第5話 続・俺が国語アレルギーになったわけ
フルーツポンチを食べられなかった悲壮感溢れる俺の詩をクラスメイトは大いに笑った。それ以来フルーツポンチは嫌いになった。
学年があがって小五。またしても作文の時間がやってきた。今度の課題は「頑張ったこと」
俺は悩んだ。何か頑張ったことはあるだろうか、それと同時に、どう表現しようか考えた。考えあぐね、体育の走り幅跳びが上手く跳べなかったことを書こうと思った。
クラスメイトに馬鹿にされたから、今度は抑制した筆致で書いた。感情を出すのははしたないことだ。そこそこの文をフラットに書けばいいと思った。
発表後の反応は上々だった。笑いは起きなかった。全員が「それで?」という顔をしていた。それでよかった。反応があること自体心が乱れるのである。そもそも、みんな自分のことを気にして俺の発表どころではなかったのかもしれない。とにかく役目を終えた俺は、ほっとして退場しようとした。そうしたら、担任に呼び止められた。「よかったわ」と言われると期待していたら、「ロボットみたいだね」と言われた。そのたとえがよく分からず「ロボットみたいに正確」というニュアンスだと思っていたら、「機械翻訳」という意味だとクラスメイトからこっそり教えてもらった。
俺の心は傷つき、作文嫌いはさらに進行した。
感情を込めた文はダメ。無感情な文もダメ。じゃあどうする?
そういうわけで、綺麗な文だけど当たり障りのない作文を書くようになった。これなら正直すぎなくて笑いものにもならないし、ロボットとも言われまい。そしたら今度は褒められた。とある著名な戦争文学についての読書感想文だった。
俺は喜んだ。ついに認められたと思った。長く文章につきまとわれて、ようやくそのしがらみから抜け出したと思った。教科書にあるような文体を模倣してそれっぽく書くことが、文章を書くコツなのだと知った。誰も俺の本心には気づいていないようだった。小学生の俺は心の中であっかんべえをしていた気がする。
あれよあれよという間に読書感想文は掲示板に貼りだされた。学校関係者なら誰でも見られる場所だ。俺は毎日それを見た。下駄箱に近い位置だったからというわけではなく、栄誉にうっとりしていたのだろう。クラスメイトが表彰されることはあっても自分がされることはなかった。他人事だと思っていた。最も苦手なことで褒められたから喜びもひとしおだった。
そう――。トラウマが生まれたのはこの直後。
これに比べたら、筆者や登場人物の気持ちを想像するのが面倒、センスで問題を解くと言われて腹が立ったこと、勉強量に比して費用対効果が少ない……なんて国語や文章が嫌いになる後付けの理由。聞かれたときに答えて、共感を得られる対外的な理由だった。
ある日、掲示板の前に女の子が立っていた。凜としたたたずまいで、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。長い髪をしていたからよく覚えている。名前は分からない。上級生か下級生で、クラスメイトではなかった。一言で言えば和洋中でいうところの和の印象だった。その子のうちに遊びに行ったら、高級な和菓子が出てきそうな感じ。茶道華道やってそうな感じ。とにかく、その子が間違いなく俺の作品を見て――凝視していた。
何を考えているのだろう。立っているだけで絵になるその子の姿に俺は見とれていた。大抵の小学生にとって読書感想文なんぞただの課題以上の意味はない。なのになぜこの子はそんなに熱心に読んでいるのだろう。そんなことを考えるだけで、度胸のない俺は声を掛けられずにいた。
「嘘ばっかり」
「えっ」
聞き違いかと思った。後ろにいた俺は思わず声を出してしまった。
女の子と目が合った。美しい顔だった。
「これあなたが書いたの?」
「まさか」
「じゃあなんでそこに立っているの」
「その……友だちが書いたから。気になったんだ。どんなものかって」
咄嗟に答えを探した。
「そう。ならその友だちに伝えて。嘘ばっかりだね、って」
女の子は俺の答えを待たず去っていった。
チャイムが鳴ったあとも俺はその場から動けなかった。
嘘ばっかり。嘘ばっかり。嘘ばっかり――。
罵られたことで傷ついたのももちろんだけど、もっと傷ついたこと。女の子の指摘は図星だった。自分の文章を見抜く人間がいるなんて。
嘘ばっかり――。その冷たい響きは、女の子が去ったあともいつまでも心の底に谺した。
作文は二度と、絶対に、何があってもしないと固く誓った。
この出来事を契機に作文が嫌いになった。発表も嫌いになった。そして読む書く話すは切っても切れない関係だ。過去の出来事がひとまとまりになって国語全体が嫌いになった。
以来、アプリの利用規約(必ずお読みください)もお菓子のラベルも文字の羅列は大嫌いだ。三行以上は読みたくないし、どうせならイラスト化してほしいとクレームを送ったこともある。人という字は~とか漢字の成り立ちを語りたがる奴も嫌いだし、俳句の添削をする番組がやっていたらチャンネルを変える。とある現象に対してすぐ四字熟語や故事成語を当てはめようとするのもいけ好かない。そうそう、レジのギザギザマットのことをわざわざカルトンっていう奴も嫌いだ。カルトン。笑っちゃうよ。それが一体どうした、と思う。カルトンを知っていて俺は人生にどんな得があるのだろうか。
文が嫌いだからテストの問題文も読み飛ばすことが多くて何度も怒られた。回数は両手両足の指の数では足りない。そもそも、なんで国語を勉強するんだよ。その問いには今でも答えられない。国語なら勉強しなくても、一桁年齢の頃から話せるじゃん。喋れるのだからそれ以上の知識はいらないだろう。古文、短歌、評論、エトセトラ。みんなまとめてゴミ箱直行でいい。
幸い、中学ではなんら支障はなかった。あの忌々しい作文はなかったし、発表や討論の授業では存在を真っ白に漂白することで指名から逃れた。運がよかった。もっとも俺のただならぬ表情を担当教科の教師やクラスメイトが察したのかもしれないが――。
それから現在。高校に至る。国語が足を引っ張ったせいで、高校は偏差値ちょうどのところに入学した。高望みはしなかった。とくに進学先に思い入れはなかったのだ。
並の人生を、川を流れる流木くらいに送れればそれでよし、なのだ。
このまま、作文や発表から無縁の生活を送れると信じていた。
なのに――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます