2-19

「また来ますねー」

 見送りの子供たちに笑顔で答えるアンジェの手を、強引に下げさせる。

 勝手にまた来るとか、なにを考えて口にしているのか、今すぐ問い詰めたい。

「…………」

 子供たちの後ろにいる咲江さんや翔太、さらにその後ろに、悠里の姿が見える。

 複雑な感情が入り乱れているように見えるが、確かめるすべはない。

 気にならないと言えば嘘になるが、そのまま最後に一礼して、背中を向けた。

「とても楽しい時間でした。また一緒に遊びたいですね」

「君はそれでいいかもしれないけどな、こっちは困るんだよ」

 子供たちと遊んで楽しいのは、なにも事情を知らないアンジェだけだ。

「そもそも、なんであんなところにいたんだ? しかも、中を覗いてたとか」

「いやー、ビックリしましたね。まさか不審者と間違われてしまうとは」

「おい、誤魔化すな」

「そ、そんなつもりじゃないですよ。私はただ、孝也さんが育った場所を見てみたかっただけです」

「だから悪くないとでも言うつもりか?」

「悪気は、なかったんですよ? たまたま運が悪く、子供たちが外から帰ってきただけで」

 確かにタイミングは悪かった。

 が、仮に外から帰ってこなくとも、アンジェが施設内を覗いていたら誰かしらが気づいたはずだ。

 あの場にやってきたことがそもそもダメなのだと、理解して欲しい。

「でも、特に大きな問題にはなりませんでしたよね?」

「まぁな」

 結果だけを見れば、俺が想定していたよりもはるかにマシだった。

 かといって問題がないわけじゃないのだが……。

「ならいいじゃないですか。それに、孝也さんの昔話も、いろいろ聞かせていただけましたし」

「なんだよ、俺の昔話って」

「先生や翔太君が話してくれました。いいお兄さんだったんですね」

「……さぁな」

 アンジェの無邪気とすら思える笑顔から目をそらし、小さく息を吐く。

 悠里が施設にくる少し前に、自然と年長者になったから、そうせざるを得なかっただけだ。

 それに、約束もあった。

 ある意味で、義務とも言えた。

「今度会うのが楽しみですね」

「……あぁ」

 声を弾ませるアンジェに、曖昧に頷く。

 またあの場所に行くことを、俺は望んでいないと、口には出さなかった。

 空気を読んだとは思えないが、そのまま互いになにかを話すでもなく、駅前まで戻る。

 もうじき日が沈む時間だ。

「このまま、どこかで食ってくか」

「外食ですか? 珍しいですね」

「誰かのおかげで予定より疲れたからな。帰ってから準備する気になれない」

「なるほどなるほど」

 皮肉を込めたつもりだったが、アンジェには伝わらなかったらしい。

 呑気な様子で、どこにしましょうかと駅近くの店を眺める。

「あ、孝也さん孝也さん。あのお店とかどうでしょう?」

「あの店、たぶん居酒屋だぞ? 酒が飲みたいのか?」

「いえ、特には。ただなんとなく、いい匂いがするので」

 この距離で匂いなどわかるわけがないだろうに。

「孝也さん的には他のお店がいいですか?」

「別に構わない。それにまぁ、少しくらい酒を飲むのも、悪くないって気がしてきたしな」

 普段飲む習慣はないが、今日も含めてここ数日はいろいろありすぎた。

 明日は休みだし、少し気分転換をするのもいいと思えた。

「では決まりですね。私、居酒屋って初めてなので楽しみです」

「ちなみに酒、飲めるのか?」

「年齢的にも体質的にも、一応大丈夫ですよ」

 たくさんは無理ですが、とアンジェは笑ってみせる。

 ならいいのだが、と思いつつ、居酒屋に入る。

 その店は、そこまで広くもなく、席の数も少なめだった。だが、まだ少し早い時間ということもあり、客はまばらだ。

 これなら、問題なく座れるだろう。

「いらっしゃいませ。二名様ですか?」

「はい」

「では、お好きな席へ――」

 カウンターから聞こえてくる良く通る女性の声が、不意に止まる。

 店内を眺めながら答えていた俺は、そこでようやくカウンターの店員に目を向ける。

「…………ぁ」

 そして、間の抜けた声が漏れた。

 カウンターで店を取り仕切っているらしい女性と目が合う。

 おそらく、互いに同じような顔をしている。

 そこにいる女性を、俺は知っていた。

 もちろん、相手も俺を知っている。

 彼女は高校時代の三年間、同じクラスメイトだった女性であり、

「――久しぶり、桜葉君」

 俺にとってはなにものにも代えがたい、恩人だ。

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