(2)緊急招集
A.S.Uとは『反将棋連合(Anti Shogi Union)』の略称で、将棋を否定し、他のボードゲームを嗜む輩の集まりだ。
将棋のイベントに妨害工作を仕掛けて来たり、将棋VSチェス(またはオセロ)のような異種対決を挑んで来たりするというが。未だかつて、一度もお目にかかったことは無い。恐らく実際には存在しない、都市伝説(フォークロア)の一種なのだろうと思う。
「極秘任務ですので、このことは他言無用願います」
「わ、わかりました! 将棋界の存亡がかかっているのですね!」
いや、そんな大袈裟なものではないんだけど。まあ、いいか。事の重大さ、かかって来る責任の重さが、人の口を閉じる錠前となるのだ。
「ハクちゃん凄いなあ。まだ小さいのに、そんな極秘任務を任せてもらえるなんて」
「なにしろ秘蔵っ子だからね」
いちいち説明するのが面倒臭くなって来てなげやりに答えると、少女は目を見開いて「ナルホド!」と大きく頷いた。
よくわからないが、今ので納得してくれたらしい。
「そんなことより、貴女のことを教えて頂戴。まだ名前も知らないんだけど」
「ああっ!? し、失礼しました! わ、私の名前は──」
彼女が答えかけた、その時だった。
『……姉さん』
頭の中に直接、声が響いて来たのは。いつ聴いても、この感じは慣れない。頭蓋骨で反響し、木霊のように何度も繰り返して聞こえて来る。酔いそうになる。
『何事ですか、レン。用があるなら口で言って下さいと──』
『お館様からの緊急招集だよ』
淡々とした口調でそう告げて来るのは、少年の声だった。形式上は私の弟ということになっている彼とは、実の所上司と部下の関係に近い。
お館様は、その更に格上の存在。来いと言われれば、何があろうと即座に馳せ参じなければならない。
しかし、それにしても緊急招集とは。一体何があったのだろうか。
『わかりました、すぐに行きます』
『そうだ。そこに居る巫女も連れて来るように、ってお館様が』
『……は?』
何で、この娘を? 傍らで訝し気な表情を浮かべている少女へと視線を向ける。この子が此度(こたび)の緊急招集と関係があるとでもいうのか?
どこにでも居る、ごく普通の少女にしか見えないが。
『この娘は、子狐のお世話係なのですが』
『さあ、僕にもお館様の真意はわからない。もしかしたら、睡狐の世話係に推薦したいのかもね』
『は?』
『冗談だよ』
声のトーン一つ変えずにさらりと冗談を言わないで欲しい。上司(レン)が事情を知らないのはわかったが。
肩を竦めて答える。
『わかりました。連れて行きます』
少女の手を引き、本殿への道のりを歩く。彼女の頭にはレンの声は届いていない。歩きながら、説明を入れていくことにする。
「お館様というのは、私の父です」
「えっ!? お父さんって呼ばないんですか?」
「ええ。昔は呼んでいたんですけどね」
子供の頃を思い出し、私は苦笑混じりに答えた。
竜ヶ崎家は、代々睡狐様に仕えて来た一族だ。伏竜稲荷神社の表向きの管理者は神主様だが、裏では竜ヶ崎が『汚れ仕事』を請け負って来た。
その筆頭が、当主たる『お館様』である。父とは長らく、親子としては接していない。あくまで当代の『巫女頭』として、事務的に用件を伝えるのみである。
「それって……寂しくないですか?」
私の説明に、少女は更に切り込んで来る。寂しい、か。なるほど、普通の感性を持つ人は、そのような感情を持つものなのか。
「私は物心ついた時から睡狐様の巫女として育てられて来ましたから。正直、よくわかりません」
かぶりを振ってそう答える。嘘偽りは無い。
それから、こう続けた。
「大丈夫ですよ。自他に厳しい方ですが、筋の通らないことを無理強いするような人ではありませんから」
突然呼び出され、不安を隠せない彼女を安心させるために──そして、自分自身に言い聞かせるために。きっと大丈夫だと、言葉を口に出した。
父は変わった。あの『四十禍津日(ヨソマガツヒ)』を手に入れてから。
以前の父なら、厳しさの中に優しさも垣間見えたものだ。格上のみならず格下に対してさえも、常に敬意を払って来た。そんな父を私は心から尊敬し、誇りに思っていた。
今は、違う。皆が、容赦無く切り捨てられるのを怖れている──私も含めて。
呪われた棋書・四十禍津日は、所有者の人格をも変えてしまう。
「大丈夫」
本殿の前に立った時、もう一度同じ言葉を口にする。根拠は無いが、信じ込むしかなかった。きっと大丈夫だと。
少女に狐面の装着を促し、自身も被る。偽りの仮面で、本心を封じ込めた。
「雫様。私、怖いです」
震える少女の右手を握り締め、私は『お館様』の待つ本殿への扉を開いた。
──ああ、そう言えば。結局この子の名前、聞けずじまいだったな──。
一歩踏み込んだ瞬間。世界は重なり、反転する。
光は闇に、白は黒に。
今この瞬間まで竜ヶ崎雫として振舞って来た私は、別の誰かとして伏竜稲荷神社・本殿へと辿り着いていた。
息を呑む。
目前には、『竜ヶ崎雫』が静かに佇んでいた。
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