(13)エキシビジョン・マッチ
「吾輩の指示を無視した上、よくも負けおったなムー! 貴様のような欠陥品は、もう要らん!」
一体いつ戻って来ていたのだろう。
Dr.トンシは、憤怒の形相でムーの方を睨み付けていた。
「おのれ……吾輩の出番さえあれば、最新定跡で穴熊など粉砕できたものを! ロウと言い貴様と言い、吾輩の足を引っ張りおって!」
怒り狂うトンシを一瞥し、ムーは一言「がう」と告げた。
「さよなら、か」
そう呟いたのは、ショウさんだった。
ムーとの一局を通して、心を通じ合わせた彼にはわかったようだった。
言葉なんて通じなくても。ムーの気持ちが。
ずしん、ずしん。
来た時と同じ足音を立てて、ムーは歩き去って行く。
違うのは、今度は鎖の音がしないこと。
自由になった彼は、これからどうするのだろう。
独り取り残されたトンシは、その様子を呆然と見送っていた。
恐らく、置いて行かれるとは思っていなかったのだろう。自分にすがり付いて来るものと、赦しを乞うて来るものと、思い込んでいたんだ。
「お、おのれ」
「なあ。トンシさんよ」
呻くトンシに、ショウさんが声を掛ける。
「立派だったよ、あんたの息子」
「む、息子、だと──?」
「おや、違うのか? 少なくともあいつは、あんたのことを親父だと思っていたようだぜ?」
「違う。あいつは吾輩が造り出した、最強の」
「最強の、息子。そうだろ?」
ショウさんの言葉に、Dr.トンシはしばらく考え。
「そうだ。自慢の……息子だ」
答えたその声に、怒りは無かった。
それから、ふんと鼻を鳴らす。
「全く、親不孝者めが。吾輩を置いて行くなど、言語道断なのである。あんな奴、こっちから勘当してくれるわ」
「ああ、是非そうしてやってくれ」
苦笑混じりに応えるショウさんに、トンシは声のトーンを落として続ける。
「ショウとやら。我が息子との対局、感謝する」
静かで、厳かな声だった。
漆黒のローブに包まれた痩せ細った男が今、一人の父親として感謝の弁を述べた。
「そして、サロン棋縁の主、ミスター穴熊。貴殿と対局できなかったのは無念であるが、おかげで息子の成長を見届けることができた。今日の所は、これで良しとしよう」
さらばだ。
そう告げて、男は踵を返した。
「待たれよ」
彼を呼び止める声が響く。
声の主は、未だに起きない眠り姫を抱えたままの、穴熊さんだった。
「来来・頓死ーズの大将、Dr.トンシ。確かに諸君らの敗退は決定した。だが、それは我と君との対局を阻むものではないぞ?」
「……何?」
「共に一人の棋士として、存分に。指し合おうではないか」
大会の勝敗は関係無く、ただ指そうと。
穴熊さんは提案する。
「君が勝てば、あのミスター穴熊に勝った男として皆に称賛されるであろう。悪くないと思うが、いかがかな?」
「しかし、それでは貴殿にメリットが無いように思うが?」
「我は誇るよ。偉大なるDr.トンシに打ち勝った男としてな」
トンシ、いやトンシさんが振り返る。
その瞳には、ギラギラとした炎が宿っていた。
「面白い。受けて立とうではないか!」
「望む所。最後に勝つのは我であるがな」
ゆかりちゃんを抱えたまま、穴熊さんは立ち上がる。
えっ? まさかそのまま指すの?
「結月を頼む」
「へいへい」
──と思ったら、ショウさんに預けた。
そりゃまあ、そうだよね。
両者は対局席に座る。
片や、穴熊を極めし最強の棋士。
片や、最新定跡に精通しているという天才博士。
頂上決戦が今、始まろうとしていた。
「ちょ、ちょっと! 勝手な試合は──!」
「我とこやつの対局、必ずや神の気に入るモノとなろう」
駆け寄って来た巫女さんに向かって、穴熊さんは言い放つ。
「で、でも!」
「良いでしょう、許可しましょう」
食い下がる巫女さんを制したのは、意外にも雫さんだった。
狐面の奥の瞳が、妖しく光る。
「その代わり。もしも無様な棋譜を晒したなら、両者共にこの場で私が葬り去ります。良いですね?」
「ふん。心配せずとも、極上の棋譜を進呈してくれるわ」
「期待しています。それでは、決勝でお会いしましょう」
冷たい視線を残し、雫さんは巫女さんと共に歩き去る。
極上の棋譜、か。そんなことを堂々と言い放てるなんて、流石は最強の穴熊使いと言った所か。
「へへっ。久し振りだな、ミスターの対局を観るのは」
にやりと笑みを浮かべるショウさん。
「やっぱり、強いんですか?」
「強いなんてもんじゃない。元々の棋力が高い上に、鉄壁の穴熊だろ? 鬼に金棒って奴さ、負ける要素が全く無い」
質問するも、以前にしゅーくんから聞いたのと同様の返答が返って来た。
そっかー、やっぱり無敵なんだ。
どうしよう。準決勝であの人と当たるんだけどなあ、私。
「かおりん。これはチャンスだ。一緒に対策を練ろう」
そこに、しゅーくんが声を掛けて来た。
そっか。本来なら、この一局は実現しなかった対局なんだ。
本当なら、いきなり準決勝で穴熊さんと戦って、なす術も無く敗北していたはずなんだ。
それが、穴熊さんの対局を観戦できる機会を得られた。
私達は、運が良い。
毎度お馴染み、将棋盤くんを用意する。
その様子を、ショウさんは物珍しそうに見つめていた。
「へえ。リアルタイムで検討するのか。別室で中継を見ながらならよく聞くけど、その場でやるなんて初耳だぜ」
う。ちょっと対局者に失礼なのはわかってるよ。
ニヤニヤと笑う彼に背を向け、準備を進める。
その間に、穴熊さんとトンシさんは駒を並べ終わったようだ。
何やら小声で言い争っているようにも見えるけど、大丈夫なんだろうか。
「見ろよ。今度はどちらが振り駒するかで揉め出したぜ」
くくく、とショウさんが笑う。
あー、なるほどねぇ。
振り駒は通常、棋力の高い方がする習わし。どちらも譲れない所か。
「ミスター、さっさと始めてくれよ。じゃんけんで決めたらどうだい?」
「何ぃ!?」
野次を飛ばすショウさんを、穴熊さんは鬼のような形相で睨み付けて来る。
こっわ! こんな怒った表情もするんだ、この人?
「神聖な振り駒を、じゃんけんだと──!」
「や、だから。先後を決めるんじゃなくて、どっちが振り駒するかを決めんのよ」
ショウさんの返答に、穴熊さんとトンシさんは顔を見合わせる。
「やるか?」
「面白い」
対局席から立ち上がる二人。
互いに拳を握り締め、彼らはばちばちと火花を散らす。
黒いオーラが、二人の全身を包み込んだ。
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