(11)解き放たれる巨獣

「ふはははは! 思い知ったか! これで一勝ゲットだ──」

「面倒臭ぇけど、しゃーねーか」


 その声に、ビクッと体を震わすトンシさん。

 もうもうと立ち込める煙の中から、一人の男性が悠然と姿を現す。


「ば、馬鹿な。何故生きて……!?」

「だから、どいつもこいつも勝手に殺すなっつーの。

 デカブツの攻撃は軌道が単純で読み易い。かわすのは簡単なのさ」


 飄々とした態度でショウさんは応えて。


「そら。駒を並べておいてやったぜ。そんなナリじゃ、並べるのも一苦労だろう」


 と、巨人の方を見上げた。

 全くの無傷、かすり傷一つ負っていない。


「ありえん。ムーの打撃速度は音速に近しい。常人にかわせるはずが無いのだ!」


 呻くトンシさん。


「さあ。さっさと始めてさっさと終わらせようぜ。あ、振り駒は俺がやろうか?」

「かくなる上は──ムー! 連続攻撃じゃ!」


 トンシさんの指示に反応する巨人。両手の拳打が次々に繰り出される。

 ただそれだけで周囲に突風が吹き荒れ、轟音が鳴り響く。

 地面にいくつもの大穴が穿たれ、土煙が舞い上がった。

 一撃一撃が致命傷となりうる威力を有しているが、そのどれもがショウさんにはかすりもしない。

 涼しい顔で嵐をすり抜け、


「振り駒の結果は、俺の先手だ」


 と言い放った。


 あの人、一体何者なんだろう?

 常人にはかわせないのなら、彼は……。


 ムーが繰り出しかけた拳を、ショウさんは難なく片手で止める。


「お前を止めるのに力なんて要らない。なあ、いい加減わかっただろ? 俺には暴力は通用しない。

 俺に勝ちたいのなら、アレしか無いぜ」


 そう言って、彼は対局席を指差した。

 その視線はトンシさんではなく、唸り声を上げる巨人に向けられている。


「やろうぜ、将棋。お前の力、俺に見せてみなよ」

「ムー! そんな奴の言うことを聞く必要は無いぞ! 叩き潰して再起不能にしてしまえ! お前が不戦勝になれば、我輩が残り一勝をもぎ取ってみせる!」

「なあ、外野は黙っててくれないか?」

「ひっ……!?」


 不意に冷たい視線を向けられ、トンシさんは悲鳴を上げた。

 巨人は無言で佇んでいる。


 どうやらショウさんは、本気であのムーという名の最強の改造生物(トンシさん談)と将棋を指すつもりらしい。

 とてもじゃないけど、意思疎通できる相手には見えないんだけど。


 もしかしたら、私がそう見えていないだけで。

 ショウさんの目には、違った姿が映っているのかもしれない。


 巨人が、動き出した。


 ぶちぶちっと、鉄の鎖を引きちぎり始める。

 なんという怪力なのだろう。彼がその気になれば、拘束具など何の意味も無かったのだ。


「な、何をしておるのだ? ムーよ!」


 慌ててトンシさんが止めに入るも、軽く払われた手に吹き飛ばされる。

 痩せた体はボールのように跳ね、遥か遠くまで飛んで行った。


 首輪を外し、完全に自由になったムー。

 最後に猿ぐつわに手を掛け、左右に引き裂いた。


「ガアアアアアッ!」


 天に向かって咆哮する。大気を震わす絶叫。

 その叫びに込められた感情は、一体何なのだろうか。

 ……うん、やっぱり意思疎通できる相手には見えない。近づかれただけで気絶する自信があるぞ、私。


「そうだよな。喋れないと挨拶できないもんな」


 ショウさんはうんうんと、満足そうに頷く。

 それから、対局席に座り直した。

 先程のようなふんぞり返った座り方ではなく、姿勢を正している。何だこの人、やろうと思えば普通に振舞えるんじゃん。


「がうっ」


 ムーも真似をして、対面に腰掛けようとして。

 ばきっ。巨体に耐え切れず、椅子はあっさり折れて潰れる。

 そのままムーは、尻餅をついた。


「ははっ。お前さんには椅子は要らなかったな」

「がうっ、がう」

「あー? 丈夫な椅子を用意しろだあ? 文句はここの巫女さん達に言ってくれ。

 ……さあ。そんじゃま、始めるとするか。挨拶できるか?」


「がう?」


 ショウさんの言葉に、怪訝そうな表情を浮かべるムー。


「よろしくおねがいします。言ってみな」

「じょ、じょろぢぐおでがいぢまづ」

「ん。まあ良しとするか」


 それじゃ、俺から行かせてもらうぜ。

 ショウさんは駒を手に取り、ついに初手を指した。

 もはや定番の、角道を開ける一手。


 対するムーは、駒を指先でそっと押し出した。手が大きいから、指すの大変そうだなあ。

 指し手は、意外にも普通の、飛車先の歩を突く一手だった。


 しばらく駒組が続く。ショウさんは矢倉を目指しているようだ。

 対するムーは、右銀を四段目まで繰り出して来て。


 不意に、飛車を6筋に振って来た。


「ほう、『右四間(みぎしけん)』で来たか。どうやら図体に似合わず、知能指数は高いらしい」


 穴熊さんが感心したように言う。確かに私もちょっと驚いた。

 まさか右四間飛車を使って来るなんて。

 一回戦目を思い出す。あの時は安藤さんの右四間をモロに食らって、窮地に立たされた。極めて攻撃力の高い戦法だ。

 飛車、角、銀、桂を使っての攻めは理想的で、受け方を知らなければ、あっという間に攻め潰されるという。

 事実、一回戦でも右四間の攻め自体は刺さっており、勝てたのはほとんど奇跡に近い。

 ただ、あの時私は四間飛車だった。

 今回ショウさんは矢倉模様だ。この後どうなるかまでは、私にはわからない。


「元々右四間は対矢倉の戦法として開発された経緯がある。ショウにとってはやりづらい展開であるな」

「あ、そうなんですか」

「うむ。通常の矢倉では容易に突破されてしまう。何らかの工夫が必要だな」


 穴熊さんはそう応えて、ショウさんの方を見やる。


「ふん。奴め、笑っておるわ」


 本当だ。口の端を吊り上げて、どこか楽しそう。

 最初はあんなに嫌々だったのに、対局が始まると将棋指しの顔になるんだ。

 今まで観てきた人達と同じ。

 皆、心の底から将棋が好きなんだよなあ。

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