5-19

「行き場のない女性を助けるための、緊急措置だということですね」

「そ、そうなるかな」

「わかりました。もともと私が目くじらを立てるようなことでもないので、問題にはしません」

「それは、社長にも……」

「約束しましょう。私からは、報告したりしません」

 女神のような慈愛を見せてくれる音羽ちゃんに、ただただ感謝する。

「桜葉さんがそんなことをしたというのは、正直腑に落ちませんが」

「……まぁ、だろうね」

 俺自身、アンジェが相手じゃなければここまではしなかったと思う。

 単純にアンジェが強引だった、とも言えるが。

「私としては、この事実を知れただけで、満足していますし、ね」

 安堵したのも束の間。

 音羽ちゃんは楽しそうに目を細め、コップに口をつけた。

 俺にとって嬉しくないことを考えているのが、嫌でもわかる。

「……秘密にして、くれるんだよね?」

「はい。約束は守りますよ」

 誠意のある答えだと思いたいが、どう考えても裏がある。

「ま、まぁ、困ったこととかがあったら、いくらでも相談に乗るから」

 だからお手柔らかにお願いしますと、お伺いを立てる。

「えぇ、そのときは遠慮なく頼らせていただきますね」

「ほどほどで、うん」

 頼られるのはやぶさかではないが、とんでもない爆弾を抱え込んだような気分になってしまう。

「それにしても、本当に同棲……いえ、居候がいたとは思いませんでした。さすがは上郷先輩、と感心してしまいそうです」

 そう言えば、悠里はかなり疑っていたな。

 アンジェのドジというきっかけはあったが。

「あのときは、悪かったね。音羽ちゃんに連絡したみたいだし」

「もし本当だったと知られたら、面白いことになりそうですね」

「大変なこと、な」

 微塵も面白さなど感じるところはない。

「ホント、あいつにバレたらどうなるか」

「バレないといいですね」

「……秘密は守ってくれるんだよね?」

「ご存じですか? 隠そうとする行為や意識そのものが、秘密の存在を証明するものだって」

 なぜそんな話を、楽しげに話すのかがわからない。

「俺を追い詰めてなにが楽しいんだ?」

「知りたいですか?」

 そこは普通、そんなつもりはないと答えるものだと思うのだが、どうだろうか。

 今の答え方だと、追い詰めるのが楽しいとしか捉えようがないのだが。

 まぁ、踏み込んで聞いてもダメージを受けるだけなのは明らかなので、考えないようにする。

「でも、実際のところ、いつまでも隠し続けるのは難しいと思いますよ。アンジェさんが部屋を出入りする限り、目撃される回数は増えていくでしょうから」

「今日の音羽ちゃんみたいに、か」

「えぇ。たとえばですが、上郷先輩が桜葉さんを訪ねてきたときにばったり、という可能性もあるかと」

「どうしてそう、考えられる最悪をたとえにするのさ?」

「すみません。つい」

 本当にこの子は……。

 学校でもこの調子だとしたら、クラスの男子生徒はさぞ辛いだろうな。

 普通にしていれば、人気が出るだろうに。

「さて、私はそろそろ帰りますね」

「そ、そうか」

「なんだか嬉しそうですね」

「……気のせいじゃないかな」

 どちらかと言えば、ホッとしている。

「まぁいいです。今日は私、気分がいいので」

「…………そう」

「もっと聞きたいお話はありますが、時間がないので」

「散歩じゃなかったのか?」

「散歩はついでです。これから友達と予定がありますから」

 だったら散歩なんてせず、待ち合わせ場所に直行すれば良かったのに。

 そう言ってやりたいが、益がなさすぎるのでやめておく。

「予定がなければ、このままお昼をご馳走してもらえたのに、残念です」

「……まぁ、変に高い店じゃなければ、検討するけど」

 ご馳走してもらえることが確定なことには、つっこまない。

「なら、それはまた別の機会に。そうですね、学校近くのファミレスなんてどうでしょうか?」

「……本当にね、性質が悪いから」

 なにが悲しくて、危険な遭遇をしそうな場所にいかなければならないのか。

「冗談です…………たぶん」

「冗談だね、うん。理解した」

 音羽ちゃんは声を出さないように笑いながら、玄関で靴を履く。

「本当に時間がギリギリなので、今日はこれで」

「……あぁ。楽しんでくるといい」

「今日一日分はもう楽しめた気分ですけど、そうします」

「……その分、俺は心労が増えたけどね」

「つまり、私の手が桜葉さんの心臓に届いた、ということでしょうか」

「言い方が怖いって」

 比喩だとしたら間違いではないかもしれないが、笑えない。

「それでは、失礼しますね。アンジェさんも、また今度」

「はい、お元気で」

「ではでは」

 閉まりかけたドアからわざわざ笑顔を覗かせ、音羽ちゃんは去って行く。

 ドッと押し寄せてきた疲労感に、俺はただただ深く息を吐き、耐えるしかなかった。

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