本人は普通のつもり(誠の友情は真実の愛より難しい)

 リー・いばらという少年は笑い上戸である。

 ゆがんだ性格をれいな顔でかくし、おだやかな仕草で内面をしている。

 だがそれでも一回笑うだけで化けの皮が大きくがれてしまう。

 

 たとえばホラー映画。

 いちゃついていたバカップルが連続殺人機におそわれたしゅんかんなど、ほうふくぜっとうである。

 

 たとえばサスペンスドラマ。

 犯人がめられていく様子をにやにやとながめるので、周囲に人がいないことをかくにんしてから見なくてはいけない。

 

 しかし芸人特集は例外である。

 どんなに大人気な芸人がキレのあるネタをろうしても、かれはぴくりとも笑わないのである。

 むしろ冷めた目でちんもくつらぬき、不可解な生物をかんしょうするような表情をかべるのだ。

 

 ただ芸人のネタがすべった瞬間は、くすっとみをらすのである。

 体を張る熱湯やおでん、その他もろもろ。それらは好みらしく、芸人が暴れ回る映像を見ていることが多い。


 そんな彼がポップコーンと炭酸飲料をお供にしたいくらい楽しいのは、おんちゃりする時だ。

 

 女の子に大人気なスイーツを買わせたり、筋肉質な少年との対比が激しいふわふわもこもこぬいぐるみをかせたり。

 くやしそうに顔を歪めながらもなおに従う紫音を見ると、幸せにあふれるほどかいな気持ちにひたれるのだ。

 焼き肉にあわせてご飯を食べるような、じゅうじつしたここ。まるでこのために生まれたのではないかとさっかくするほど、楽しいのである。

 

 そんな主人に対し、

 

叔父おじの育て方が悪かったんだろうな」

 

 とだけでまとめる紫音もたいがいである。やさしいというよりは、あきらめの境地だ。

 風評がいを受けた叔父のリー・りょうからしてみれば、

 

「せめて母親の責任と言ってほしいけど、あの人は口うるさい割に放任主義だからね」

 

 近親の静かな争いにへきえきしていた。

 茨木と母親が関係性の改善に歩み寄れば、おそらく死人が出る可能性が高い。

 実の親子であるはずなのにいっしょくそくはつらいにも似たあやうさを内包し、それを自覚しているゆえきょを開けている。

 

 歪みまくった性格のリー・茨木だが、父親に関してはじゅんすいに尊敬していた。

 一度も会ったことがない事実が功を奏したのか、それとも母親へのはんこうしんなのかは本人もあくしていない。

 それでもスメラギ・げんぞうへ向ける感情だけは、彼を大人しくも素直な子供へともどしてくれる。

 

 ――ただ性格のきょうせいには全く役に立たないが。

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