青き狼(2)

 デードリッテの首筋に牙が突きたてられる。その鋭利な先端は容易に彼女の肉体を貫き、その奥へと侵入していく。強靭な顎が骨までもを砕いていった。

 激痛がともなっているはずなのに何故か薄い。不思議なことに陶酔感がある。それが弱肉強食の節理であると肉体が証明しているかのごとく。


(食べられちゃう)

 その感覚に酔いながらも普通に考えているのが不可解。

(わたしって美味しいの? 違う違う。そんな話じゃ……)

 徐々に我に返ろうとする。今は命の危機なのだ。


 死にたくないと意識した瞬間に目が覚めた。痛みもなければ血も流れていない。それどころかデードリッテは柔らかな布団に包まれている。背中にはシリコンフォームの感触。


(寝てる。さっきのは夢?)

 何度も瞬きをする。正面の天井は真っさらな白に数ヶ所の発光パネルがあるだけ。

(病室? 気を失ったんだった)

 思い出すと自分の現状に繋がった。


 視線を移せば横に椅子がある。大きめの椅子に巨体を任せているのは狼だった。静かに目を瞑り口元は結ばれている。彼女を食べようと牙を剥いてなどいない。


「あっ」

 小さく漏らすと頭がゆるりと動き瞼が開かれた。

「青い」

「目が覚めたか」

 どこまでも透きとおるような青い瞳がデードリッテを捉えている。

「すまなかった。驚かせた」

「えと……」

「気になっただけだ。すぐ消える。グロフ医師、目が覚めたようだ。頼む」

 そこまで言って狼は立ち去ろうとする。しかし、何か行かせてはいけない気がして彼女はその手を掴んだ。


 頭は狼そのもの。肉食獣のそれ。

 全体が薄めの茶色の毛皮に覆われている。発光パネルからの光が後ろから照らすと輪郭が銀色を帯びる。つやつやと美しく、ともすれば金色の光沢を感じさせた。

 三角の大きな耳は凛々しくピンと立ち、手を伸ばしたデードリッテに興味を抱いてるように真っ直ぐに向いている。耳の下から顎にかけては豊かな毛が層を成している。触ったらふわふわで気持ちよさそうだ。


 口元に目を移すと、鼻面が大きく突きだしている。一般にマズルと呼ばれる筒状の顎を持っていた。その先に焦げ茶色の鼻がちょこんと座り、てらてらと輝く。

 マズルの付け根のすぐ上には印象的な双眸。紡錘形に開いた目は少し小さめに感じる。そこに吸い込まれそうな青い瞳が内から光を放つように見つめてきた。


「どうした?」

 マズルの構造上か、低くこもったような声。

「怖いのだろう?」

「でも……」

「気にしなくていい。慣れている」

 そう言うと狼は目を逸らした。


(嘘。傷ついてる。ナイーブなんだ)

 仕草は自分たちと全く同じ。いま対しているのは獣ではない。同様の精神文化の持ち主。


「起きた? じゃ、一応バイタルチェックするわね」

 光学遮蔽を越えて女性が姿を見せる。

「私はアマンダ・グロフ。GPFの軍医。本当は戦艦勤務だけど今は用がないから地上勤務になってるの」

「わたし」

「大丈夫大丈夫。びっくりして失神しただけだから問題なしなし」

 接触端子の接続だけ確認した女医は数値を読みあげて太鼓判を押した。


 その間も狼は所在なさげに目を逸らしている。

 身長は2mを越えているだろう。149cmしかないデードリッテでは立っても見上げるようだと思う。

 筋骨隆々というわけではない。が、先行して開発された新型パイロットスーツは筋肉の輪郭を際だたせていた。特殊仕様の腰の後ろには尻尾を収める部分があり、中でうごめいているところが彼の戸惑いを如実に表している。


「どうしたの? 彼のこと、気になる?」

 手を放さない彼女に軍医はくすくすと笑う。

「そうよね。珍しいもの。じゃ、二人にしてあげる」

「ありがとうございます」

「感謝ならあっちにもね。抱きあげてここまで運んできたのよ」

 今はフィットスキンだけになっているのは気付いていた。

「脱がせたのはグロフ医師だ」

「うん、分かってる」

 頬を染めるデードリッテに狼が言った。


 彼は諦めたように再び腰掛ける。ようやく手を放し、狼をじっと見つめた。つくづく不思議な生き物だ。つい、そう思ってしまう。


「ちょっとごわごわ」

「すまん」

 彼女が触っていた手を持ちあげて恥じるようにしている。

「アゼルナン?」

「ああ、そうだ」

 言葉少なに認めた。


 アゼルナンとは獸人種ゾアントピテクスの一系統。星間銀河圏の人類は収斂進化によりほとんどが猿系統進化種の人間種サピエンテクス。最新のゴート系人類も人間種サピエンテクスだった。

 ただし、いくつかの獸人種ゾアントピテクスの系統が存在し、アゼルナンは今回デードリッテが来ているオノド星系の惑星アゼルナが発生地だ。


(でも、ちょっと違う)

 形態が露骨に異なる。


 狼系の進化種であるアゼルナンに会ったのは初めてではない。何人かとは会話も交わしたし、講演の観覧席にも多数のアゼルナンが興味津々の視線を向けてきていた。

 なのに失神するほど驚いたのには訳がある。アゼルナンは口吻マズルがずっと短いのだ。多少の個人差があっても平均して5cmほど。10cmを越えることはない。

 しかし、前にいる狼のマズルは明らかに20cm以上。ゆえに見るからに狼の容貌をしているので恐怖感が先に立ってしまった。


「ごめんなさい。失礼なこと訊いて」

「構わん。初対面なら訊かれるのが当たり前だからな」

 口元に自嘲が浮かぶ。


(案外表情豊かなんだ)

 話すのが楽しくなってきた。


 人間種サピエンテクスのような唇はない。ただし、比較にならない長さを持つ口の縁にはほとんど黒に近い口唇襞こうしんひだがある。そこがプルプルと震えて、まるでゴムパッキンのようで、よく見ればユーモラスでさえあった。


「名前は?」

「ブレアリウス・アーフ」

 意外と長い。

「君は?」

「え?」


 聞き返されるとは思わなかったデードリッテは戸惑いの声をあげてしまった。

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