人でない私達

無駄職人間

第1話 『穴の開いた器』

「わたしは何の為に作られたのか?」

 そう思うようになったのは、わたしが小学五年生の時だった。

 この五年生と言うのは、わたしにとって大きな変化であり、世界が美しくないと悟り始めたのだ。

 わたしが五年生以前の人生を一言で表すなら、穴の開いた器だった。

 ただ、満たされることを感じず、何もため込んでいない時代だった。

 友達もなく、勉強も分からず、ただ、穴の開いた個所から時間と共に流れていくのだ。

 


 五年生のある日のことだった。それは太陽が緑の葉からこぼれているのを覚えている。

 これは美しい表現を入れたのではない。ボクはその時、一つの穴が塞がり、記憶が残されているのだ。

 これがボクにとって一番古くて、大切な記憶のひとつなのだ。

 寝ることしかなかった日曜日の朝。二人の同級生が遊びに来てくれた。

 一人は後川という名前で、ボクが住むマンションの一階に住んでいる子だった。

 もう一人は芥原という名前で、別棟のマンションに住んでいる子だった。

 二人は仲が良かった。それは二人の兄が仲良しであったのが理由だったと思う。

 ボクと二人との接点は、ただ同級生と言う関係しかなかった。 

 それだけなのだ。

 ボクは二人に連れられて、後川の住む一階の廊下に向かった。

 ボクたちは地べたに座った。

 そして後川と芥原はタイルの床にポケットから取り出したカードを並べた。

 カードには表と裏があり、裏はすべて同じ柄で統一されていた。

 表面は色や模様が異なっていた。

「なあ、これで遊ぼうや」

 後川はボクに遊ぶことを教えてくれた。

 他人と遊ぶことを知らないボクに遊ぶ方法を教えてくれた。

 これがボクにとって初めて他人との接し方を知ったのだ。

 先生や親からではなく、ボクとおなじ歳の子供が教えてくれたのだ。

 ボクはそれから遊び方を覚えた。

 でも、カードに書かれた文字が理解できなかった。

 それは決して、文書が難しいとか、英語で書かれていたのではない。

 それは一年生でも遊べる日本語で書かれた玩具なのだ。

 もしかしたら、ボクが字を読めないと思ったのはこの時が初めてだと振り返って感じる。

 そんなボクだったが、二人は熱心に試行錯誤して、まずテキストの書かれていないカードを束にして、遊び方を先に教えてくれた。

 親や先生からではなく、同じ歳の子供によって知に触れさせてくれたのである。

 風が吹いた。いままで飛ばされていたのであろうボクが初めて、地面に接していることを知った。

 そして音、葉っぱが風に揺れて、太陽の光が零れる。

 ボクは、その時始まったのである。

 その日はマンションのランプが付くまで遊んでいた。

 その時の意味を理解できない楽しさを今でも覚えている。

 また、そのあとに起こる初めての恐怖も知る。

 

 ボクは二人から貰ったカードと遊び方が書かれた説明書を小さなポケットにしまった。

 階段を上がり、遠くに芥原が帰っていくのが見えた。

 また、外の世界がこんな細かな場所だったのかと知った。

 クレヨンで描いた絵ではなく、線と線、角と角など、世界が細部にまで手が加えられている感じがした。

 いま、手にしている手すりでさえ、意味があるから作られたのだと思い込み始めた。

 そしてボクは、この世界に何のために作られたのか疑問に思った。 

 ボクにはどんな意味があるのか分からなかった。

 そして気づいた。両親なら知っている。

 両親ならぼくを作った意味を知っているはずだ。

 ボクは急いで階段を駆け上がり、家に帰った。

 日はもう沈んでいるというのに。


 家の前に着くと、ボクは父親に怒られた。

 暗くなっても帰ってこなかったことに怒られた。

 ボクは暗くなっても楽しかったのに、父にはそれが許せなかった。

 ボクはただ、怒っている父の前にいた。

 怒られている理由はわかる。理由にも納得している。

 でも、父はボクを怒鳴るための意味と思うと、悲しくなった。

 だって、ボクは怒られるために作られたのだから。

 

 翌年になり、六年生になったボクは怒られる日々が多かった。

 勉強や知的能力のなさ、常識の欠如など、様々な分野でボクは両親から怒られたのだ。

 同年齢と比べ身体的、知能的に欠落があると先生から病院への診断を進められた。

 両親はボクのことを隠していた。

 おかしいところを必死に隠していた。

 隠すために、父はどなった。

 普通にやりなさい。一般人のようになりなさい。

 でも、ボクは普通になるのが、とても遠かった。

 羽のないぼくをあの青い空を飛べるように。

 ボクは何度もジャンプした。手を空に伸ばし、大好きなウルトラマンのように空を飛ぼうとした。

 でも、地上と離れた時間は、長くなかった。

 机から鉛筆を落とすより、早かった。

 そう、鉛筆。自分はその頃、絵を描くのが好きだった。

 自分はカードに描かれたモンスターが好きで絵描きが好きになった。

 クラスにも絵を描く生徒は何人もいた。

 その中で四角い枠に絵を描く子がいた。

 自分は不思議だった。

 絵と言うのは、一枚の白紙にひとつの作品を描くことだ。

 でも彼の絵は、一枚の白紙に、たくさんの枠を描き、その中にまた絵を描いていた。

 初めてだった。

「不思議な絵を描くね」

 自分はその子に言った。

 すると彼はこう言った。

「このキャラクターは俺のオリジナルなんだよ!」

 自分には彼の言葉が何を言っているのか分からなかった。

 彼はとても優しかった。

 分からない自分に対して、簡単に説明してくれたのだ。

「この絵はねえ、俺が自分で考えて作ったんだ」

 自分は驚いた。

 同級生がもう自分で意味を作り上げていることに。

 自分はただ、白紙に絵を描く、それは元々あるものを描くことだった。

 それは作ることではない、ただ、作られたものをまた作ることなんだ。

 それには自分である意味がない。誰でもいいのだ。

 それから自分で一から作り始めた。

 でも、自分のクレヨンでは色は出せても、影と光、円と円は描けなかった。

 その時初めて、先が平らな鉛筆を削ったのだ。

 

 その後、彼は自分の絵を見たのだ。

 自分はとてもワクワクした。

 だが、自分は初めて同級生の子に怒られたのだ。

「これは俺の作ったキャラクターに似ている。これはパクリだ、今すぐに消せ!」

 その時、自分は思った。

 自分には新しく作ることはできないんだ。

 自分は急いで真っ白な消しゴムを初めて使った。

 でも、彼の怒りは、絵に残った鉛筆跡のように完璧に消えることは出来なかった。

 それから自分は絵を描かなくなった。

 


 いや、ここで書くのをやめよう。

 「」のことを書くのが出来なくなった。

 突如、思い出す苦い唾液で書くことが嫌いになった。

 それからの記憶はすべて嫌だ。

 書くことで思い出してしまう。

 忘れたくても、色や音が歪んで反響しあって、「」は頭の中で、駄目だ見てはダメだと、情景をかき乱す。

 思い出したくない、「」に向けられた言葉、それは「」が悪いのだから。

 「」はだからこれを書き残そうとした。でもこれ以上はかけない。

 他人から罰はもう受けた。なのに「」でさらに追い込むように罰を与える。

 これはもはや罰ではない、自傷行為だ。

 でも、これだけは忘れる前に残さねば。

 「」は他人を怒らせるために作られた意味なのだ。

 もしくは傷つくことが「」の意味なのかもしれない。

 どちらも、いい意味ではない。だから、普通にはない美しさがある。

 みんな違って、人は美しい。

 「じゃあ『ワタシ』は人なの?」

 人じゃないから、美しくない。

 人じゃないから、普通ではない。

 普通ではないから、怒られる。

 怒られるから、「僕」がいるんだ。

 「じぶん」のいる意味は、そういうことなのだ。

 今日はそれが私達の意味なのだ。

 


 あれから時間が経った。わたしの意味は変わらなかった。

 皆、わたしを置いて大人になっていった。

 わたしはこれからも誰かの怒りを生み出し続ける。

 でも、それが本当の意味なのか分からない。

 だって、わたしは穴の開いた器なのだから、永遠に満たされず、答えは溢れ出ないのだ。 

 そんなことを言っても、わたしは社会人となっていくのだ、形式的には。

 でも、わたし自身は大人になり切れていない器なのである。

 まだ、わたしは父ではない。

 この先、わたしは生きていけるのか分からない。

 いっそ、これだけを書いて、去るのもいい。

 それは遠い先でもいい。 

 つらくなったら、辞めてもいい。

 諦めたくないのは、まだやりたいことがあるから。

 わたしにも、失い続けても、やりたいことはある。

 だから、やっぱり少し生きて行こうと思う。

 ここでわたしは打つのをやめよう。

 だって、意味なんか変わらないのだから――――。

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