5-12

「それにしても……どういう心境の変化なのかな」

 お茶を飲んで気持ちを切り替えた灯々希が、お茶の入ったカップに軽く手を当てながら、視線をそこに落として口を開く。

「正直ね、返事がなかったこと、怒ってたわけじゃないの」

「そうなのか?」

「うん。桜葉君がそうしたくなるのも……あれっきりになるのも仕方ないって、思ってたから」

 視線を落としたまま、灯々希は自嘲するように薄い笑みを浮かべる。

「桜葉君のこと……生き方とか避けてることとか、三年経っても変わってないことも、ちゃんとわかってた。わかってた、のにね……」

「灯々希」

「なのに踏み込もうとした。だからね、やっぱり本当に悪いのは、私のほうだったと思う。困らせるだけだって、わかってたのに」

 それでも連絡をしてしまったと、灯々希は肩を落とす。

 まるで後悔でもしているようなその姿に、胸が軋み、疼く。

「だから本当に驚いた。まさか、直接来るとは思わなくて」

「それは、まぁ……どうしても会って話したいことがあってな」

「……聞かせてくれる?」

 ようやく顔を上げた灯々希に頷き、俺は話した。

 悠里に話したときと同じように、これからはいろいろなことと向き合うつもりだと。

 ただ、絶対に安全だと言い切れるわけではないこと。

 だから迷惑だと思うのなら、今日を最後にもう会わないようにすると。

「……本気、みたいだね」

「あぁ。自分勝手に思われても仕方ないと思うけど、これからは、そうしようと思う」

「そっか。うん、確かに電話で済ませるような話じゃなかった」

 合点がいったと灯々希は微笑み、俺の言葉を反芻して噛み締めるように数回頷く。

「オッケー。それじゃあ、また気晴らしに……遊びに誘っても、いいってことかな」

 薄暗い店内に光が射したような笑顔に、息を呑む。

 まるでなんでもないことのように、灯々希は俺の話を受け入れたのだ。

「あっさりすぎるだろ。少しは悩むとこだぞ? 俺がいうのもあれだけど」

「桜葉君がそう決めたのなら、それでいいと思う。私にはどうせ、判断できないことだし」

 信じていなかったわけでは、ないのだと思う。

 学生時代、咲江さんの両親が事故に遭ったときの俺を、灯々希は知っている。

 少なくともそういう事実があったことを、理解しているはずだ。

 その上で、こうも簡単に受け入れてくれる。

 悠里もそうだった。

 俺にはそれが、救いのように、思えてしまう。

「桜葉君、言ってたよね」

 いつかの教室へ想いを馳せるように、灯々希は柔らかく目を細める。

「……呪いは、解けたのかな」

 あぁ、そう呟いたことがあるのは、覚えている。

 俺のせいで、また人が死んでしまったときに。

「オカルトみたいな話だけどな」

「ううん、そうじゃなくて。私が言ってるのは、ここ」

 そう言って灯々希は、自分の胸を軽く叩いてみせる。

「現象としてじゃなくて、桜葉君のここにあった呪いのこと」

「……そう、だな。たぶん、そういうことだと思う」

 他人と関わりすぎてはいけない、誰かを大切に想ってはいけない。

 自分自身に課した、それは確かに呪いだろう。

「少なくとも、呪いはもうないって、思うことにした」

 なかったとは言えない。

 でも、アンジェの言葉を信じてみようと、今はそう思うから。

「桜葉君のそんな顔、初めて見た」

「へ、変な顔してるか?」

「いい顔だと思うよ」

「……あんまりからかうな」

「えぇ? 本当にそう思うんだけどな」

 真っ直ぐすぎる褒め言葉は、手の届かないところがむず痒くなる。

 灯々希なりに気を遣ってくれているのかもしれないが、困る。

「そういうわけで、だな。これからは、いろんなことに対して、前向きになってみようと思う。俺の事情を言い訳にも、しない」

「私は全然いいけど、桜葉君、大丈夫?」

「なにがだ?」

「人付き合いとか、距離感とか。平気?」

 灯々希の指摘はもっともだ。

 俺もその点については、かなり不安がある。

 なにせ、十年以上拒むことばかり考えて生きてきたのだから。

 一朝一夕でどうにかなるようなものではない。

 俺という人間の根本に刻み込まれた生き方を、これから変えていけるかどうかという話になる。

「正直、上手くやれる自信はないんだ」

「でも、やってみるんだ」

「あぁ。せっかくそう思えるようになったんだから、やれるだけやってみる。歩み寄ることを、諦めたりはしないよ」

「そっかぁ。うん、大変そうだけど、応援する」

 俺の決意を聞いた灯々希は嬉しそうに、でもどこか、少しだけ寂しそうに笑って見せた。

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