第59話 ※マリーシャという女
マリーシャ・エッジグラウンド。種族は
遡ること百二十年前、とある宗教が盛んな街において普通に生まれ育ったはずのマリーシャは、誰もが耳を疑う犯罪を成し遂げた。
町全体の乗っ取り。言霊の加護の操作による、女性の大量連続強姦だ。
それは計画の綿密さによって実現したもの、というよりはマリーシャの執念から来る継続力、宝くじで大金を狙うような途方もない偶然を伏して待つ我慢強さ、それらを併せ持ってなお腐らない精神力によって行われた大犯罪だった。
しかし、数値だけを見ればマリーシャは一人たりともこの事件で人を殺してはいない。にも関わらず史上最悪と渾名されるのは、彼女自身おそらく予想していなかった副次的な効果によるものだ。
その街は
つまり姦淫によって汚されてはならない場所、汚されてはならない人が一気に堕落させられてしまったのだ。影響はもはや将棋倒し状に広がっていく。
結果、
地上から文化を一つ、丸ごと消し去った女。それがマリーシャ・エッジグラウンドだ。
「……!」
賭博におけるその役割を終え、後は経過を眺めるのみと静観を決め込んでいたマリーシャは、その経歴からわかるように決して容易い人間ではない。数々の修羅場を乗り越え、それなりに神経が太くなった自覚もある。
だが、あの学生服の小娘が取った作戦には流石に心底から恐怖した。
「ちっ……! あの娘の近くにいる山吹は……!」
壊れていても構わない。せめて真意を計る程度のことはしなければ気が済まない。いくつか言葉を交わせれば十分だ。
この症状からして、時間はあまりなさそうだった。
◆◆◆
「何をしている?」
足元から声をかけられたので、五香は思わず飛びのいてしまった。
すっかり壊れたものだと思い込んでいた山吹の首から発せられた声のようで、その音質はさっきまでと比べると非常に悪い。
こんな無理やりな対応を繰り出すようなら、おそらく五香の推理は当たりのようだ。
「ちょっとおかしいと思ってよォ。お前、中の人はちゃんとした生の人間だな? ついでに言動からして、パンプキンを操っていたのも間違いない。でもこの二つの事実は現状から考えると辻褄が合わなくなる。
人型のロボットだぜェ? ほとんどの操作……例えば重心操作や撃たれたときの反応防御はAIによる補正で何とかなるとして、どこに接着剤を投げるか、防御に使ったクッションをいつ切り離すかは流石にお前の任意操作のはず。
でもそこまで詳細な操作をするにはどう考えても、パンプキンに搭載されているセンサーだけで追いつくとは思えない。仮にそれで追いつくとしても、マニュアル操作が不合理かつ不自由なものになることは想像に難くない」
そこで言葉を切って、五香はある一点を見る。
「でも解決策は無くもない。本体が、操作している人形の動きを詳細に認識できればパフォーマンスはかなり向上する。バレないと思ったかァ? お前が近場にいることはとっくに予想済みだっつーんだよォ」
「……!」
「おそらくお前の種族は五感に鋭い
なら聴覚? 悪くはないし多少は使っているだろうけど厳密にはこれも否定。ジョーの銃声でエコーによる認識がブレにブレるだろうしなァ。
ならば真相は? どうやってお前はこっちを認識していた? 答えは……正直信じがたいがたった一つしか考えられない。触覚さァ。
お前は地面に伝わる振動を詳細に感知して、私たちとパンプキンの位置関係どころか接着剤がどこに落ちたかすらもすべて見通してたんだ。
で、結局お前はどこに潜んでいるのか。どうして私たちに見つからなかったのか? ここまで来れば後は消去法になる」
ジョーの嗅覚に引っかからないよう風下に陣取らなければならないだろう。
地面の振動を感知する以上、そこまで遠くにはいない。
更に、協定に守られた人間は危険に晒せないという性質上、逆説的に元パンプキンはホテルの宿泊客ではない。シャッターで守られたホテル内にもいないはずだ。ホテルの宿泊客が訪れるかもしれない店舗も同様。
これらの条件を満たせる場所は極めて限定される。
ここまで聞けばマリーシャも理解するだろう。五香が本気でこの作戦を取っていることを。
「……お主……悪魔か? そこまでわかっているのであれば、あの王女に『手当たり次第に燃やせ』と指示することがどんなに残酷なことかわかるじゃろう?」
「何も問題ねーなァ」
平然と五香は跳ね返した。
「私は何も間違えない。もしお前がメル公のせいで死んだら、責任は全部私がおっかぶってやる。お前を追って死んでやるよ」
「……ク……」
その一言に、元パンプキンは――
「……くきゃはっ」
耳のいいジョアンナにしかわからない声量で、確かに笑った。
不吉な笑い声だった。
「さあ。死にたくなければさっさとそこから出てこいよォ。熱されたポップコーンみてーに派手になァ」
ガタン! と予想通りの場所から音が出た。
五香の唇がゆっくりと弧を描き、凶暴な犬歯が炎に照らされてぬらりと光る。
そして、勢いよく空へと跳ね上がったのは――
「ようやく会えたなァ、おい」
鋼鉄製のマンホール。
そして、地上の炎に照らされて橙色に照らされる森精種の神官だった。
たっぷり滞空した後で着地したそれは、派手な目隠し型の仮面を被っている。
毛皮のような白い房と一体化しており、一瞬それが髪の毛かと見紛った。
服は薄手のワンピース型の布で、凄まじく露出度が高く、足も何も履いていない素足。
手に持つ槍は、何かの儀式用のものか仰々しく、実用性は無さそうだが鋭かった。
シャーマンという単語が五香の頭に浮かぶ。装飾品の一つ一つが本格的だ。
「敬意を表そう。その証として、お主たちに名乗ろう。儂の名はマリーシャ。マリーシャ・エッジグラウンド。今は獄死蝶というテロ集団の幹部をやっておる。お見知りおきを、じゃな」
隠れているのは眼と髪型だけだ。表情はわかる。
その姿を見た五香は、頬を赤らめて惚けた。
(……嘘だろ。滅茶苦茶美人っぽいぜェ!?)
惚けるほどに美しかった。
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