第一節 奇妙な訪問者

奇妙な訪問者 その一

 一九一八年 一一月 宮森の自室





『あ~あ、やっちまったか。

 ま、しゃーないわな。

 幽体を投影しちまっただけでもこっち側物質界じゃ悪臭が駄々洩だだもれみたいだもん。

 こうやってる間にも悪臭が広がっちまうから、早いとこオニイチャンとのツナギ、付けさせてもらうぜ』


 宮森みやもりにそう思念を送ると、化け物弟君竈馬かまどうまのそれに似た後脚こうきゃくを使いぴょんと宮森の左腕に跳ね乗った。

 そのまま宮森の腕を登って来る。


「う、うわっ、登って来た!」


 宮森は必死で化け物弟君を払いけ様とするが、彼の右手は化け物弟君を一向にとらえる事が出来ない。

 触れずに擦り抜けてしまうのである。


『あー、ムダムダ。

 オイラは実体化してないから触れないよ。

 で、今からお前さんの精神こころとオニイチャンの精神こころをツナグから。

 最初に気持ち悪くなるだろうけど我慢しろ。

 オニイチャンの方も気持ち悪いんだからな。

 じゃ、邪魔するぜ』


 化け物弟君と云うよりは、触れる事の出来ない化け物弟君の幻影と呼ぶべきか。

 ソレが宮森の左耳から脳内に侵入する。

 彼の脳内に侵入した化け物弟君は、自身の霊力を開放し脳内に浸透させ始めた。


 化け物弟君が霊力を開放するのを感じ、宮森は悪酔いに似た感覚におちいる……。



 ――暗雲が……込める丘……。


 ――石柱が円……成して並……いる。


 ――巻……手にして祝詞……み上げる翁。


 ――雷……轟き、……体が鳴動する。


 ――円環……心に虹……球体が顕……。


 ――肌も髪……っ白な……。


 ――宮司の面……認めら……。


 ――女性に纏……付く虹……球体。


 ――女……苦悶と恍……表情。


 ――女性と……交わっ……る。


 ――身籠……子供の父……、生ま……双子の……れを……。



 不明瞭な意識の中で不鮮明な場景イメージが通り過ぎる。


⦅何かが近付いて来る。

 あの少年は……⦆


 徐々に明瞭になって来た宮森の意識に声が届けられる。


『宮森 遼一りょういちさんだね。

 僕の事が判るかい?』


 宮森の視界が段々と鮮明になって来ると、宮司である少年の顔が、脳中のうちゅうではっきりと認識出来た。


 少年が続けて思考を送って来る。


ずはその文机ふづくえを拭いた方が良い。

 が漏れているかも知れない。

 下宿の女将おかみには、酔っぱらって吐いたとか適当な理由を話してくれ』


「……わ、分かった。

 女将さんに馬穴ばけつと雑巾を借りに行くよ。

 ……所で、君の事は何と呼べばいいのかな?」


『僕の名前は【比星ひぼし 今日一郎きょういちろう】。

 燐寸マッチ箱に入っていたのは、弟の【比星ひぼし 明日二郎あすじろう】だ。

 今はその弟が、僕と宮森さんとの【精神感応】を中継してくれている』


 声が届くとの同じく、彼らの名前のつづりや姿形も宮森の脳中に入って来る。


 例えるならば、『クモ』と言う単語のみを読んだだけではそれが気象現象の『雲』なのか生物の『蜘蛛』なのかは判断出来ない。

 しかし精神感応テレパシーにおいては、言葉だけではなく情景イメージや感情をも含めての伝達がなされる。

 まり、どちらの『クモ』なのかが直接判断出来るのだ。


 そのまま今日一郎が続ける。


『後それから、僕と精神感応で会話する時は声を発する必要はないよ。

 思考してくれるだけでこっちには充分伝わるから』


「え? あ、そうか……声は出さなくていいんだったよな」


 思念での会話に驚きつつも、果敢に挑戦する宮森。


『慣れるまで大変そうだけどやってみるよ』


 今日一郎からの忠告を思い出した宮森は、自室を出て階下に居るはずの女将を呼ぶ。


「女将さん、おか……。

 あっ! 女将さん、一寸ちょっとすいません……」


 小柄だが恰幅かっぷくの良い中年女性が出て来て宮森に怪訝けげんな眼差しを向ける。


「昨日、一寸飲み過ぎまして、悪酔いしてしまい……その」


 女将はおもむろに宮森へと近付き、くんくんと宮森の匂いを嗅ぎ始めた。


「うあっ! 吐いちゃったの?

 もー、飲み過ぎにちょっともへちまもないでしょうよー。

 でも珍しいわねぇー、宮森さんが部屋汚すなんて。

 それになんか、ゲロ以外の臭いもする……。

 なんか変なお酒でも飲んだの?」


「えぇ、一寸……。

 舶来物はくらいものの酒を頂いちゃって。

 やっぱり、飲み慣れてないと中々……」


「畳、腐らせないで下さいよ?

 駄目になったら弁償して貰いますからね!」


「そ、それでですね、馬穴と雑巾をお借り出来ますか?」


「そうそう、そうだったわね!

 ぐに持って来るから」


 女将が馬穴と雑巾を取りに外の洗濯場へと向かう。

 その姿は米俵こめだわらがころころ転がって行くさまに似て愛嬌たっぷりだ。


 今日一郎が宮森に思念を寄越よこす。


『あの女将は九頭竜会傘下の宗教団体の会員だ。

 宮森さんの監視を命じられているみたいだよ。

 言動には気を付けて』


『そうだったのか⁈

 ま、まるで気が付かなかった。

 教えてくれてありがとう』


『どういたしまして。

 あ、女将が戻って来た』


 あの女将から監視されていた……などと思うと複雑な気分であっただろうが、宮森はそれを押し殺し愛想笑いを徹底した。


「はいよっ、すぐやっとくれ!」


「あっ、ありがとうございます。

 終わったら、雑巾洗って干しときますから……」





                 奇妙な訪問者 その一 了

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