(4)感想戦は増し増しで

 彼らは神社の方に向かっている。

 なら、先回りだ。


 前に散歩で通ったことのある脇道に入る。

 彼らは人数が多い分、機動力が低い。神輿を担いでいる分、小回りも利かない。

 今からでも十分間に合うはずだった。


 足は痛いが、そんなの気にしない。

 全力で走る。


 脇道を通り抜けた先に、鳥居が見えた。


 誰も居ない。

 よし、先回り成功。


 乱れた息を整える。

 鳥居の前に立ち、大通りをこちらに向かって来る、狐面の集団を睨み付ける。


 私に気付いたのか、先頭を歩いていた巫女装束の女性は、足を止めた。

 どうやら今度は、視界に入ったらしい。


「りんちゃんを、返して」

「返す? これは異なことを」


 彼女、竜ヶ崎雫は不敵な笑みを浮かべる。


「鬼籠野りんさんは貴女がたの持ち物ではありません。神様の供物です。それに、無理矢理連れて来た訳でもありませんよ。彼女は、彼女自身の意志で今、私達と共に居るのです」

「貴女と話しても埒が明かない。りんちゃんと話をさせてよ」

「構いませんよ?」


 意外にもあっさりそう応えて、雫さんは「彼女を降ろしなさい」と男達に命じた。


 神輿から、狐面を着けたりんちゃんが降りて来る。


「香織さん。どうしてここに?」

「どうしてって、貴女が心配だったから来たのよ。何でこの人達と居るの? 訳を聞かせてよ」

「……貴女には、関係の無いことです」


 何故か言葉を濁すりんちゃん。

 やはり、何かあったんだな?


「関係無くないよ。同じチームの仲間でしょ? 一緒に大会出るんでしょ? 私は貴女のこと、友達だと思っていたんだけどな」

「──友達」


 ぶるっと、りんちゃんの体が震えた。


「そう、友達。だから」

「嘘つき」


 吐き捨てるような一言だった。


「嘘じゃないって」

「いいえ、貴女は嘘つきです。修司さんと結婚していたこと、何で黙っていたんですか?」

「う。それは」


 そこを突かれると痛い。

 確かに嘘をついていたと言われれば、そうかもしれない。


 彼女は続ける。


「私のことを本当に想ってくれているのなら。修司さんと別れて下さい」


 ……え?

 今、何て言った?

 思考が停止する。


「できる訳、ないですよね?」


 鼻で笑って。

 彼女は私に背を向けた。


「なら、話すことは何もありません。私のことなんて放っておいて、修司さんと心ゆくまで愛を育んで下さい。お幸せに」


 神輿に戻るりんちゃんに、掛ける言葉が見つからなかった。



 私には理解できなかった。

 何故彼女がそんなことを言うのか。

 私達夫婦のことは、彼女には関係ないはずなのに。


 私にとって、到底許容できるはずの無い条件。

 それは、何があっても私達の元には戻らないという、意思表示だろうか? 何故そこまでして、竜ヶ崎に?


 薄暗い並木道を、とぼとぼと歩く。


「かおりん! 大丈夫か?」


 向こうからしゅーくんが走って来た。

 私を探しに来てくれたのか。少し息が乱れている。

 心配かけて、ごめん。


「私は大丈夫、だけど」

「ああ」

「ごめん。りんちゃん、連れ戻せなかった」

「そうか」


 ぎゅっと、力強く抱き締められる。


「香織が無事なら、それで良い」


 嬉しかった。

 普段なら、それだけで心が満たされたことだろう。

 でも、今日は少し違った。


「よく、ないよ」


 私は呟く。声が震えていた。

 よしよしと、頭を撫でられる。


「ごめん。私、怖くて。あなたと別れろとか言われて、何でそんなこと言うのか全然わからなくて。何もできなかった。何も」


 そうだ、私は怖かったんだ。

 一瞬でもしゅーくんの居ない未来を想像してしまって。

 そんな未来は嫌だったから、りんちゃんを拒絶した。

 何でそんな酷いことを言うの、と。


「そうか。かおりん、怖いのに頑張ったんだな」


 なのに、しゅーくんは責めるどころか、私を労わってくれる。

 視界が滲んだ。


 彼の胸の中で、私は人目を憚らずに泣いた。

 自分が情けなくて、堪らなかった。

 私にもっと自信があれば、しゅーくんとの絆が確たるものという自覚があれば、彼女の言葉に怯むことは無かったのに。笑って流せたはずなのに。

 私の心の地盤は、たった一言で揺らいでしまう。

 それがわかって、悔しかった。


「俺の方こそ悪かった。香織に怖い思いをさせてしまった。ごめんな、ついていてやれなくて」

「……違う」


 ぶんぶんと首を横に振る。

 彼の言うことを聞かずに一人で行った、私が悪い。

 彼は、何も悪くない。


「香織。俺は君を護りたい。君にはずっと笑顔で居て欲しい。君の笑顔が、俺に元気をくれるんだ」


 香織が泣くと、俺まで泣きたくなる。

 しゅーくんはそう言って、優しく微笑んだ。


「香織。これだけは約束する。この先何があろうと、俺達はずっと一緒だ。どちらかが死ぬまで、いや死んだって心は一つだ。俺は、君の傍に居るよ」


 私も、あなたの傍に居たい。

 あなたと生きたい。離れたくない。


 涙を拭う。

 いつまでも泣いている場合じゃない。

 しゅーくんのためにも、私は笑顔で居なければ。


「私も、約束」

「うん」

「修司さんのために、毎朝お味噌汁を作り続けます。一生」

「はは。何だそりゃ」


 でも嬉しいよ。彼は笑った。

 私も同じだ。彼の笑顔が、私に元気をくれる。頑張れる。



 家に帰って、どうしても一局だけ指したいとねだると、しゅーくんは快く引き受けてくれた。


 ただし条件が一つ。

 感想戦増し増しで。


 指している間は、嫌なことを忘れられた。対局に集中できた。彼と気持ちを共有できた。


 そうして冷静になるにつれ、今後のことを考えられるようになってきた。


 りんちゃんの意図はわからない。

 決定的な断絶の言葉を投げ掛けられたけど、それが本心なのかどうかは不明。

 ただ恐らく、大会には竜ヶ崎側で出場するのだろう。

 なら、相応の準備をする必要がある。


 まずは欠員の補充。

 そして、りんちゃんに勝てるだけの棋力を身に付けることだ。

 限りなく不可能に近い、が。


 しゅーくんにその話をすると、補充人員については大森さんにアテがあるらしい。


 流石は大森さん、人脈が広い。ならそっちは任せて、私達は棋力向上に集中しようか。


 不可能だと思ったら終わり。

 可能性が少しでもあるのなら、それに懸けてみる。


 戦型を絞る。

 徹底的に、四間飛車を指し続ける。


 一局だけだと思っていたけど、指し終わると何だか物足りなく感じた。


 しゅーくんも同じ気持ちだったらしく、顔を見合わせる。


「もう一局、お願いできる?」

「わかった」


 夕御飯を食べるのも忘れて、私達は対局にのめり込む。


 途中感想戦を挟みながら、結局日付が変わるまで、延々と指し続けた。

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