9.旅立ちの前夜 1


 夕暮れ時の騒動の後、ラキィは自分の部屋に一人で籠ってしまった。


 ラルコは廊下に座り込んで、「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も頭を下げ続けたが、中からは何の反応もなく、扉の前で途方に暮れていた。

 だがそもそも、部屋には鍵など付いてはいない。中に入りたければ入ってしまえばいいだけなのだけれど、ラルコにはその勇気が出ないらしい。

 リュカスもさすがに心配して「僕が話をしましょうか」と申し出たのだが、ガルブに「お前は余計な事すんな、2人に任せろ」と言われ、引っ込むしかなかった。

 ガルブと同様、ミンディもさほど心配している様子はない。父と母は、自分達の娘を信じていたのだ。


 そして少女は、暗い部屋の中でひとり、枕を抱えて思い悩んでいた。


 ラキィは、聡明な子だ。

 役人には従わざるを得ないこと、庶民が王宮の意向に抗う術などないこと。そんなことは、言われなくてもちゃんと判っている。

 ラルコが単なる迷子の少年ではないことも、いつかは別れの時が来ることも、始めから知っていた。

 その時には、笑って送り出してやろう。泣いたりしたら、あの子に辛い思いをさせてしまうからと、ずっと覚悟を決めていたのだ。


 でもそんなお利口な理屈は、いざその時が来たら全部吹き飛んでしまった。

 別れたくない。大人の都合なんか知るもんか、王宮だってどうでもいい。

 ほんの一月、一緒に暮らしただけだけれど、二人はもう魂で結ばれてしまっている。

 いやそうじゃない、初めて手を取った時から感じていた。この子と自分は、出会ってしまったのだと。


 それは恋と呼ぶにはあまりにも幼く、だがそれだけに例えようもなく純粋な、真実の思い。


 逃げ出してしまいたいと思った。

 ラルコと2人で誰もいない国に行けたらと、そう願った。

 それが叶わぬことも、よく判っていた。

 でも、この気持ちを捨て去ることなんてできない!

 例え世界中を敵に回しても、あの子と共にありたい!


 だから少女は、決心した。

 運命から逃れられないのなら、こちらから前に進んでやろうと。



―― * ―― * ――



 夜が更け、家族が寝静まりラルコも廊下でウトウトし始めた頃、ようやく部屋の扉が開き、ラキィが顔を覗かせた。


「ラキィ……」


「入って、ラルコ」


 灯りの消えた部屋の中で、ラキィとラルコはベッドの上に向かい合って座った。


「ごめんなさい」


 これで何度目になるだろう、ラルコが頭を下げる。


「ううん、謝らなくていい。

 記憶が戻っていなくても、あなたがそう感じたのなら、それは正しい。もう止めたりしないよ」


 少年は黙って頷く。


「その代わり、あたしは決めたの」


「決めたって、何を?」


「ラルコ、これからあたしが言うことをしっかり聞いて。

 このことは絶対に他の人にしゃべっちゃ駄目、二人だけの秘密だからね。いい?」


「うん」


 ラキィは、目をつぶって大きく息を吸った。


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