンは右手を横薙ぎに振るう。そのとたんに、私達の間に将棋盤が出現した。空中に浮いている。いや、これもレンと同じく『立っている』のか。

 何でも良い。これでようやく将棋が指せる。正々堂々、彼をぶちのめすことができる訳だ。


「正直気は進まないけど。君の怒りが収まるのなら、一局指そう」


 盤上にはレンの駒だけが整然と並べられている。嫌がらせのつもり、ではなさそうだ。

 ──自分の駒は自前で用意しろってことね。

 ここでは何が起きても不思議じゃない。彼が盤を出せたのなら、私にだって。

 炎の宿る右手を盤上にかざす。焼き尽くすのではなく、創造するんだ。

 我が内より生まれよ、魂火(たましひ)よ。


 陽炎が立ち昇る。熱気を感じ、右手を下ろした。

 目に映るは紅蓮の兵隊。整列した駒達が、私の命令を待っていた。


「やはり君は、天才だ」


 称賛の声と、冷徹な視線を向けられる。そうだ、その目。


「だが、勝つのは僕だ」


 そう来なくては、指し甲斐(がい)が無いというものだ。盤外の事情など関係ない。

 レン。あんたが本当は何のために父親を止めようとしているのか、私は知らない。

 地球を守るなんて高尚な目的は、私には到底理解できない。そんな絵空事のために、協力する気にはなれない。そんなのは、偉い人にでも頼めば良い。

 この一局で見極めてやるよ。あんたが何を想い、何を成そうとしているのかを。

 だからこそ、全力で指す。あんたにも本気で指してもらう。なあなあでは終わらせてやらない。全力のあんたを、私が屈服させる。


「やあやア、注目の一戦だネ」


 一体今までどこに居たのか。スイコが横から声をかけて来た。肩にはハクちゃん。さらにその隣にはもう一人、謎のイケメンが立っている。

 銀髪に碧眼、肌が透けて見える程に薄い衣を身にまとったその人物の面影が、何故か修司さんと似ているように感じた。どう見ても日本人じゃないけど。そもそも地球人かも怪しい所だけど。

 イケメンにじっと見つめられると照れてしまう。いかん、対局に集中しなければ。かぶりを振って視線を盤上へと戻す。


「振り駒をしようか」


 そう言って、五枚の歩を手にするレン。先後を決める運命の一投。それで勝敗が決まる訳じゃないけど、つい注視してしまう。

 包んだ手のひらの中で、コロコロと歩達が転げ回る。早く投げてくれと叫んでいるように思えた。

 まだ幼さを残した繊細な指先が、じわりと開かれていく。


 まろび出る。隙間から、歩達が我先にと。盤上に着地し、さらに跳ねる。中にはくるくると回転する者も居て、踊っているように見えた。

 ──振り駒とは、運命を神に委ねる神事である。

 誰かがそう言っていた気がする。確かに、運の要素の少ない将棋において、振り駒だけは完全に神頼みだ。頼むぞ、神様。


 思えば今大会、ずっと後手番を引き続けて来た。勝った試合もあったし、負けた試合もあった。先後の差で勝敗が決まる訳じゃないけど、少しでも勝率を上げておきたい所だ。

 恐らく目の前に居る少年は、今まで戦ったどの相手よりも強い。ガクガクと膝が笑っている。あ、これは筋肉痛かもしれないが。

 頼むぞ、神様──って。

 そう言えば、と思い出す。神も情報生命体の一種なんだっけ。でもってここは神域で、今レンが振った駒は彼が創り出した物で──。

 まさか。ハッと視線を上げると、冷笑を浮かべるレンと目が合った。こいつ……!


「運命は、僕の手に委ねられた」


 五枚の歩が、パタパタと倒れていく。

 結果は、確認するまでもなかった。

 表面の『歩兵』が三枚、裏面の『と』が二枚上を向いている。またしても後手番になってしまった。

 くそ。どうせなら五枚とも全部『歩兵』にしてくれりゃ、イカサマってわかり易かったのによ。小ズルい所が、実に憎たらしい。


「それじゃ、先に指させてもらうよ」

「ふん。ちょーどいいハンデだ」


 宜しくお願いします。

 意気揚々と駒をつかむレン。定番の角道を開ける一手に、こちらも合わせる。

 さて、ここからどうしようか。飛車を振るか振らないか、角道を再度閉じるか開けたまま戦うか。大森さんに色々教えてもらったおかげで、試したい戦法が多くて困っちゃうなあ。


「インストール」


 その時レンが発した一言に、私の思考は中断されることとなった。


「──ソノセ・シュウジ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る