陥穽の檻(3)

 頃合いだと思って自室を訪れると、ブレアリウスはもうアンダーウェアでくつろいでいた。いつもより膨らんでいるのは全身を洗って乾かした後だからだろう。


「おかえり~」

 ベッドの隣に座って身体を寄せる。

「ああ」

「おやおや? 上機嫌だねー。例の件、首尾は上々ってとこ?」

「うん、許可もらったよ」

 同室のエンリコにも報告する。


 救出作戦同行の件はメイリーたち三人とは相談してあった。人狼はあまりいい顔をしなかったが、胸につかえている思いを正直に話して同意を得ている。説得作戦に関しても協力してもらっていた。


「怒られなかった?」

 優男は心配そうに言う。

「ん~、司令官はいつも通りだったけどウィーブさんはちょっと顔が怖かった」

「副司令閣下の顔が怖いのはいつもだから仕方ないね」

「あー、言いつけちゃおうかな~」

 悪戯げに上目遣いで見る。

「わおわお、勘弁してよ。降格されるからさ」

「スイーツで手を打ってもいいよ」


 ひとしきり軽口の応酬をしてからブレアリウスの横顔に視線を移す。こちらを向いていた三角耳が所在なげにピクピクとしている。仔狼のアバターが差しだした手に乗ってきた。


(別に普通っぽい? 何ともないのかな?)

 訊いても良いものかと悩む。


「んとね……、どうだった?」

 思い切って訊いてみる。

「なにがだ?」

「防衛陣地の警備。降りてたんでしょ?」

「ああ」

 彼らは地上から帰ってきたばかり。

「すごく久しぶりだったんじゃない? 十年以上?」

「十三年ぶりだ」


 彼にとっては、飛びだしていったきりの故郷の大地。そこへ足を踏みいれてきたところなのだ。


「あいかわらず寒々しい。外気温は7℃だった」

 口調に感慨は含まれていないように感じる。

「7℃かぁ、寒いね」

「高緯度帯のラウネルズはマシなほうだ」

「ここより寒いと、降るのは雪ばかりになっちゃわない?」

 訥々と語る様子が胸の内を表しているのだろう。

「雪に閉ざされる」

「銀世界?」

「いや、火山灰を含んだ灰色の雪が一面に積もっている」


 各地の活発な火山活動で陽光の届きにくい大地は平均気温で6℃を少し超えるくらいしかない。


「それは厳しいね。たしかにこの辺は彼方の山が雪化粧してるていど」

 エンリコが教えてくれる。

「そっかぁ」

「それでも俺たちは住んでいる」

「寒いとこにも?」

 少し意外に思える。

「気温が高いところでしか植物が育たない。食肉動物の飼育がそこでしかできない」

「あっ、そうなんだ!」


 食糧事情はデードリッテも調べていた。流通する食肉の七割がたは製造プラントで生みだされる合成肉だが、一部では精肉が流通している。高級品として取引されているらしい。


「暖かい地方は飼養向き。寒い地方は大地を削っても構わんから採掘現場になる」

 露天掘りの鉱物採取をしているという。

「なるなる。でも厳しくない?」

「昔みたいに人力じゃない。ランドウォーカーで作業しているから凍死するようなことはない」

「そりゃそうか」

 当然といえば当然だ。

「昔は寒くて死んじゃう人もいたんだ」

「少しはな。資料にはそう書かれていた」


(見たことあるわけじゃないもんね。地下室にいる間に勉強してたのかぁ)

 狼とて風物は書物から仕入れたものがほとんどだろう。

(平然と話してる。特に気にしてないみたい)

 望郷の思いはブレアリウスの中にはないようだ。捨て去りたい過去なのだろうか?


 変な間ができる。エンリコも彼女と似たような感想に行きついているのだろう。


 人狼がデスクに手を伸ばすと、小物入れから何か器具のようなものを取りだす。スイッチに触れると小さくモーター音がしている。

 先端のU字部分に爪を当てて滑らせるとチリチリと削れる音がした。角度を変えて何度も往復させるとブレアリウスの指の爪が丸く整えられていく。


「へぇ! そんな道具があったんだ」

 彼女も初めて見る。

「昔からある爪削りだ。そんなに珍しいものじゃない」

「そんなこと言っても形が違うんだもん。わたしが使う爪切りや爪磨きとは全然違うし」

「まあ、そんなにオーソドックスな品物でもないね。ブレ君だってネットで取り寄せてるじゃん」


 返す言葉もないらしい。黙々と両手の爪を丸く削っている。


(こまめに削ってるんだ。不用意に誰かを傷付けないように)

 無意識に彼の手を引きよせて丸くなった爪を指でなぞる。


「怖いか?」

「え?」

 触れる指が小刻みに震えているのに気付かれたらしい。


(見抜かれちゃったかな。役に立ちたいってのも本当だけど、戦闘になる現場に非戦闘員のわたしが行ったら万が一が起こるかもしれないって、ちょっと怖い)

 自分から言いだしたこととはいえ怖いものは怖い。


「安心しろ。君の所には絶対に敵アームドスキンを近付かせない」

 逆に手を取られ、ゆっくりと撫でられる。

「周りは戦闘要員で固めるはずだ。外の脅威を排除すれば何も起きない」

「うん」

「心の重荷をあの星で落としてくるといい。少女一人の願いを叶えるのは大人には造作もないことだ」


 彼女を思って言葉を費やしてくれている。だんだんと身体へとしみ込んでいき震えは治まっていった。


「君は生きる意味を俺にくれた。誓いは必ず守る」

「うん」


 これから立ち向かう任務も敵だらけの場所も、そして少し硬い毛の生えた手も、本来は柔肌くらい簡単に引き裂く黒く太い爪も、何一つ怖くない。


 デードリッテは証明するように人狼の爪を頬に当てて微笑んだ。

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