5-20

「でも、本当にそうなんだよなぁ」

 音羽ちゃんは冗談交じりに言っていたが、十分にあり得る問題だ。

 率先してテーブルの上を片付けてくれているアンジェを見つつ、改めて思う。

 とにかくアンジェという存在は、そこにいるだけで目立つ。

 これだけの存在感を放ちながら、気軽に出歩いているようで、商店街でも知られる存在となりつつある。

 遅かれ早かれ、社長にも知られてしまう。

 事情を説明したら理解は得られるかもしれないが、ここまで秘密にしてきた手前、気が引ける。

 できれば知られずに、せめてこの居候という状況だけでもなんとかしたいのだが。

「孝也さん、今日の予定ってどうなってますか?」

「ゆっくり休む」

「あ、もしかして徹夜なんですか?」

「言っとくが、別になにもなかったぞ。ただ、普通に話してただけだ」

「それは残念でしたね」

「いや、残念ってわけでも……」

 アンジェの立場的に見れば、なにかがあったほうが良かったのかもしれないが。

 こっちはまぁ、自分たちのペースで進めて行こう。

「悪い。少し寝る」

「あ、その前にいいですか?」

「昼は勝手に済ませてくれ。買い物なら、そのあとにでも」

「わかりました……って、違います。いえ、それもあるにはありましたけど」

 洗い物を終えたアンジェが、手を拭いてテーブルに戻ってくる。

「実はですね、ようやく準備のほうが整いまして」

「なんの話だ?」

「ですから、天界からの援助が正式に受けられるようになったんです」

「それは良かったな……って、ん?」

 あくびを噛み殺して返事をしたが、すぐに気づいた。

 ベッドに寝転がりたい気持ちを放り投げ、アンジェをまじまじと見る。

「待て。じゃあもしかして」

「はい。長い間……というにはあっという間でしたが、お世話になりました」

 律儀に頭を下げ、アンジェは微笑む。

「住む場所、見つかったのか? 身分証明とか、保証人とかあるだろ」

「天界のサポートがあればバッチリです。引っ越し先ももう決まってますよ」

「……なるほどな。本当になによりだ」

 どうやら、俺の知らないところでちゃんと動いていたらしい。

 懸念していたもろもろが、一気に解決しそうだ。

 できれば音羽ちゃんに知られる前に、引っ越しまで済ませることができていれば良かったのだが。

「本当にありがとうございました」

「俺もまぁ、洗濯ものとか掃除をしてもらってたし。少しの間だけど助かったよ」

「だったら良かったです」

 本当に嬉しそうに、アンジェは頬を緩める。

「しかし、天界ってのは凄いもんだな。書類とか誤魔化せるのか」

「方法については秘密ですが、まぁ、いろいろとできますね」

 アンジェが荷物を忘れてこなければ、最初から問題などなかったということだろう。

 今更突っ込んでも可哀そうなので、あえて訊こうとは思わないが。

「なにはともあれ、これで孝也さんも気兼ねなく、私生活を充実させられますね」

「ん? あぁ、そうだな」

 言ってみれば、人生を再スタートさせられるようなものだ。

 どれだけやれるかはわからないが、やれるだけはやってみようと思う。

「女の子も連れ込み放題ですよ。存分にお楽しみください」

「……するか」

 せっかくの気分が台無しだ。

 悪気はないのだろうが、お楽しみの方向性が露骨すぎる。

 先々ないとは言い切れないが、少なくともこの部屋で、というのは想像できない。

「お前も良かったじゃないか。安心してシャワーが浴びられるだろ」

「はい、本当に」

 ……こいつ、やっぱり完全には俺を信じてなかったな。

 毎回鍵をかけられていたから、薄々そうだと思ってはいたが、確信した。

 なんだろう、このやりきれない感情は。

「いつ引っ越すんだ?」

「えっとですね、確か皆さんが言う……そう、大型連休とかいうのが始まる頃です」

 なら、あと数日後か。

 タイミング的にも、丁度いいだろう。

「わかった。その時は手伝うから、時間とか決まったら教えてくれ」

「いいんですか? とても助かりますけど」

「ここまで面倒見たんだ。最後まで付き合う」

「……ありがとうございます。では、決まったらお話ししますね」

「あぁ。俺は寝るから」

「はい、おやすみなさいです」

 布団の中に潜り込み、昼を過ぎた頃にスマホのアラームをセットする。

 明日からまた仕事があると考えると、夕方まで寝るのは得策ではない。

 短めの睡眠になるが、起き続けるよりはマシだろう。

「……寝ようってときに」

 目を閉じると同時に鳴動したスマホを手に取る。

 届いたメッセージは、悠里からだ。

 子供たちの食事が終わったらしく、少し暇ができたらしい。

 残念ながら相手をする元気はないので、ここはスルーしておこう。

 あとで面倒かもしれないが、今から寝ると返事をしたら、なぜ徹夜していたのかを追及されかねない。

「……今度は」

 立て続けに届いたメッセージにうんざりしつつ、流れ作業のように確認する。

「…………勘弁してくれ」

 今度の送り主は、つい先ほど帰って行った音羽ちゃんだ。

 そしてメッセージには、一枚の写真が添付されていた。

 そこに写っているのは、俺の部屋で飲み物の準備をするアンジェの姿。

 いつ、どのタイミングでそんなことをしたのか知らないが、紛れもない盗撮だろう。

「前途が多難すぎる……」

 音羽ちゃんの思惑から目をそらすように、俺は寝返りを打って目を閉じた。

 果たして俺の人生に、平穏というものが存在するのだろうか、などと考えつつ。

 今はただ、抗いようのない睡魔に身を委ねた。

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