第18話 【インタビュー】×【辞書】

「タク……起きて。もうすぐ来ちゃうから」

 ――来ちゃう? それは何の話だ。

「野沢だよ。この間、部室に来た」

 ――野沢菜? 俺はそんなに食べないけどなあ。

「何、寝ぼけてんのよ!!」

「いたっ」

 肩の軽い痛みを感じ、俺は自分が眠っていたことに気づいた。ここは部室、真下には原稿、真上には神楽。

 神楽?? 神楽は眉根を寄せて、俺を見下ろす。

「早く起きてったら」

 どうやら作業中にうとうとしてそのまま寝てしまったらしい。ここのところ夢見が悪い日が続く。連日の睡眠不足は原稿だけが理由ではない。文彩先輩は、幾日も言葉に関する夢を見せてきて俺を消耗させてきた。部室に現れなくても夢にはかかさず出演し、必ず俺を扱きまくるのだ。

「今日はインタビューの日でしょ。タクがこの日で、っていったんだからね。それでアタシも急いで来たのに」

 そうだ。今日はあの男子が来るんだった。同好会設立書を考えるにあたってインタビューを敢行する予定だった。

 神楽が椅子を並べる。俺はゆったりとした動作で大きく伸びをして、スピーチ原稿をリュックにしまう。そして、開きっぱなしの辞書を閉じかけて苦笑する。


 【真実】しんじつ

 一.うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。

「真実を述べる」「真実な気持ち」


 申請書を作るために【申請】の項目を調べていたはずだった。それがなんの拍子か別のページが開かれていた。文彩先輩がここに来た形跡はない。だから偶然に決まっていた。それにしても奇跡的な偶然だと思った。

 先輩は自分の辞書の「真実」の項に蛍光ペンを引いていた。その上「真実」を赤字でぐるぐると囲む。挙げ句の果てにそのページをドッグイヤーにする念の入れよう。これは俺へのメッセージだろうか。まだ続きがある。『次のページを捲るように』と美麗な文字。


 【信じる】しん・じる

 一.そのことを本当だと思う。

「成功するものと信じている」


 例文がマークされている。俺は先輩の桁外れの情熱に心底驚いた。

「タクっ」

「ああ、ごめんって」

 俺は急いで片付ける。なんとなく辞書の内容は神楽に見せない方がいい気がした。

 野沢の来訪に備えなければ。といっても今日は野沢の初登場からまだ一日しか経っていない。こんなに早く進めているのは、やる気が有り余っているというわけではなく、スピーチ原稿という本筋にいち早く戻るためだ。あっさりスピーチでよいとはいえ、時間はあるに超したことはない。

 俺は筆記用具とレポート用紙をセットする。そうこうしていると、野沢が現れた。相変わらず弱そうな男子である。

 ちゃっちゃと終わらせるか――。インタビュー開始である。

****************

 ――はじめまして。一年八組の高階です。今日はよろしくお願いします。

 野沢です。こちらこそ、よろしくお願いします。

 ――では、はじめに。なぜタイツ同好会を発足させようと思ったのですか。

 その前に訂正してもいいですか。黒タイツです。黒タイツ同好会です。ベージュでも白でもなく黒です。そこを気をつけてください。

 ――失礼しました。その黒タイツ同好会を作ろうとした理由は。

 黒タイツが好きだからです。

 ――もう少し詳しく、お願いします。

 あの光沢、織りなす繊維の一本一本。TPOによって使い分けるデニール。その先に見えるものが想像を膨らませて、ドエロくないですか!!? そして膝の頭が少し薄くなっているのもポイント高いです。

 ――好きな理由は聞いていません。同好会を作ろうとした理由です。

 失敬。そういう会があれば、合法的に女子生徒を観察できるでしょう? 部活ではなく同好会にしたのは、同好会であれば一人でも人数の規定に抵触しないからですね。

 ――観察できるかはさておき。同好会の規則によると設立は当校の教育方針に合致しないといけないようです。承認者を納得させるだけの案はあるでしょうか。

 個性の伸長とかいうのですよね。はっきりいって、ないですね……。どう考えても黒タイツと教育方針は結びつきません。伸張するのはタイツだけにして欲しいですよ。それにですよ。案がないからここに来たのですが。

 ――活動目的と活動内容を教えてください。

 それは明確に決まっています。目的は黒タイツの素晴らしさを普及するためです! そしてその手段はビラ、掲示物を想定しています。

 ――すごいですね。しかし女子生徒にドン引きされないでしょうか。

 それを恐れていたら僕は文芸部の扉を叩いてはいないでしょう。

 ――あなたの話を聞いていると、タイツの素晴らしさを訴えるというより、タイツを履いた女子生徒を観察することに重きを置いているように感じます。

 ないと言えば嘘になります。タイツは着用者がいてより輝きますからね。ですがタイツ単品でも十二分に魅力的な代物です。将来はタイツメーカーに就職しようと思います。

 ――(ため息)。じゃあ、顧問のあてはあるのか。

 ないです。黒タイツに理解を示す顧問なんていないでしょう。でも、それもどうにかしてくれると思ってここに来ました。急いでいます。六月中に申請書を出さないと受け付けてくれないのです。

 ――活動場所は?。

 それは確保済みです。

 ――どこだ。

 脳内です。黒タイツとオレがいればいつでも活動できます。

****************

 最初、俺は手練れのインタビュアーよろしく真剣に話を聞き出そうとしていた。しかし途中からあまりの変態度に食傷し頬杖をついてメモを取っていた。

 この熱意のベクトルをもう少し別方向に向けられたらと思う。なあ、と同意を求めるように横を見ると、驚くべきことに神楽はディスカバリーチャンネルを見るように真剣な表情だった。野沢から繰り出される変態語録の一発一発は耳に届いているはずなのに一切同じない。そうやって、神楽の横顔を見つめていると、

「ちょっとタク」

「なんだ」

「真面目にやってよね。これは連帯責任なんだから」

 初耳だ。

「何いってるの。二人でやる以上連帯でしょ。いい? アタシたちだってできるってことを文彩先輩に見せるのよ」

「でも気持ち悪くないか、こいつ」

「気持ち悪いか気持ち悪くないかは関係ないの。やるか、やられるかなの」

 神楽は鼻息荒く、まるで血液にガソリンが流れているかのようにエネルギッシュに意気込んでいた。その姿は先輩の一文を盲目的に受け容れていたときとだいぶ違って映る。それは思い過ごしだろうか。きっと違う。神楽は完全に自分を取り戻していた。きっかけはどうであれ、それは素晴らしいことだと思った。

 さて、俺は俺でこのインタビューをアルバイトだと思うことにした。そうでないとやっていられない。神楽に免じてこの哀れな男子を助けてやろう。彼の迸るエロスには目を瞑り、俺は気合いを入れ直した。

 すると、どうしたことか。どうやら野沢が黒タイツを普及させたいと思う理由にはそれなりの事情があることが分かった。今までそれを伏せていたのは、俺のどこか小馬鹿にした態度を見透かされていたのだろう。

 野沢は滔滔と話し始めた。

****************

 実は黒タイツ同好会を設立しようとしたのは別の理由があるんです。

 ――話してください。

 これを見てください。

 ――(高階、エクセルのグラフを受け取る)

 ここ三年のタイツ着用率を調べたデータです。町内を観察、それからアンケートを行って導きました。狭いコミュニティの結果ですが、ご覧の通り着用者は減少傾向を示しています。その主な理由としては、伝線すること、サポート力が強いこと、蒸れることなどがありました。でもタイツは本当はそれを補って余りあるメリットがあります。脚線美、上品さ、装飾といった感じです。ですのでそれを周知し、オレは歯止めをかけたいのです。

 ――なぜ、そんなことを。黒タイツの着用とあなたは無関係では? あなたが履くわけでもあるまいし。

 いえ、関係あります。実は実家は老舗の繊維会社で、その主要取引先がタイツメーカーなのです。このまま静観しているとどうなると思いますか。潰れてしまいますよね。もちろん銀行にはあたりました。ですが銀行はウチの財務状況を見て貸し渋っているようです。しかもタイツ自体の風当たりは先ほどのアンケートで明らかです。つまり、これは死活問題なのです。

 ――家族を助けたいのですね。しかし黒タイツの普及が即座に再建に結びつくとは思えません。たとえば別のメーカーの商品を買うことも考えられるのでは?

 だからって見過ごすのですか。千里の道も一歩からというでしょう。オレのできることをやっていくことが大事かと思います。手始めに自分の通う学校から。それが一番近距離ですからね。それから少しずつ範囲を広げていきます。そうやって地道に活動します。いつかローカルニュースレベルでも取り上げてくれたら幸いです。

 ――なぜ、さっきは嘘をついたのですか。

 そっちの方が食いついてくれるかと思って。失礼を存じて言いますが、高階くんも結構タイツ好きそうな雰囲気がありますよ。そこはかとない変態感といいますか……。だから共感してもらえると思ったのです。

 ――逆効果です。しかし、お話を聞いて俄然やる気がでました。善処します。

 分かってもらえてよかったです。全ては文芸部さんの肩に掛かっています。何卒、よろしくお願いいたします。

 ――あ、最後に一つ。

 なんですか。

 ――タイツが黒にこだわるのはなぜですか。これも何か深い理由があるのでしょうか。

 それはオレの好みです。ふひっ。

****************

 家族を理由に出すのは卑怯だ。なにせ、そうすると俺の掲げているタイツフェチ批判が一気に家族批判に切り替わり、俺の人間性までもが疑われてしまうからである。家族というワードは動物や愛と同レベルで凶悪な響きを持っていた。誰もがその前でひれ伏し、それって大事だよね。分かる分かる。なんて言い出しそうだからだ。しかし、考えようによっては申請の際の強力なアピールになると思った。

 そんなこんなでインタビューが終わった。山積した紙が苦労そのものだった。まるで全力疾走したかのような疲労感がある。家に帰って寝たかった。

 説得させるための文章を考えるのはこんなに疲れるのかと、メモから要点をまとめながら思った。それと同時に先輩に対して大変な要求をしていたのだと思い知った。内容を一から組み立てるのは途方もない大仕事だったのだ。

 もう一つ気づいたことがあった。タイツに満たされるのは本意ではないけれど、嫌な感じはしなくて、認めたくないが満足感があった。俺が箇条書きした文を神楽が手早く再構成していく。それは技術の時間にやった金属加工に似ていた。荒削りの文を磨く作業だった。

 野沢が帰り、さらに一時間が経過したところで、ようやくフォーマットが埋まった。数十枚のレポート用紙から一枚の申請書ができる。それは俺にしたら大変な努力だった。しかし、これは明らかに未完成だった。つぎはぎだらけで統一感がなかったし、インタビューの勢いを減殺してしまっている。なんというか口調や息づかい、トータルな動作として見れば説得力があったのに、文章になるとそれが顕現しないから威力低下が著しい。いっそ直接、野沢が承認者を説得した方がいいのではないかとも思った。

 それに神楽の文はお世辞にも褒められたものではなかった。これじゃ感情の押し付けだ。悪いように機能してしまっていた。持ち味が死んでいて、必要のないところまで装飾している。ファミリーレストランに行くのに礼服を着てしまっているようなちぐはぐ感がある。

 ここには論理が足りない。説得の論法が。

 説得――。そこで俺は論理に長けた存在を思い出した。しかし、そいつは俺に並々ならぬ敵愾心を抱いている。そのことを神楽に伝えると、

「あいつは来ないと思うよ。頑固だから」

 けれどもそこで諦める俺ではなかった。神楽から鏡の連絡先を聞いてラインする。

 ――無理

 ――なぜ

 ――不可

 二文字以上の単語を制限されているのか、鏡はそんな回答ばかりだった。

 しかし、やり返すように、「神楽」「も」「いる」と送ると鏡はなぜか、どうしたことか、数十秒で疾風の如く駆けつけるのだった。

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