5-1

「本当に任せていいのか?」

「はい。孝也さんと違って、予定はないですから。掃除も洗濯も、全部お任せください」

 眩しいくらいの笑顔で、なんなら拳まで握ってみせてくれるが、その満ち溢れるやる気が逆に不安だ。

 本人には申し訳ないが、気合を入れれば入れるほどに空回るのが、このアンジェという自称女神さまだ。

 いや、もう自称で片付けるわけにもいかないか。

 先日、彼女がただのおかしな人間ではないと認めてしまったのだから。

「孝也さんがなにか失礼なことを考えてるの、わかってますからね」

「……自覚があるならなによりだ」

「心配しすぎ……というより、私を見くびりすぎです。掃除をするって言っても、大して荷物なんかないじゃないですか。これくらいなら楽勝です」

 悪意がないのはわかるが、意趣返しをされているような気分になる。

 それもまぁ、アンジェがなにかをやらかすという不安があるせいなのだが。

「ですから、そんな辛気臭い顔はやめてほら、笑いましょう?」

「悪かったな、辛気臭い顔で」

 憮然として答え、鼻を鳴らす。

「またそんな顔になる。ダメですよ、今日は大切な日なんですから」

「そんな大げさなものじゃない」

「またまたぁ。待ちに待ったデートじゃないですか」

 アンジェは口元を手で隠し、楽しげに目を細める。

 こういう仕草を見ていると、やっぱり女神なんて上等なものじゃないと思えてくる。

「妙な言い方をするな。待ちに待ってなんかいないし、そもそもデートじゃない。誰が相手だと思ってるんだ」

「いいじゃないですか、デートと思えば。そのほうが絶対に楽しいですし、相手のかたもきっと喜んでくれます」

 一石二鳥ですね、とアンジェは両手の人差し指を立てて左右に振って見せる。

 訂正するのも説明するのも面倒で、俺はひっそりとため息をついた。

 ここ数日、アンジェはずっとこんな調子だ。

 頬の筋肉が緩みっぱなしというか、抑えきれない笑顔に支配されているというか。

 アンジェの目的と、俺に関する事実を知ってから数日。

 今まで目をそらしてきたことに向き合うと、俺自身が決めたのもあの日だ。

 俺の人生においておそらくは、決定的な転機となる日だったに違いない。

 そしてそれは、アンジェにとってもそうなのだろう。

 俺を幸せにするという、アンジェの目的。

 前向きになるという俺の意思は、彼女の目的を達成するためには必要不可欠な要素だ。

 だからこそ、俺がそうすると決めたことを彼女は歓迎し、表情が緩んでしまうのだろう。

 ただ、それだけじゃないと思う。

 あの夜の、アンジェの涙と悲痛な声は忘れられない。

 今にして思えば、初めて会ったときからアンジェは、ずっと無理をしていたのかもしれない。

 妙に高いテンションも、押しつけがましいくらいの積極性も。

 そうでもしなければ、秘めていた罪の意識に圧し潰される。

 本人の口から聞いたわけでもないし、そんなことをアンジェが話すとは思えないが、なんとなくそう思えた。

 俺が一つ目の願いを叶えたことで、アンジェは隠し事をする必要がなくなった。

 罪を告白し、俺はそれを赦した。

 アンジェにとっては、それがどうしても必要だったのだろう。

 だからアンジェはあの日から、すっきりした気分なのではないかと思う。

「ほら、急がないと遅れちゃいます。デートに遅れるのはマナー違反ですよ」

「わかってるよ」

 遅れたら面倒な相手だというのは、誰よりも知っている。

 玄関で靴を履きながら、わざわざ見送るように立っているアンジェを見る。

「夕飯は適当に済ませていいから。帰りの時間は、ちょっと読めない」

 スマホを持たないアンジェには、途中で連絡を取ることができないので、そうするしかない。

「ということは、朝帰りもありえる、ということですね」

「その顔、やめろ」

 溜まっていた暗い気分が晴れたのはわかるが、若干高すぎるテンションは正直面倒だ。

「いいじゃないですか。あれですよ、えっと……そう、お楽しみですねってやつで――いだだだぁ!」

 くだらない冗談に緩むアンジェの頭を、がっしり掴んで締め上げる。

 大方、タブレットで見ている動画かなにかで仕入れた知識なのだろうが、女神がそれでいいのかと思う。

「じゃあ、行ってくるわ」

「は、はいぃ……いってらっしゃいです」

 涙目でこめかみのあたりを撫でるアンジェに見送られ、俺はアパートを出た。

「……時間は、丁度いいくらいか」

 スマホで時間を確かめつつ、雲一つない青空の下を、駅に向かって歩き出した。

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