2-10

「なにか、その……ないですか?」

 自分に落ち度があったと感じている音羽ちゃんは、代わりになるなにかを求める。

 あまり気にされても困るのだが、都合のいいことに一つ、訊いておきたいことがあった。

 彼女自身には全く関係がない、完全に俺個人の問題として。

「なら、学校の話でひとつ」

「私の学校生活に興味あり、と」

「いや違う。知りたいのは、別にいて……」

「……そうですか」

 一瞬だけ輝いた瞳が、暗く濁る。

 即座に否定したのは失敗だったが、気を取り直して話を続ける。

「二年の上郷って生徒、知ってる?」

「かみさと、ですか」

「そう。二年の上郷かみさと悠里ゆうり

「お知り合いですか?」

「知り合いっていうか……あれだ。同じ施設の」

「……あぁ、なるほど」

 すぐに事情を理解してくれた音羽ちゃんは、頷きながらコップのふちをなぞる。

「ちょっと納得です。桜葉さんと同じ出身の人だったんですね」

 納得の仕方に嫌な予感を覚えるが、どうやら知っているらしい。

 学年が違うからあまり期待はしていなかったが、これなら収穫がありそうだ。

「上郷悠里先輩。えぇ、面識はありませんが、名前と顔はわかります」

「わかっちゃう感じか」

「はい。色んな意味で目立つ方ですから」

 案の定というか、なんと言うか……。

 嫌な予感は、当たってしまいそうだ。

「ちなみに、どんな感じで目立ってる?」

「一番はやっぱり容姿、ですね。髪を染めている生徒は他にもいますが、あの人……上郷先輩の髪色は、目を惹きますから」

「あれ、地毛なんだけどな」

「あぁ、だからあんなに綺麗なんですね」

「大人しく黒くしておけば、面倒もないんだろうけどなぁ」

 悠里の性格を考えれば、地毛を染めろと言われて納得などするわけがない。

「雰囲気も独特ですからね」

「……やっぱりか」

「えぇ。ちょっと近寄りがたい雰囲気があります。そこが素敵だ、なんて言ってる女子もいたりしますよ」

 話を聞いているだけで、容易に想像できてしまう。

 俺が知っているのは数年前の悠里だが、性格的にはそのまま成長したようだ。

「あとは……お決まりの心無い噂も、いくつか」

「あいつは敵を作るのがうまいからな」

 音羽ちゃんの口ぶりからするに、ある種の不良として見られているのだろう。

 境遇を思えば仕方のないことかもしれないが、負けず嫌いな性格がさらによくない方向に働いているはずだ。

「俺が言うのもなんだけど、悪いやつじゃないんだ」

「私は別に。くだらない噂を信じるほど、子供ではないので」

 俺の心配など、杞憂だったようだ。

「それに、悪い噂ばかりでもないですよ。学年でもトップクラスの成績でギャップがあるとか、そういうのもあるので。実際のところはわかりませんが」

「そっちの噂はたぶん、本当だと思う。あいつ、昔から物覚えが良かったし」

「本当なんですね」

「俺とはできが違うよ」

 そしてそれは、なにも持って生まれた才能だけじゃない。

 あいつは――上郷悠里という少女は、相応の努力をしたうえで結果を出していた。

 悪い噂が気にならないと言えば嘘になるが、当時のまま勉強をおろそかにせずいることに、ひとまず安堵する。

「ずいぶんと気にかけているようですけど、どうしてわざわざ私に? お知り合いなら、直接話せば済む問題じゃないですか」

 当然の疑問を投げかけてくるが、それができたら悩んだりしていない。

「実は今度……というか明日なんだけど、久しぶりに会うことになりそうで、さ」

 数日前、アンジェと出会った夜にきた連絡がそれだ。

 悠里のことで相談に乗って欲しいと、ある人に頼まれている。

 かつて世話になっていた施設に戻るのは、俺にとって里帰りも同然だ。

「だったらなおさら、明日話せばいいだけでしょう」

「普通なら、な」

「事情があるようですね」

「まぁ、施設を出てから一度も連絡してなくて、さ」

 半ば、一方的に連絡を絶った状態で、三年以上経過している。

 俺が施設にいたころは、悠里も個人でスマホなんて所有していなかった。

 定期的に連絡をしてくるのは、施設の責任者である女性だけだ。

「それ、自業自得じゃないですか」

「少し連絡しないくらいは、セーフじゃないかな」

「まさかです」

 弱々しく逃げ道を探るが、音羽ちゃんにぴしゃりとダメ出しされる。

「私が上郷先輩の立場だったら、桜葉さんを探し出して怒鳴り込んでいますよ」

「……そこまでする?」

「しますね」

 即答するほどなのか……。

「話を聞く限り、上郷先輩とは数年以上、同じ施設で暮らしていたんですよね?」

「そうなるな」

「境遇から考えても、上郷先輩にとってはある種、家族のようなものだったのではないですか?」

「……かも、しれないな」

「そんな人が就職して施設を出た途端、一切の連絡を絶った」

 一度言葉を区切った音羽ちゃんは、愚か者を見るように目を細める。

「思春期の女子に対するその仕打ち、多少はグレても仕方がないのでは?」

「……そう、かなぁ?」

「妙な噂が立つ要因の一つとして、十分あり得る可能性だと思います」

「でも、あいつは……」

「上郷先輩の気持ちを勝手に想像して決めつけるのは、どうかと思います」

「……キツいなぁ、音羽ちゃんは」

 悠里も気が強いタイプだと思うが、音羽ちゃんも負けていない。

 だが、そう言われると、そうなのかもしれない。

 もしそうだったとしたら、複雑だ。

「覚悟はしていくべきでしょうね」

「覚悟、ですか」

「えぇ。明日は思いきり不満とか怒りをぶつけられてくればいいんです」

「ぶつけられますか」

「当然でしょう。多少の理不尽があったとしても、それが桜葉さんの役目です」

 なるほど、それが俺の役目か。

 数年分のつけを払うときが来たと、覚悟するしかないようだ。

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