4-10 第一章 完

 部屋を満たしていた空気が、静かに緩んでいく。

 誰かに話しても到底信じてはもらないだろうが、少なくとも俺にとってアンジェの話は、救いになった。

「……とは言っても、どうしたもんかな」

「やっぱり、不安ですか?」

「さすがに、な。もう大丈夫だって言われても、普通の生き方は、違いすぎて」

 今まで距離を置くようにしてきた人たちに対して、どう接すればいいか、正直なところわからない。

「時間は、ありますから。孝也さんのペースで、取り戻していけばいいと思います」

「でも、それじゃあいつになるかわからないぞ。あと二つ叶えないと、帰れないんだろ?」

「なにも問題はありません。孝也さんがこれだと思う願いを見つけるまで、いつまでも待ちます」

 そう言ってもらえると多少は気が楽になる。

 が、実際どうしたものか。

「ちなみに、だけど。叶えられる願いってのは、どこまでできるものなんだ?」

 他人を不幸にするものはダメだと言っていたはずだが、逆はどうなのか。

「あなたの幸せになると判断されれば、奇跡とすら呼べる事象でも叶えられるはずですけど」

「…………じゃあ、死んだ人を蘇らせる、みたいなのは?」

「……すみません。原則として、死者の蘇生などは不可能です」

「ま、そうだよな。さすがにそれは、無理だよな」

 自分でも期待していたわけじゃないし、ましてはそれを願おうとは、思っていなかった。

 ただ、確認だけは、しておきたかった。

「孝也さんがそう考えるのも、当然だと思います。ですが、魂は循環するもので……すでに次の場所へと進んだあとでは、その方を蘇生させることはできないんです。これは、世界の仕組みなので」

 律儀に説明してくれるアンジェに相槌を打つ。

 次の場所というと、輪廻転生、みたいな話だろうか?

「ですが、死んだ直後や死に瀕している状態であれば、留まらせることは可能かもしれません」

「事故に遭った直後なら、あるいはってことか」

「はい。肉体と魂の状態、それと寿命にもよると思いますが」

 そこまでなら許容範囲らしい。

 まぁ、そんな状況にならないのが一番幸せという気もするが。

「他には、時間を遡るという願いや、過去の改変も不可能です。死者の蘇生と近しい禁忌なので」

「あー、そうだよな」

 願い事の定番として、それもあるか。

「力が及ばず、すみません」

「あぁ、いいんだよ。そういうのはダメだって、俺も思うし」

 会いたいという気持ち、生きていて欲しかったという気持ちは、どうしても消えないけど。

 もし過去に戻ったり、改変できたとしても、それは俺の人生じゃない。

 失ったものは、戻らない。

 ここにいる自分を否定するような願いは、馬鹿げていると、そう思う。

「とりあえず、ダメそうな願いはわかった。あとは俺が、見つけられるかどうかだな」

 自分自身の幸せなんてものは、今まで一番遠ざけていた思考だ。

 これまでの生き方とは、真逆と言ってもいいくらいに。

 そう簡単に切り替えられるものではない気がして、そこは不安になる。

「大丈夫です。孝也さんなら、見つけられます」

 だっていうのに、アンジェは謎の太鼓判を押してくる。

 まるで確信があるみたいな笑顔だ。

「孝也さんにとっての不幸が、大切な人、愛した人を失うことだったとすれば、それだけあなたは、誰かを愛せる証ですから」

「さすがに極端すぎるだろ」

「いいえ。僅かな間だけですが、見ていればわかります。あなたは自分以外の人に、心を割ける人です。あれだけの不幸を経験してきたのに、それでも誰かを想ってしまう。こんな、厄介で迷惑なだけの私にさえ……」

 アンジェは胸に手を当て、なにかに想いを馳せる。

 俺はただ、彼女の言葉がくすぐったく、妙な頬の熱さを感じていた。

「愛したいのに、愛せなかった。でも、もう心配はいりません。存分に誰かを、愛してください」

「やめてくれ」

 彼女の言葉はあまりにも真っ直ぐすぎて、恥ずかしい。

「本当のことですから」

 厄介極まりない笑みに、頭を掻く。

 これが自称女神さまだとわかっちゃいるが、困る。

 こっちはまだ、どうするべきかもわかっていないというのに。

「残された願いは、あと二つです。どうか、あなたの幸せを、手伝わせてください」

 改まるアンジェの微笑に、これまで向き合うことを拒んでいた人たちの顔が浮かぶ。

 謝らなければいけない人がいる。

 感謝しなければならない人がいる。

 助けたい、人がいる。

「……まぁ、じっくり考えさせてもらうよ」

 今すぐに答えは出せないと、首を振る。

 出会ったばかりのときも似たようなことを言ったが、意味合いはだいぶ違う。

 後ろ向きだったはずの言葉が、今では前向きになっている。

 彼女が、それをもたらしてくれた。

 だが、決めるまえに、するべきことがある。

 他人と向き合うまえに、まずは自分だ。

 自分の気持ちとすら向き合ってこなかったんだから、そこから始めないと。

「はい。好きなだけ、悩んでください」

 その、輝きすら感じる笑みに、初めて納得できた気がした。

 彼女が本当に、女神なのかもしれないと。

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