裏新宿侵入編

第13話 ※肌に吸いつく違和感

「こちらからも……訊いてもいいか?」

「まあ、フェアじゃねーもんなァ。でも時間がない。早めに済ませてくれよォ」


 五香という賢人種サピエンスに年齢を開示し、いくつかの言葉を交わしたとき、既にメルトアの警戒心は凪いでいた。

 勇気を振り絞って告白したときは不安のあまり泣き出してしまったが、今はもう涙は出ていない。またすぐ出るかもしれないが。


 この自分よりも小さい五香は、自分よりもお姉さんだと言う。

 賢人種の脆さと弱さは既に、親愛なる母から存分に聞かされていたはずだった。だが六歳の自分よりもずっと年上なのに、ここまで身体が不完全だとは思ってもみなかった。


 子供の自分でも容易く壊せそうなこの生物は、まるで出来の悪い積み木の城だ。


 だから気になった。

 自分より小さい五香を、ずっと遠くから尊敬するように眺める大きな犬のことが。


「……ははっ。いや、ごめんなァ。お前、マジで凄いんだなーって思ってよォ」

「凄い?」

「ドクターと会って直後からは、ずっと何かを警戒して遠巻きも遠巻きに追跡してくるだけだったから」

「これだけの大きな森でも……生きて動いてる者はそう多くない。その中でずっとお前を見ていれば気付くだろう?」

「無理だっつの。少なくともそんな理由じゃ私は気付けない」


 そうだな、と前置きしてから五香は言った。


「ミッション2の私の相手。今は友達ダチってなァ」


 息が詰まる。

 それはメルトアにとって、天地がひっくり返るような衝撃だった。


「もう走れる程度には落ち着いたみてーだなァ。頼む。私を連れて、あの二人のところまで走ってくれよォ」

「……わかった」


 メルトアは認識を改める。

 この少女は自分ができなかったことができる時点で、既にただの弱者ではない。

 臆病なメルトアでも十分壊せるはずの脆弱な存在だった五香は逆に、その価値観を粉々にぶち壊した。


◆◆◆


「ほら、メルトア。もう目を開けていいよ」


 メルトアにとって、シャンプーというものはどうにも慣れないものだった。

 まず、目に入ったら痛いし。泡で髪の毛を無意味に立てたりしたら侍女たちが苦笑いするし。


 あと単純に、濡れて髪の毛がペタペタな感じになるのも苦手だった。


 乾かした後のサラサラな手触りは好きなのだが。


「……もうお風呂は終わりでよいか?」

「まだダメ。一緒に湯舟に入って、百……は少し長いか。五十まで数えたらね」

「わかった」


 メルトアはそそくさと湯舟に入る。

 時間が無かったので、そこに入っている湯量は大して多くはなかったのだが。


「……やっぱり脅威だなぁ、混竜種ドラゴニュート……」

「ふふふ。見ろ。余が入るとお湯が増えるのだ。王家の奇蹟だぞ、ふふふ」

「増えてるのは水じゃなくて嵩……ああ、いや。いい。野暮なこと言ってごめん」

「そら。ドクターも早く入るといい。余がいる間だけは王家の奇蹟でお湯が増えてるからな!」

「……う、うん」


 熱気のせいか、顔を赤くしたドクターも続いて湯舟に入る。

 そこそこの大きさの湯舟で、ドクターはメルトアと距離を取って風呂に入る。


 距離を取る理由がよくわからなかったので、肩が触れかねない位置まですぐ近付いたが。


「ん!?」

「……どうした? その辺にナメクジでもいたか?」

「い、いや……急に近付いてくるものだから」

「離れて入る理由の方があるまい?」

「……ああ、うん。そうだね。そうなんだけどさぁ……メルトアは六歳……メルトアは六歳……メルトアは六歳……」


 ドクターは先ほどから、メルトアの身体を洗う度にこんな当たり前のことを呪文のように唱えている。


 意味はよくわからない。だが王家の者の誕生日は毎年、国民が国をあげてお祝いするのでそういうノリかもしれない。


「ところでドクター。さっきから気になっていたのだが……?」

「……ああ、これ?」


 ドクターは呪文を中断し、背中の方に意識を傾ける。

 彼女の背中には背骨を挟むようにして、六つの穴が開いていた。


 傷だとしたらおかしい。邪鬼種は不死身なので、体に穴が開いたところで時間を置けばすぐに治る。


 その穴はまるで、最初からそういう身体の特徴のようにずっとそこに存在した。


「……まあ、メルトアならいいか。ここ天井も高いし。秘密にしててね」


 湯舟から右腕を高く上に挙げる。

 すると、ドクターの背中の穴から湯を押し退けて何かが出て来た。


 右腕に巻き付いたそれは、湯気のお陰で凝視していれば辛うじて視認できる。


「……爪?」

「そ。私の見えない武器の正体。生物兵器『透明粘獣クリアスライム』。まあ要は改造人間なんだよね、ウチ」

「かいぞーにんげん」


 メルトアは素直に感動した。

 改造人間。フィクションの中でしか見たことはなかったが、まさか実在していたとは夢にも思わなかった。


「一部界隈では魔物の代名詞のスライムを背中から出せる。これだけの単純な力だけど、硬さはある程度自由自在。

 スライムだから形も可変。爪にすれば大抵の生物は斬り捨てられるし、盾にすれば弾丸も防げる優れもの。

 何よりも透明だから不意打ちもやり放題と、かなり応用が利くよ」


 それであの化け物たちと大立ち回りができていたらしい。

 メルトアは、すっかりドクターの能力に魅了された。


「素晴らしいな。風呂場でなければバレもしないのではないか?」

「……普通ならね」

「ム?」


 何か引っかかる物言いだったが、気のせいだと思い追及はしなかった。


「ドクターは凄いな。改造人間だし、余のことも助けてくれるし。優しいし」

「まあ……正義の味方だからね」


 爪を引っ込めたドクターは、隣のメルトアに笑いかける。

 その笑顔をメルトアは――


(……でも)


 嘘臭いと思った。


(……余の友達のことは助けてくれなかった。五香は助けることができたのに)


 メルトアはドクターのことが好きだ。

 樹海で自分のことを助けてくれた。メルトアを守ろうという意思が本物だということは疑っていない。故に好きにならない要素がない。


 だが、メルトアでは言語化できないどこかを間違えている気がする。

 五香のような正しい生き方をしていない。

 ひょっとしたら、ジョアンナよりも間違えているかもしれない。


 そんな疑念が、心の中に沁みついて消えない。


「メルトア?」


 暗い顔になってしまったのだろうか。

 ドクターが心配そうな顔を向けてくる。


 取り繕おうかとも思ったが、その前にドクターはメルトアの肩を優しく抱き寄せ、身体を真正面から押し付けてきた。


 肌と肌、お互いの柔らかい場所が余すことなくくっつき、熱い。

 何か悪いことをしている気になったが、どこが悪いのかメルトアには判別できなかった。


「……絶対に守ってあげるからね。あののときみたいに」

「……うん……」


 メルトアは戦えない。

 決して負けないとはわかっている。だが相手を壊さない自信がない。


 生命が壊れることは、とても恐ろしいことだと知っている。


 おそらくチームの中でドクターだけが、それを知らない。

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