5-14

「…………んん?」

「…………ぁ」

 やらかしたことを即座に理解し、凍りつく。

 嫌な汗がそこら中から噴き出しているみたいだ。

「…………?」

 小首を傾げる灯々希は、不思議そうな顔をしている。

 もしかして、聞き取れなかったりしたのだろうか?

 だとしたら僥倖なのだが……。

「今、好きだって、言ったよね?」

「…………はい」

 まぁ、そんな都合のいいことはなく、灯々希は苦笑しつつ確認してきた。

 さすがに誤魔化すわけにもいかず、素直に認める。

 あまりにも唐突に、告白してしまった……。

 その気持ちに偽りはないし、どこかで言わなければという心づもりではあったが、こんなはずではなかった。

「それって、一人の人間として?」

「……まぁ、そういう意味でも、間違いじゃない」

 学生時代から、灯々希を尊敬しているし、恩人だと思っている。

 人間として好意を持っているかと聞かれれば、即座に頷けるくらいに。

「でも、今のはその……それだけじゃ、ない」

「……男女のそれ?」

「……あぁ」

 顔から火が出そうな感覚に耐えつつ、頷く。

「それって、今の話? それとも、学生の頃?」

「……どっちも、かな」

「そっかそっか。それは、良かった」

 安堵のため息と共に漏れたその言葉に、顔を上げる。

「良かった?」

「うん。自惚れじゃなかったんだなって、安心した」

 そう言って灯々希は、照れくさそうに笑う。

「あの頃はほら、そういう決定的な言葉はなしって感じだったし。でも、薄々はそうかなって思ってたから……」

「それは、そうだな……」

 お互いに好意があると感じつつも、決して踏み込むことはなかった。

 言葉にすることすらできずに過ごして、卒業と共に離れた。

「それにしても、いきなりだね」

「悪い。こんなはずじゃなかったんだけど、なんかつい、口から出ちゃったと言いますか」

「告白とか、慣れてなさそうだもんね」

「まぁ、な」

 今のあれは、慣れの問題でもなさそうだが……。

 とにもかくにも、言ってしまったものは仕方がない。

「えっと、どうだろう?」

 喉の渇きを覚えながら、探るように灯々希を見る。

 ふっと力を抜くような表情に胸が高鳴り、期待も膨れ上がる。

「今は頷けない、かな。ごめん」

 が、返ってきた答えは、ノーだった。

「え、ぁ……あー、あぁ」

 絶対の自信があったわけではないが、勝算がなかったわけでもない。

 学生時代のことや前回のことを踏まえて、彼女にもその気があると、恥ずかしながらも思っていた。

 灯々希の言葉を借りれば、自惚れていただけかもしれないが。

「そ、そうか……」

 考えた末に出てきたのは、情けない声に相応しい情けない呟きだった。

 思ったほどショックを受けていないのは、まだ実感が湧かないからなのか。

「えっとね、なんて言うか……桜葉君じゃイヤだとかダメとかではね、ないの」

「……そうなのか?」

「うん。桜葉君の気持ちは嬉しいよ、もちろん。その言葉が聞けたことも、凄く嬉しい」

「……でも、ノーなのか」

 訊き返す俺の言葉に、灯々希は静かに頷く。

「いろんなことに向き合うって、そう決めたんだよね」

「あぁ」

「だったらやっぱり、その気持ちに答えを出すのは、まだ早いかなって思う」

 椅子から背中を離し、テーブルに肘を乗せて、灯々希は俺を覗き込んでくる。

「すぐそう言ってくれたのは本当に嬉しいけど、桜葉君は目をそらしてきたものがたくさんあるでしょ? 私に対する気持ちだけじゃなくて、他のものにもちゃんと目を向けて、向き合ってからまた考えてみるべきだと思う」

 ゆっくりと諭すような声が、不思議と耳から沁み込んでくる。

 焦ってはいけないと、背中を撫でられているような気がした。

「でも、俺は――」

「それにね、私も少し、考えたいから。自分の気持ちが本当はどうで、今はどうなのか」

 懐かしい記憶に想いを馳せるように、灯々希は目を細める。

「あの頃の私は、桜葉君が好きだったと思う。比較するものがないから、私の中の答えになるけど……恋を、してたんだと思う」

 微かに赤く染まる頬を緩ませ、灯々希は毛先を弄る。

「ここに来てくれたときからね、あの頃のことをよく思い出すようになって、桜葉君のことばっかり考えてる気がする。でもそれってもしかしたら、昔の気持ちに引きずられてるだけなんじゃないかって、あの日から思うようにもなってるの」

 それがいつかは、聞かなくてもわかる。

 悪酔いをするほど飲んだ、あの日のことだろう。

「焼け木杭に火がついたっていうのかな。正直ね、自分でもはっきりと答えが出せないの」

 自嘲する灯々希の言葉は、そのまま俺にも当てはまる。

 学生時代は間違いなく、彼女に恋をしていた。

 だがそれは、決して叶えてはならないという言葉で、蓋をした感情だ。

 彼女と再会してからのことは、その蓋を開けただけのこと。

 そこに残っていたものは、感情の残滓でしかなかったのかもしれない。

 微かな甘い匂いだけがそこに残り、俺はそれを、都合よく受け入れただけ。

 そう考えることだってできる。

 灯々希も、そうなのだろう。

「自覚はしてるの。桜葉君にとって私は、一番気兼ねなく付き合えるポジションにいるって。同じ想い出と感情を共有して、大人になって再会して、想い出話で盛り上がって……」

 テーブルから身を離し、灯々希は天井の照明を見る。

「私はね、昔の続きをしたいわけでもないし、叶わなかった恋を掘り返したいわけでもないの」

「昔は昔、か」

「うん」

 あっさりとした返答に、落胆すらできない。

 感情が、まだ追いついてくれない。

「桜葉君が前向きになるのなら、なおさら」

 が、その言葉が心に引っかかった。

「せっかくなら、私はまた、最初から恋がしたいの」

「……最初、から?」

「そう。高校生の恋じゃなくて、大人としてまた、恋ができたらいいなって」

 再びテーブルに身を寄せた灯々希は、頬杖をついて笑みを浮かべた。

 そして、微かな熱を帯びた、胸の奥をくすぐるような目で、俺を見る。

「一から積み重ねたいの。気持ちと、想い出を」

 その結果がどうなるかはわからないけど、と灯々希は楽しげに笑い、

「だから今は、ごめんなさい」

 唐突だった俺の告白に、一つの答えを出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る