第86話 ※超冷却

「……またか!?」


 安心したのも束の間。また紫色の煙が発生し始めた。先程と同じく地面を這うようにジワジワと部屋を侵蝕してくる。


「さっきのを見てなかったのか? こんなのもう無駄なのに」

「……そうだな」


 メルトアとの付き合いが短い涼風にはわからなかったが、その声色には疲れが滲んでいた。

 同じように吸い込み、そして内臓で煙幕を焼却する。


「……えほっ」


 変化に涼風が気付いたのは、二回目の無毒化が終わった直後だった。


「お前、何か疲れてないか?」

「疲れてない」

「いや明らかに疲れてるぞ。声に元気が無いし」


 ひょっとして完全に無毒化できていないのだろうか。そんな予想が涼風の頭に浮かび、不安を煽る。

 実際には煙に毒など無く、メルトアは一切ダメージを受けていない。


 本当に疲れているだけだ。その様子を見ていた雨桐は自らの推理が当たっていたことを確信する。


(やっぱり! 私の予想は正しかったネ! アイツ! あの王女! 一々無毒化するだけで超疲れてる!)


 理由はたった一つしか考えられない。

 メルトアが煙幕を無毒化する際、そこに余計な手間をかけているからだ。


(間違いない。一々、熱した内臓を急激に冷却している! そりゃそうだヨ! ここ屋内だもんネ! 火事が怖いから熱くなれるはずがない!)


 パノラという例外はいるが、屋内での火や高熱の扱いには本来慎重にならなければならない。メルトアとてそこには気を付けるというだけの話。

 高熱を使えばその度に冷却したくなるに決まっている。


 もし仮にここが屋外だったならばこんな手間はかけずに済んだだろう。煙幕も無制限に焼却し放題だったはずだ。

 だが現実にいる場所は屋内。そして、あの様子だと冷却には加熱よりも肉体的な負担を大きくかけるに違いない。


(まさかこんな弱点があるとはネ……! こうなったらそこを重点的に突くしかない!)


 発煙筒にまた火を付け、別の場所へと投げ捨てる。紫色の煙が三度出現した。


「んなっ……またかよ!?」

「ぐ……余に任せよ! 何も問題は無い!」


 健気だ。そこは雨桐も認める。だが、メルトアはやはり子供だった。

 自分の不調を隠すことがどうしようもなく下手すぎる。努力はしているようだが、その様は涙を誘うだけで実用性はまったくない。


(あと何回か繰り返せば必ず煙幕の焼却が追い付かなくなる! そうなったらまずあのツナギ女を始末! その後で五香に触ればゲームオーバーだヨ!)


 ところで、山城涼風を始末することはメルトアの精神をグズ付かせて五香の守りを雑にするという道筋を作るための下拵えでしかない。

 煙幕を張って目眩ましをした上でガードをすり抜けるという道筋が見えた今、山城涼風を始末するのは蛇足だ。


 しかしメルトアはどうあっても危険すぎる。少しの手間で大幅に弱体化できるのであれば、その手間は惜しむべきではないと雨桐は考えていた。どちらにせよ、五香を攫っただけでは雨桐の仕事は終わらないのだから。


 後顧の憂いを絶つという意味でも、メルトアの精神には傷が残った方がいい。


(さあ。あと何回で沈むか試してみなヨ)


 またしても煙幕が消え去ったので、そのタイミングで発煙筒を再点火する。

 その後、煙幕は消えて再発生。消えて再発生を繰り返し――


「……ッ!」


 合計六回目の時点で、メルトアが口を抑えたまま膝を付いた。


「メルトア!?」

「だい……じょうぶ……ぐっ……!」

「大丈夫って顔じゃないぞ! 身体も滅茶苦茶冷たいし!」


 その会話を裏で聞きながら、雨桐は握った拳を小さく掲げた。


(勝った! フィジカルお化けだからすぐに回復するだろうけど、しばらくメルトアは煙幕の処理ができない! 今度多めに焚けば視界は完全に閉ざされる! 私の勝ちだヨ! ザマァないネ!)


 雨桐は自らの勝利が目前に迫った高揚感に身を浸す。

 その途中でも三つの発煙筒に一気に火を付け、すべてを決めにかかっていた。


 雨桐の認識は多くの部分で間違ってはいない。作戦はほぼ成功したと言っていいだろう。

 だが、変化は小さいながらも部屋の中で起こっていた。この時点で雨桐は気付くことが不可能ではなかったのだ。


 五香争奪戦とはまったく別のところで、自分が決定的なミスを犯したことに。


(くそ! 体温の低下が著しい! まるで氷のよう……?)


 涼風はメルトアの周囲にいたため、その変化に一早く気付く。

 あまりにも荒唐無稽だったため理解が追い付かなかったが、それが何なのかは認識できた。


(氷のよう……っていうか……あれ? 肌に霜が降ってないか?)


 顔や胸の谷間に小さく降りかかっている白い粉状の物。

 それはあまりの冷たさ故に、部屋の水分がメルトアの肌の上で凍った霜だった。よくよく観察してみると、メルトアが荒く吐く息も冷凍庫から漏れているのかと錯覚するくらいに冷たすぎる。


「ぐ……!? 何だ? 余の身体に、何が起こっている? 寒すぎるぞ……?」


 寒さに震える右手を見ながら、メルトアは自らの変化に戸惑っているようだった。

 彼女自身にもわからないのであれば涼風にもわかるはずがない。


 だが雨桐なら、もっとよく考える暇があったらわかったはずだった。

 、そこを考えさえすれば。


(さあて、フィニッシュ! これで私の完全勝利だヨ!)


 防ぎきれない量の煙が今度こそメルトアたちに襲い掛かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る