寒い星の二人(12)

 人狼は動揺している。その証拠に三角耳は忙しなく上下していた。


「混同はしていない」

 言葉選びに苦悩するようにヒゲが震えている。

「それは本当だ」


(それは分かってるんだ)

 デードリッテとて彼を苦しめたくて言ったわけではない。

(さっきのはカマをかけただけ。ブルーの本心が知りたいの)


「シシルと同じくらい大切だと言ったのも本当だ。君のためだって命を懸けられる」

 心底困っているようで耳が寝てしまう。

「ただ、君の視界にいていいのは一時的だとも思っている」

「どうして?」

「格が違いすぎる。星間銀河が望んでいる君と、戦場働きくらいしか能のない俺とではずっと同じ場所にはいられない」


 彼女は眉を逆立てる。意識的に怒っていますという表情を作った。狼は「怒らせるのは分かっていたから言いたくなかった」と続けた。


「そういうの嫌い。壁を作らない人だから傍にいたいと思ったの」

 不機嫌な声で告げる。

「ブルーが心の奥ではわたしを遠くに置いているんだとしたらすごく悲しい」

「それは無い。近くに感じてる。それは幸運以外の何でもない」

「運不運じゃなくて、出会いっていうのは……!」

 言いつのろうとするがブレアリウスは首を振った。

「オレにかかずらってなどいてはいけない。損失だ」

「それを決めるのはブルーじゃないもん! わたしだもん!」

「どう思おうと世間が許してくれん。心苦しくなるに決まってる」


 彼はいずれ風当たりが強くなると主張する。二人ともに耐えられなくなる日が来ると。


「だったら格違いじゃなきゃいいの?」

 込みあげる思いが涙声にさせる。

「そんなのもう解消されてる! 気付いてないの? ブルーはシシルのパートナー、協定者っていう人なの。新宙区だったら一番尊重される人なんだよ?」

「そうかもしれん。が、まだ星間銀河の常識じゃない」

「今から常識になるの! ブルーが先駆者なの!」


 身体ごと詰め寄る。ちゃんと目と目を合わせなくては心も言葉も通じないと思った。デードリッテは狼の足の間の座面に膝を立てて彼の胸に両手を突いた。


「だから……! だから向き合って。わたしと向き合って。デードリッテっていう一人の女と向き合って」

 切なさで肩が震える。

「泣かせたくはない。だが、俺には乗り切れる自信がまだない」

「なくてもいいの。まだブルーとわたしの問題なんだもん」

「そうだな」


 耳はしっかりと立って彼女だけを向く。青空の瞳が真摯に見つめてきた。


「すまなかった」

 聞きたいのは謝罪ではない。

「俺は自分とも君ともちゃんと向き合えてない」

「うん」


 一度考えこむように瞳が閉じられると、再び開かれたときには青い宝玉にはデードリッテしか映っていない。黒い口唇から本心が紡がれる。


「君が好きだ」

「うん」

「可愛らしく笑う君も、そのえくぼも」

「うん」


 持ちあがった手が優しく頬を撫でる。


「悪戯げに笑うときも」

「うん」

「俺のために怒ってくれるときも」

「うん」


 顔を覆ってしまいそうなほど大きな手が頬を撫で上げ、親指が眉をなぞる。


「美味しそうになにかを食べる顔も」

「うん」

「頑張りすぎて失敗してしまうときも」

「うん」


 指を絡めた亜麻色の髪が引き寄せられて焦げ茶色の鼻へと持っていかれる。


「声も、匂いも、どんな仕草も」

「うん」

「君の全てを好ましいと思ってる」

「わたしもブルーがだーい好き!」


 ブレアリウスの頬を掴み、毛並みと一緒にヒゲをしっかりと握る。口吻マズルを固定してしまうと、その先端にぎゅっと唇を押し当てた。


(硬い。けど、柔らかい)


 普通のキスとは違うだろう。顔はそれほど近くない。彼の口唇は人間のそれとは遠いような気がする。弾力に乏しい。


(臭いかも。きっと獣臭。嫌いじゃないけど)


 腰を引きよせられる。拒まれていないと分かると甘やかな気持ちが頭の芯を駆け抜けていく。陶酔感に身を任せ、自然と両手を狼の首へとまわした。


(ずっとこうしていたいって思っちゃう)


 鼻息が頬をくすぐる。肌の匂いも、息の匂いも、興奮で汗ばんだ身体の匂いさえ嗅がれていることだろう。急に恥ずかしくなってきて唇を離す。しかし気持ちは傾いたまま。


「好き」

「俺もだ」


 肩に顔をうずめる。いつもの首元の毛皮の匂いがした。それだけでは足りない感じがして適うかぎり密着する。厚い胸板で胸がつぶれる感触がした。


「ずっと好きだって言って。だったら、わたしももっとずーっと好きでいるから」

「愛してる」

「ず、ずるい!」

 驚いて身を離す。


 小さく笑う鼻息に続いて鼻面が近寄ってきた。長い舌が頬を舐める。生暖かくてざらりとした感触。その舌が彼女の唇を割ってきた。


(ああ!)


 背筋を電流が走ったような気がした。身体がびくんと反応する。それなのに腰が痺れて力が入らない。


(だめ……。気持ちいい)


 衝動的に舌で迎えいれてしまう。頭の中がそれだけでいっぱいになりそうだった。


(このままブルーと……)


 彼に身を委ねる。それが自然なように思えた。


『急速接近する熱源を感知しました』

 システムナビが警告を発する。

「機関出力を戦闘レベルに上げろ」

『出力を上げます。アゼルナ軍機の識別信号シグナルをキャッチ』

「関節部が凍っていないかチェック。ディディー、ヘルメットを被ってベルトを」

 サブシートに押しのけられてしまう。

「もう! 無粋すぎ!」


 デードリッテはヘルメットを被りながら珍しいほどの声量で悪態をついた。

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