第77話 ※バーントオフィス

 臭いは、少し歩くだけでどんどん強くなっていった。

 この階に到着してから気温が二度、三度上がったのも気のせいではない。


 この階層では、何かが熱を発している。


 加えて、やはりこの階層も不思議な程静かだった。


「……メル公。ちょっとこの辺で誰か来ないか見張っててくれよォ。私たちは部屋の中を見るからよォ」

「わかった。気を付けて行くのだぞ」


 適当な言い訳でメルトアを廊下に残し、ドアを開ける。

 鍵はかかっておらず、中には簡単に入れた。


 ムワッとした空気が五香の顔を撫で、臭いはもうむせ返るくらいの物になっている。


「……ッ!?」


 後ろを付いてきていた涼風が絶句していた。五香も慣れていなければ吐いていたかもしれない。


 しかし、原形をほぼ留めていなかったため、見た目から受けるダメージはもうほとんど存在しなかった。元の姿を知っている知り合いの誰かだったとすれば悲鳴の一つでも上げていただろうが、幸いなことにそういうわけでもない。


 せいぜい、人型であるということがわかるだけのだ。頭が痛くなるくらい不愉快なだけで、特に活動に支障はない。


「……別に外に残っててもいいぜェ」

「いや。入る。入るよ……私がいないとわからないこと、まだいくらでもあるだろう?」


 健気だ。あるいは、外に出たいという願望がそれ程に強いのだろうか。

 五香はそれきり無言で中に入り、涼風が入ったことも確認すると、ドアを閉めてメルトアに会話が聞かれないようにする。


「……燃やされて死んでるよなァ?」

「何だこれ。何が起こったんだ……!?」


 そこはオフィス。普段ならば多数の事務員が作業していたであろう仕事場。パソコンがあるデスクと椅子が規則正しく並ぶ、照明から床まで清潔に保たれた大部屋。


 そこに転がっているのはちっとも清潔ではない、炭化して煙を上げる焼死体の群れだ。ボクシングでもしているかのような、丸まって手を前に突き出した姿勢で固まっている。


 服装からして、いかにもデスクワーク担当ですとでも言いたげな腕を捲ったラフに着崩すスーツスタイルだ。

 どの死体も似たり寄ったりの服装で、おそらく部外者は一人もいない。この場にいる全員がここの職員だろう。


「……変だなァ。何で半ば炭化してるのに、服がまだ残ってんだァ?」

「え。いや、ちょっとは燃えているが……」

「ちょっとで済んでるのがおかしいっつってんだよォ。焼死体にわざわざ後から服を着せた……? いや、違う。姿勢がもう変わらないくらいボロ炭になってる死体にそれは無理だ。だとすると……」


 涼風は気持ち悪くなってきた。

 何の変哲もないオフィスに焼死体がゴロゴロと転がっていることが、ではない。

 その状況で冷静な判断力を失わず、しかも考察までしている女子高生がひたすら気持ち悪くて、怖かった。

 死体にどれくらい熱が残っているのか、傍にしゃがみこんで手をかざし調べたりもしている。涼風なら、または普通の人間ならば近付きすらしたくない。


「……熱すぎる。まさか、この死体……」


 調べている内に、何かにピンと来たらしい。おもむろに両手を合わせて拝み、かと思えば立ち上がって――


「ごめんなさい!」


 思い切り焼死体の右腕を蹴り潰した。

 硬かったようだが、弾力が無くなったのも相まって、二度の蹴りで完全に折れて、右腕はその辺に転がってしまう。


「うおおおおおおいっ!? 何やってんの、この罰当たりJKは!」

「だから拝んで謝っただろォ?」

「仮に相手がホトケでも限度があるっつの!」

「同感だけど、今は一刻を争うかもしれないし。見ろよ、これ」


 足で折れた右腕を転がし、五香はその断面を涼風に向ける。

 見ろ、と促されれば見るが一生に一度たりとも見たくない光景だった。


 断面も、骨に至るまで焦げているように見える。折れた途端に熱が逃げ始めたのか、そこから一際多い湯気が出始めた。


「何だよ。中までしっかり火が通ってますねって? そんなことを確認して何に……」

「そう。そこさァ。でもそんなのありえねーだろォ」


 皮肉で言ったことに、五香は真面目に同意した。


「ここ、火葬場じゃねーんだぜェ? しかもこれはどう見ても人体。なんてことが起こるはずがない」

「……い、いやいや。ガソリン……は臭いからして無しとしても、未知の燃料でしっかり燃やされたとか……」

「そういうんじゃねーなァ。だってその場合、燃料をかけるのは体表だろォ? 服の謎は置いとくとしても、その場合焼けるのは身体の表面。中までしっかり火を通すのは至難の業さァ」


 それに、と五香は続ける。


「……どちらかと言えば体の内側の方が熱い……見ろよォ、この断面から立ち上る湯気。ただ火炎放射を浴びせかけただけじゃ絶対にこうはならない。さっきからこの階層の気温が高い気がするのも、この焼死体群が文字通り熱を発しているからさァ」

「でも……いや。それじゃあ一体何をどうやれば人間を内側から炭化させるなんて熱し方ができるんだ?」

「……一種、森精種エルフの加護を始めとした超能力のような現象……としか考えられないなァ」


 それは結局、この焼死体群に何があったのかがまったくわからないと言っているも同然だ。


「遠回しな敗北宣言だな」

「かもなァ。さて」


 五香は周囲を見回す。

 そして、直近では目立った危険はないと判断すると、何の衒いも無く真顔で宣言した。


「漁んぞォ。副町長の部屋じゃなさそうだけどよォ……ここを調べないわけにも行かねーし」


 勘弁してくれ、とは言えなかった。

 涼風もここで何があったのか知らなければならないという点には同感だったので。

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