美少年に魅了された俺、33歳おっさんです

崎田恭子

第2章

赤井、急で申し訳ないが本社に出張に行ってもらう事になった」

「随分と急だな」

「あぁ、君の能力を借りたいとの申し出があってな」

「チッ…仕方ねぇな。了解した。ところで玲羅も連れていきたいんだが駄目か?」

「遊びに行くのではないのだぞ」

「そんな事、解ってる。業務に支障をきたすような事はしねぇから心配すんな」

「はぁ…許可しなくても君の事だから連れていくだろ」

「解ってんじゃねぇか」

澄江は一つため息を漏らし創の気質を考え已む無く承諾をした。


創は業務を終え社内のエントランスを抜ける。

「お疲れぇ〜。また、これから玲羅とデート?」

「当たり前だ。俺達にとっては日々のルーティンだ」

田端が出入り口付近で待っていましたとばかり創に声を掛ける。

「今日は私も宜しいか?私も久々に玲羅と会いたいなぁ」

「やらんぞ」

「クドいな」

二人は駅のホームに辿り着くが互いに会話をする事も無く電車の到着を待ちわびる。

そして、電車が到着し車内に乗り込む。

「あんた、相変わらずだねぇ。シートが空いてるのに座らないんだもんねぇ」

「誰が座ったか分からねぇところになんて座れるか」

「あんたの部下は消毒液で手荒れが酷くなってるかもね」

「余計なお世話だ。そっちこそ直ぐに喫煙室に逃げ込む上司で部下は大変だろうな」

「こっちこそ余計なお世話だよ」

二人が互いに憎まれ口を叩くのは通例の光景なのだ。

二人は下車すると創は小走りになり改札口を目指す。

「れいらぁ〜」

「つくるさぁ〜ん」

創が改札口を抜けると二人は即座に抱き合い挨拶のキスを交わす。この光景も日常化している。

今、3人はスターバックスにいる。創と玲羅は並んで座り田端は向かい側に座る。

「玲羅、明日から3日間は学校を休め。大阪に旅行に行くぞ」

「えっ、旅行って…」

「旅行じゃないでしょ…仕事なんでしょ…」

「出張ですか?俺も行っていいんですか?」

「あぁ、許可はもらった。だから、お前も連れて行く。付き合い始めてから初めての旅行だ」

「やったぁっ!楽しみだなぁ」

「だから、旅行じゃない…私、思ったんだけどさぁ。そんなに離れられないんだったらいっその事、一緒に暮らせば?」

「俺は受け入れ態勢は万全なんだがこいつが地団駄を踏んでいやがる。それに俺の脳内は24時間、玲羅の事は消去されない。」

「えっ…勤務中もですか…?」

「そうだ。脳内を分散すれば他愛のない事だ。お前も訓練すれば出来るようなる」

「そういうものなんですか?ていうか24時間て事は睡眠中もなんですか…?」

「そうだ。夢の中にも欠かさず登場する。お前の夢には俺はいないのか?」

「爆睡すると夢の内容なんて忘れますよ」

「お前の俺に対する愛はそんな程度なのか?」

「あのさぁ、いきなり二人の世界に入らないでくれる?私、置き去りにされてるんだけど」

「お前の事、完全に眼中から外れていたぞ」

「失礼な奴だなぁ。ところでさぁ、一緒に暮らすって件、玲羅はどうなのよ?」

「付き合ってからもう一ヶ月位になるんで俺も最近、その方が良いかなぁなんて」

「それじゃ、善は急げだっ!玲羅、今すぐアパートの解約に行くぞっ!」

「はいっ!行きましょうっ!」

創と玲羅は椅子から立ち上がり出入り口に向かう

「ちょっと待ったっ!今、何時だと思ってんの?管理会社は既に閉まってると思うよ…」

「えっ…」

創が腕時計に視線を落とすと既に6時を回っていた。

「そうだな…旅行から帰ってからだな…」

「だから、旅行じゃないんだって…」

田端は出張を旅行と勘違いしている創に頭を抱えていた。

 

翌日、創と玲羅が旅行と勘違いしている出張の日がやってきた。

「玲羅、眠れなかったのか?」

「はい、楽しみすぎて。創さんも目が赤いですよ」

「あぁ、俺も眠れなかった」

二人は遠足に行く前日の小学生のような状況になっていたのだ。それ程、二人にとってはこの日が来る事を楽しみにしていたのだ。たった一晩待つだけだったのだが…

二人は今、よく回らない脳内を必死に回転させようとしている。

「缶コーヒーでも買ってきます…」

「あぁ、頼む…」 

「創さん、仕事は大丈夫なんですか

 ?」

「あぁ、俺自身が大丈夫だと言っている」

「睡眠不足で発言がおかしくなってる…」

「お前、嫁みてぇだな…てか、俺の嫁になれっ!」

創は突然、半開きになっていた瞼を見開き玲羅の顔を真顔で直視した。

「はぁ?!完全におかしくなってる…」

「おかしくなってねぇっ。俺は正気だっ!」

「えっ、だって俺は男ですよ。結婚なんて出来る訳ないじゃないですか」

玲羅は創の唐突な発言に困惑の色を隠せない。

「確かに婚姻届は出せねぇ。だが入籍くらいは出来る」

「入籍って…創さんの戸籍にですか…?」

「そうだ。俺の戸籍に入れば婚姻関係と似たような形に出来る」

創は完全に正気を取り戻したと玲羅は感じたが未だに困惑をしている。

「俺、一人っ子だから両親が悲しむ…」

「だったら俺がお前の両親の養子になる」

「でも、うちの両親は何て言うかなぁ」

「直ぐには良い返事はしねぇかもしれねぇな。暫く時期を待つか。だが、お前は俺と一生、添い遂げる覚悟はあるのか?」

「大丈夫ですっ!創さんと一生、生きていきますっ!」

「二言はねぇな?」

「はいっ!」

「焦る事はねぇか。話しの続きは帰ってからにするか」

その後、新幹線に乗車した二人は爆睡状態になった事は言うまでもない。しかし、不安を感じた玲羅はスマートフォンのアラームをセットしておいたのだ。

「…創さん、もう新大阪ですよっ」

玲羅は創の身体を揺すっている。

「早いなもう着いたのか…」

「アラームをセットしといて良かった…」


創と玲羅は今、ビジネスホテルの一室にいる。

「玲羅、俺はこれから本社に行くがお前はこれを持っていろ」

創はバッグからスマートフォンを取り出し玲羅に差し向ける。

「GPS機能を使ったやつだ。これでお前が何処にいるのかが確認できる」

「えっ…何でですか…?」

「知らない土地ではどんな危険が潜んでいるか分からねぇからな。お前の安全確保の為だ」

「俺は男だから大丈夫ですよっ」

「いや、お前は己を知らなさすぎる。お前のような奴は野獣を不埒な気分にさせる。ついこの間も新宿を歩いていたらお前をいやらしい目で見ていた輩が沢山いた」

「それは二丁目だったからです」

「だが、この見知らぬ土地にそのような野郎がいないとも限らねぇ」

「まぁ、確かに…そうですね。解りました。外に出る時は持ちます」

「それと、行動範囲はこのホテルの付近だけにしとけ。出る時は必ずラインで知らせろ。それじゃ、俺は行く」

「はい、いってらっしゃい」

一人残された玲羅は取り敢えずベッドに寝転びスマートフォンで動画を閲覧したりSNSを眺めたりして茶を濁した。しかし、それも長続きはせず暫く時が経過すると暇を持て余す。

「なんか暇だなぁ…外に出ようかなぁ…腹も減ってきたし…」

玲羅は創に外出前のラインのメッセージを送信しキーを持ち部屋を出た。キーを受付の男性に預けホテルから出る。見知らぬ土地の都会の喧騒に多少なりとも圧倒される。辺りを見渡すと牛丼チェーンやファミレス、焼肉店等が軒を連ねている。玲羅は一番、手軽な牛丼屋に入る事にした。

食券を購入し店員に渡しカウンター席に座る。注文したメニューが置かれるまで再びスマートフォンを弄る。

その時、玲羅の隣にサラリーマン風の男性が座った。玲羅は視線を感じ男の方に視線を向けると不適な笑みを浮かべている。玲羅の背に悪寒のようなものが走り椅子から立とうとしたその瞬間、男性の手が玲羅の横腹に当たる。玲羅がそこに視線を落とすと男性はナイフのような物を握っていた。

「俺の言う通りにしろ。でないと刺すぞ」

玲羅は戦々恐々としながら男性の指示に従った。すると店を出て人気が無いビルの隙間に誘導された。

「君、可愛いね。これから気持ちの良い事しようよ。くっ…これは役得だな」

「止めろっ…役得って何だよ…」

「おっと、口が滑った」

男は玲羅の首筋にナイフを当て再び不適な笑みを浮かべている。

「暴れたら刺すよ」

男は玲羅を地面を押し倒し馬乗りになった。

「嫌だっ!止めて…創さん、助けて…」

玲羅は抵抗をしようとするが首筋に当てられたナイフに恐怖を感じ男に従うしか他に選択肢が無かった。男は玲羅の衣服の下に手を入れ弄り始めた。玲羅の瞳には涙が溢れる。

「創さん…助けて…」

「こんな所で助けを求めてめ誰も来てくれないよ」


「玲羅の動きがおかしい…何でいつまでもこんな場所に留まっているんだ…まさかっ…」

創はスマートフォンのGPSを確認すると血相を変え即座に社内から外に出た。そして、玲羅の居場所を再度、確認して全速力で走っていった。

創が玲羅の居場所を突き止めビルの隙間を見るとそこには衣服が開けた玲羅に覆い被さる男の姿が視界に入る。

「てっめぇっ!玲羅に何をしているっ!」

創は男の首根っこを掴み玲羅から引き離すと拳を握り男の左頬を力の限り殴り倒した。その後、創は男の胸ぐらを掴み殺気に満ちた表情で何度も殴った。男の顔は腫れ上がり唇からは流血しぐったりとしている。

「創さんっ、これ以上殴ったら死んじゃいますっ。創さんが犯罪者になってしまいますから止めて下さいっ!」

玲羅の言葉に創は我に返り拳を静止させると男は命からがら逃走していった

「大丈夫か?」

「創さんが来てくれなかったら俺…」

「玲羅、怖い思いをさせて済まなかった…こんな所に連れてきた俺のせいだ…」

涙を流す玲羅の背中を擦りながら創は項垂れていた。

「玲羅、もう東京に帰ろう。これ以上、お前を危険にさらしてはおけねぇ」

「仕事はどうするんですか…」

「俺にとっては仕事よりお前の方が大切だ」

「俺が弱いせいで…創さんに迷惑を掛けた…」

「お前のせいではねぇ。全ては俺の責任だ」

創は大切な宝物を扱うようにそっと玲羅を立ち上がらせ衣服を整えビジネスホテルに戻った。創は玲羅を落ち着かせる為にベッドに寝かせ澄江に事の一部始終を説明する為に通話をした。

「全ては俺の責任だ。退職願いを出して責任を取る」

「赤井、迂闊だったな。君から連絡が来る前に本社から連絡があった。いかなる事情があるにせよ職務放棄をした事実は消せないそうだ。恋人を出張に連れていくなど本来なら許される事ではない。私にも監督不行届としてそれなりの処分は下るだろう」

「澄江…済まない…」

「もう、終わった事だ。それに玲羅くんを同伴させる事を認めてしまったのは私自身だ。私にも責任はある」

「いや、澄江に同伴の許可をされなくても俺は連れて行った。全ては俺の責任だ。上の方には俺の独断だと説明をする」

「そうか…説明しても変わらないと思うがな」

「済まない…」

創は最後に告げると通話を終了した。

「創さん、ごめんなさい…」

「だから、お前のせいじゃねぇ」

玲羅が再び涙を流すと創は玲羅の頭を撫でながら涙を自身の指で掬った。

その後、創は玲羅を起き上がらせ荷物を持ちビジネスホテルを後にした。

そして、新幹線に乗車し東京駅へと向かった。

「玲羅、何処か知らない静かな土地で一緒に暮らさないか…」

創は玲羅を抱き締めながら耳元で囁く。

「創さんがそうしたいなら」

「大学に通えるように都心とのアクセスが良い場所を選ばなきゃな」

「俺、大学を辞めて創さんの嫁になります」

「親にはなんて説明するんだ?」

「俺の正直な気持ちをそのまま伝えます」

「そうか…近いうちにお前の両親に会わなきゃな」

「はい…」

 

二人は自宅の最寄り駅に到着すると安心感からか二人共、空腹を意識する。

「腹がへったな…」

「色々あってお昼から何も食べてませんからね」

「あぁ、それじゃ、これから俺が創スペシャルを作ってやろう」

「えっ…スペシャルですか…何か怖い…」

「ゲテモノは食わせねぇから安心しろ」

「創さんの普通って常人じゃ理解できないからなぁ…」

「そうか?」

玲羅はどのような物が出来上がるのか不安を感じたが空腹ならば多少、妙な料理を出されても食べられるのではと創に一任する事にした。

そして、創がキッチンに立ち10分程が経過するとローテーブルに出来上がった料理らしき物が運ばれてきた。

「えっ…インスタントラーメンに野菜炒めを乗せただけだ…」

「そうだが…期待外れか?」

「いえ、意外と普通だと思って…」

「お前は俺をどのような人間だと思ってやがる…」

「変人です」

「そういう男と付き合っているお前も充分、変人の域に入ってると思うが」

「ですねぇ…はははっ」

「おっ、漸く笑ったな」

「そういえば…創さんのお陰です。俺、創さんに助けられてばかりですね」

玲羅はどのような状況に陥ろうとも決して動じる事の無い事、相手を笑いに導く事が出来る創の新たなる一面を見て尊敬の念を抱いていた。

 


創は起床するとPCに向かい退職届けを制作していた。

「一身上の都合により…」

当たり障りの無い文章をタイピングし印刷するとクラフト封筒に納めた。

「おはようございます」

「玲羅、今日は早いな」

「あまり眠れなくて。朝からタイピングの音が聞こえてたけどどうしたんですか?」

「退社届けだ。今日、社に行ってくる。お前は学校だろ」

「そうですね…でも、辞めるんでもう行かなくていいかなぁって…」

「友人達にきちっと挨拶してこい」

「はい…」

創は退社届けをローテーブルに置いたまま朝食の準備を始めた。

 

創は最後の通勤をし玲羅は学校へと向かう。二人共、最後だという事もあり神妙な面持ちになっている。

創は長い間、視界に入れていた車窓の風景を見詰め感慨深い思いにふける。

社内のエントランスを潜り自身が籍を置いている販売促進部のオフィスに向かう。

オフィスに入ると澄江の元へ向かう。

「退社届けを持ってきた。受け取ってくれ」

そして、踵を返し部下達に一礼をする。その後「チーム赤井」のメンバーに一言告げる。

「お前ら、突然で済まない」

一同は事情を知っているのか「お疲れ様です」と一言告げると複雑そうな面持ちで一礼した後、即座にPCへと向かい業務を再開した。

「赤井、君に話したい事があるから待ってくれ」

「あぁ?」

澄江はそう告げると廊下へと創を促した。

「オフィス内では話しにくい事なのだ。実は玲羅くんの身に起きた事は全て君を陥れる為の偽装工作だったらしい」

「何でそんな事が分かったっ?!」

「部署内の人間が偶然だが奴らが会話をしている場に直面したらしい」

澄江の話しによると創の存在を快く思っていない社内の同期達が創を陥れる算段をしていたという事だった。彼らは帰宅途中の創の行動を追い玲羅という創の弱みを突き止める事に成功したのだ。そして、創が出張先に玲羅を同伴するという事を耳にするとその中の一人の人間に金銭を握らせ実行に及んだのだ。

「くそがっ…俺はまんまと引っ掛かったってわけか…心当たりはあるがまさか、こんな手段を使うとはな…きたねぇ連中だ…」

「泣き寝入りするのか?」

「玲羅をさらし者にして辱める事になる。俺は玲羅をあれ以上傷付けたくはねぇ」

「そうか…恋人の方が大事なのだな。だったら私はこれ以上、何も言わない。君自身が選択した事なら好きにすればいい」

「あぁ、世話になったな」

「あぁ、良い所に再就職が出来るよう健闘を祈る。必要書類は後程、郵送する」

澄江は踵を返しオフィスへと戻った。創はそのままエレベーターに乗りエントランスを潜り社に向かい再び一礼をして駅へと向かった。

 

創が自宅に戻ると玲羅は合鍵で既に戻っていた。

「玲羅、お前も直ぐに帰ってきたのか?」

「はい…辞めるという事だけ伝えて帰ってきました」

「そうか…知らない土地で一軒家を購入して暮らそうと思っているがお前、覚悟は出来てるか?」

「はい、出来てますっ」

「だったら、再就職より先に家探しだなっ!忙しくなるぞっ!先ずはお前が借りてるアパートの解約だな」

「そうですねっ!忙しくなりますねっ!」

「ところでお前は海派と山派どっちだ」

「俺は断然、海派ですね。いつだったか動画で季節外れの海岸物語って昔のドラマを観て海の家で暮らすのに憧れちゃったんですよぉ」

「玲羅、ちょっと待て。海岸で暮らすなどもっての他だ。海鳴りはうるせぇし潮風だから洗濯物は外に干せねぇし夏場は観光客がウザいしカモメの糞被害は深刻だ。もう少し物理的に物事を考えろ」

「カモメは海岸にいませんよ」

「……にしてもだ。色々と厄介だ」

「海亀の産卵シーンが見れますよ」

「食ったら美味いかもな」

「食うんですか…」

「食費の節約だ」

「現実的すぎる…」 

 

玲羅は今、真剣な眼差しでPCに向かっている。

「玲羅、さっきから何をしている」

「知らない土地って漠然とした言い方しかしてなかったんで今、物件を検索しているんですよ」

「そうか…物件か…何処か良さげな地域はありそうか?」

「最近、都内から地方に移住する人達が多いみたいで今、ランキングを観てるんです」

そして、創も玲羅と共にPCを覗く。

「I県T市っていう地域がランキングNO1になってますよ」

「う〜ん、都心へのアクセスもいいしなぁ。そうだ…白くて小さな家にしてぇ」

「えっ…何でですか…?」

「なんとなくだ。で、子犬を飼う」

「えっ…」

「白くて小さな家を探すぞ」

「よく解らないけど了解です」

創も玲羅の横に座り二人で再び検索を始める。暫く検索をしていると一戸建ての物件が数件、目に入る。

「玲羅、この物件の詳細を調べるぞ」

創のお眼鏡に叶った白く小さな物件が提示されていたのだ。

「本当に見つけたよ…」

「おぉ!これは素晴らしい…この一戸建ては俺達の為に存在していると言っても過言じゃねぇ。庭も広いから花壇も設置できる。今度、内見に行くぞ」

「花壇ですか…」

「そうだ、白いパンジーと真っ赤な薔薇を植える」

「そういえば…大昔の曲でそんなものがあったような気がする…」

「玲羅、気のせいだ」

「気のせいじゃないと思う…」

「いや、気のせいだ」

「後で検索してみよう…」

 

そして、玲羅がスマートフォンで曲の検索を始めると「あなた」というタイトルの曲が目に入った。創が理想としている物件や子犬、花壇に至るまで歌詞と酷似していたのだ。

「やっぱり…この曲の通りにしたいんだ…」

「玲羅、偶然だ」

「絶対に違う…」

 

 

不動産屋とアクセスをして創と玲羅は物件の内見に行った。

不動産屋の担当に促されながら物件の外観を見定める。

「おぉっ!これぞ俺が求めていたもんだっ!」

「良かったですね」

「他人事のように言うな。お前もここで暮らすんだぞ」

「そうですね…」

その後、担当の足取りの後方に着きながら内装の確認をする。

「おぉっ!リビングが広いじゃねぇか!ここには青いカーペットをひくぞ!」

「やっぱり、あの曲の通りだ…」

「偶然だ」

「絶対にそうだ…」

「お気に召して頂きましたか?」

担当が満面の笑みで創に問う。

「2階をまだ見てねぇじゃねぇか」

「あっ、そうでしたね」

二人は担当の後に続き2階へと上がっていった。

「おぉっ!6畳くらいの広さで二間かっ。なかなかいいじゃねぇかっ。玲羅はどうだ?」

「いいと思いますよ」

「よし、買ったっ!」

「いちいちリアクションか派手な人だな…」

担当の呟きすら耳に入らない程、創の気分は浮上していたがある事に気付く。

「ちょい、待った。やけに安いが事故物件じゃねぇだろうな」

「そのような事は決してございませんのでどうぞご安心下さい」

「もし、得体の知れねぇもんに遭遇したら全額返金してもらうからな。それと恐怖に対する慰謝料だ」

「承知致しました。もし、不都合がございましたら全額返金プラス慰謝料をお支払い致します」

担当は少々、苦笑していたが創の条件を承諾した。

「創さんて意外と怖がり…」

玲羅は再び創の新たなる一面を発見したと口角をひきつらせていた。

その後、二人は購入手続きを終えると都内の家路へと急いだ。

 

 

この日は朝から転居の為に荷造りをしていた。処分しても良い物とそうでない物の分別に勤しんでいた。玲羅の荷物は部屋を解約しまとめた物がそのままの状態になっている。創は元々、物が少ないせいかそれ程、大きくない段ボール箱が数個程度で収まった。その後は軽く掃除をして終了した。

「よし、これで完璧だ。夜は三木の店を貸し切りにした。お前も友人達を呼べ」

「はい、グループラインで連絡を取ります」

玲羅はスマートフォンを手に取りラインを開くと健人や純也、真司等と共有しているグループラインにメッセージを送信をした。その後は、里奈と裕美にもメッセージを送信した。

玲羅はふと創の所有物が入った段ボール箱に収められた書籍が気になり手に取ってみる。

「これだけ何巻も揃ってるんですね」

「そうだ。全巻揃えた。元々は俺の母親が読んでいて一冊ずつ買っていたみてぇだが中学生の頃から俺が揃えるようになって全て読破した。俺はこの小説で信念を貫く事や困難を乗り越える術を身につける事が出来た。俺の人生のバイブルだ。この小説だけは処分できねぇ。お前も時間がある時に読んでみろ」

「はい、そんなに凄い小説なんだ…」

そうか…だから、創さんはどんな事があっても動じないんだ…

玲羅は職場を退社に追い込まれても創は平常心を保っていられるのだと理解する事が出来た。

 

 

「お前らいつの間に…」

今、創と玲羅は三木が経営する「ウッドスペース」にいる。そこには田端と森田が並んで座っている。

「僕から告白をして結婚を前提にお付き合いをする事になりました」

「そういう事」

「森田も漸く男気を見せたかっ!いやぁ、めでてぇなっ!俺達も事実上の婚姻関係になる」

「一戸建てを買うなんて凄いよね…」

「白い一軒家に拘ってました…それに子犬を飼うとか白いパンジーと真っ赤な薔薇がどうのって言ってます」 

玲羅からそれを聞いた田端は徐々に口角を上げ腹を抱えながら笑い始めた。

「あのさぁ、それって曲の歌詞そのものじゃんっ!マジでウケる…あんたってそんなにロマンチストだったっけ?」

「うるせぇっ。偶然だ」

「まだ言ってる…いい加減、認めればいいのに…」

「何か言ったか?」

「独り言なんで気にしないで下さい」 

その後は健人や純也、裕美や里奈も入店して店内は賑やかになった。

「健人、美砂は来なかったのか?」

「てっめぇ、察しろよっ」

「玲羅、流石に察してよ」

「あぁ…そういう事か…」

「てめぇのその鈍感力、何とかしろよっ」

「あぁ…そうだな…」

若干の波乱は予感させるが元チーム赤井のメンバーである服部、川端、原田、上戸も揃い店内は更に賑やかになった。

「赤井…さん、何て言って良いのか…散々、お世話になったのにあのような態度を取ってしまい申し訳ありませんでした」

先に創に声を掛けた人物は4人の中で最年長である服部だった。

「いや、俺の不始末なんだからお前らが気に止む事はねぇ。今日は送別会みてぇなもんだ。お前らも楽しんでいけ」

「はい、ありがとうございます」

服部が創に頭を垂れると他の3人も

後に続いた。

「さて、田端と森田の話しに戻るがお前は田端のどこに惚れた」

「全てです。頭脳明晰で努力家で仕事熱心です。でも、部下に対して思いやりもあって誠実で…」

「ちょっとっ!待った!頭脳明晰は認めるがそれ以降は欲目にもほどがある」

「失礼な奴だなっ!」

「そうですか?僕は数年間、ずっと紀香さんの事を見てきましたから解るんです。それにスタイルが良いし美人じゃないですか」

「何を言っている玲羅と比べたら月とスッポンだ。玲羅を見てみろ。全く非の打ち所がねぇ。頭脳明晰で勉強熱心で思いやりもあるという言葉は玲羅の為にある。それに…」

創が長々と玲羅について語り始めた。元チーム赤井のメンバーや森田や田端、澄江までもが唖然とし言葉を失った。

「創さん、かいかぶりすぎです。それに恥ずかしんで止めて下さい。俺の友人達にも聞こえてました」

玲羅が言うように健人を始め皆が聞き耳を立て同様に唖然としながら創を凝視している。

「俺は真実を語っただけだ。お前以上の人間はいねぇ」

「えっ…玲羅くんて本当にイケメン…」

最初に静寂を破ったのは上戸だった。

「上戸よ、お前にも解るようだな」

「だってこんなイケメン初めて見たかも…赤井さん、お願いがあります。玲羅くんとラインの交換をして良いですか?」

上戸は立ち上がり創に懇願している。

「上戸だけなら許す。他の野郎は駄目だ」

「本当ですかぁ〜、キャー!嬉しいっ」

そして、上戸は玲羅の隣に無理やり座り瞳に煌めきを宿しながらながらスマートフォンを取り出す。

「上戸が乙女になってる…」

「こんな上戸、初めてみるかも…」

社内での上戸の様子のみしか知らない服部と川端が呆気に取られていると今まで無言だった澄江が二人に述べる。

「上戸もどこにでもいるただの女性だったのだな」

「はぁ…そうなんですね…」

「だが、玲羅はやらねぇぞ」

「そうだぞ。人のもんに手を出すなよ」

創が上戸に釘を刺すように告げそれに便乗するように原田が言うが上戸はそれに屈しなかった。

「黙れ!不細工ども!決めるのは玲羅くんでしょ!」

「はぁ?!お前、元上司に向ってどういう口の聞き方をしやがる!」

「言うに事欠いて不細工とは何だ!」

「そうだっそうだっ!原田、もっと言ってやれ!」

「はぁ?!今は上司でも何でもないただのおっさんでしょっ。それに不細工に不細工と言って何か悪いっ!」

「何だっ、この御徒メンコが!」

「人の事、言えねぇだろっ。このチンチクリンがっ!」

創と原田VS上戸の大乱闘が展開された。

「わぁ、楽しくなってきたぞっ。もっとやれやれっ」

「あの…部長、普段の赤井さんてこんな風なんですか…?」

社内でのクールな創の振る舞いとはかけ離れている姿に驚愕をした服部と川端がギャップに困惑をしていると澄江が呆れたように告げる。

「はぁ…これが赤井の本性なのだよ」

「えっ〜、俺達って一体、あの人の何を見ていたんだ…」

「全くだ…」


 

転居の日取りも決まり引っ越し業者が荷物を次々と部屋から運び出す。

「色々あったな…お前を初めてうちに連れ帰った時を思い出す」

「そうですね…俺もあの時の事を思い出してます」 

創は荷物が全て無くなり空洞になった部屋を暫し眺める。辛酸を舐める想いをした事や逆に気分が浮上するくらい楽しかった事等が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

「きりがねぇ。もう行くぞ」

「はい」

創は走馬灯を振り切り踵を返し二人は部屋を後にした。

 

創と玲羅が転居先に辿り着くと既に引っ越し業者のトラックが到着していた。

「平日だから早かったのかもな」

「そうですね」

創は引っ越し業者に荷物の置く場所を指示しある程度、収まると段ボール箱に収められた物を取り出し定位置に収める。創に習って玲羅も私物を創の指示に従って収めていく。

「これからまた、忙しくなるぞ。役所に行ったり自動車も必要だからディーラーショップに行く。ペットショップにも行かなきゃならねぇ」

「やっぱり、子犬を飼うんですか…」

「当たり前だ。このマイスイートホームには必要不可欠だ」

「また、どこかで聞いた事があるような曲のタイトルを言ってる…」

「気のせいだ」

「絶対そうだ…」


 

その翌日、転居届の為に役所に行きその足で自動車のディーラーショップに行く。創は燃費も良く維持費が安い軽自動車を選び購入した。

その後は創の希望を叶える為にペットショップに行く。

店内を覗くと様々な犬種の子犬がゲージの中で佇んでいる。

「こいつ、可愛いなぁ。尻尾振ってますよぉ」

玲羅が最初、目に入ったのは白いチワワだった。

「玲羅よ、子犬を見ているお前の方が可愛いぞ。小型犬は駄目だ。奴らは自分のテリトリーだとどこでも容赦なくしょんべんや糞をしやがる。上下関係も人間よりエゲツねぇ。下僕だと思った人間には噛み付いてきやがる。それにエロい事をしている時に邪魔されかねねぇ。奴らは子犬という皮を被った悪魔だ」

「あの…周囲の人達が見てますよ…」

創が辺りを見渡すと訝しげに囁いている客らしき人々がいる。

「小型犬をけなしすぎじゃない?」

「この人、一体何をしに来たんだろう…」

そして、一人の女性店員が二人に声を掛ける。

「あの…どのような子をお求めでしょうか…?」

「どのような…白い家に相応しい子犬か…」

「今度はブツブツと何か独り言を呟き始めた……」

店員は創の姿に戸惑っている。

「そうか…非常に単純な事に気付かなかったな…白い家には白い子犬だ…おい、白い子犬はいるか?」

「はいっ、白い中型犬ならいますっ」

二人は店員に促されるまま歩いていく。

「こちらです…」

二人が様々な犬種を眺めていると創の瞳に一匹の子犬が映る。

「おぉっ!こいつは…円な瞳で俺達をみてやがる。早くこのゲージから出してくれと訴えてるぞ。一目見た時から赤い糸で結ばれている気がした。こいつは俺達の為に存在している子犬だ」

「本当だ、可愛いいなぁ」

二人が見た子犬は白い豆柴だった。この豆柴は尻尾を振り二人を見詰めていた。

「玲羅、お前にも解るか?よし、買ったっ!こいつをくれっ!」

「はいっ!ありがとうございますっ!」

 

そして、自宅に辿り着くと創は子犬と一緒に購入した犬小屋の設置を始めていた。

「犬小屋も白いんですね…」

「当たり前だ。犬小屋も白い小さな家だ」

「めちゃくちゃ拘ってる…」

「そうだ、お前に名前をつけてやらなきゃな。玲羅、何か良い案はあるか?」

「普通にシロでいいんじゃないですか?」

「お前のネーミングセンスはどうなってやがる。白い家に白い犬小屋に白い子犬だからってそれはねぇだろ。まぁ…お前が良いならそうするが。よし、お前の名前はシロに決定だっ。玲羅と同様、可愛がってやるぞ」

「本当にシロにしたよ…可愛がってやるって創さんが言うと卑わいに聞こえる…でも、いくら何でも子犬にまでそんな事はしないだろう…えっ…白、白、白…まさか…」

「玲羅よ、お前は本当に察しがいいなぁ」

その瞬間、玲羅の背筋に悪寒が走る。

「今度はお前に純白のウェディングドレスを着てもらう。」

「えっ〜!やっぱり、そうなったか…絶対に嫌ですっ!」

「何を言ってやがる。俺がタキシードを着てお前がウェディングドレスを着て写真に納める。結婚とはそういうもんだ。俺にお前の可愛い花嫁姿を見せてくれ」

「嫌だっ〜!それだけは勘弁して下さいよっ」

玲羅の高らかな拒絶する声がこの広い大地にこだましていた。

 

 

創と玲羅は翌日から就職活動を開始していた。個々にPCで検索を始める。

「玲羅、お前はそんなに焦らなくてもいい。まだ、蓄えは充分ある。だが俺はいい年齢の大人だ。一刻も早く決めなきゃならねぇ」

「俺も大人ですよ。取り敢えず在宅ワークでも探します」

「いや、お前は実務経験が殆どねぇだろうが。だから焦るなと言っている。俺は約10年、あの企業で勤め上げた実績がある」

「でも…」

「ガキは黙って大人に甘えろ。背伸びはするな」

「創さんて何か資格とかもあるんですか?」

「経済学部だったから宅建取引や、税理士の資格は持っている。それと英検2級だ」

「凄い…PCのタイピングも早いし…それに比べて俺なんて…」

「30代の大人と比較するな」

「年齢差を感じるなぁ」

「だから、背伸びはするなと言っただろうが」

「はい…」

創は玲羅が自身と対等でありたいという気持ちは理解が出来るが様々な意味で経験値の差がありすぎる為に無理はせず少しずつ成長をしていってほしいという願いがあった。

 


「シロの散歩に行ってきます」

「あぁ、危険が潜んでいるかもしれねぇからスマホを忘れるな」

創は以前、購入したGPS機能を使ったスマートフォンを玲羅に差し出す。

「えっ…近所を散歩してくるだけですよ」

「だからっ、お前、少しは己を知れっ。それにまだ引っ越してからまだ、3日しか経ってないんだぞっ。知らねぇ事だらけだ。どんな奴が潜んでいるか分からねぇ」

「俺も男ですから大丈夫です」

「お前なぁ、新大阪での事をもう忘れたのか。俺が気付かなかったらどうなっていたか分からなかったんだぞ」

「あっ…そうでしたね…解りました」

玲羅は新大阪での出来事がフラッシュバックし創の言っている事は妥当だと感じスマートフォンを受け取った。

「それじゃ、行ってきます」

「あぁ、気を付けるんだぞ。何かあったら叫べ」

「はい…俺は女か…」

玲羅は玄関のドアを開きシロの元へと歩いていく。シロは「キャンキャン」と尻尾を振りながら飛び跳ねて玲羅を見詰めている。

「シロ、散歩に行くぞ」

「キャンキャン」

玲羅はリードを握りながらシロを連れ再び歩き始めた。

転居後の忙しさに気を取られあまり周辺をゆっくりと見る時間が無かった為か今日の散歩は新鮮に感じる。天候にも恵まれ最高の散歩日和だ。

少し歩みを進めていくと近所の住人らしき30代程の男性が目に入る。男性は農作業をしている様子だった。

「おはようございます。3日前に越してきました。宜しくお願いします」

「おはようございます。こちらこそ宜しくお願いします。君、良かったらうちで収穫した野菜を持っていってくれないか?」

「えっ…いいんですか?」

「うちはね、野菜に関しては自給自足なんだけど夫婦二人きりだからいつも余らせてしまうんだ。だからたまに近所を回ってお裾分けをしているんだ。貰ってくれたほうが助かるくらいなんだ」

「そうなんですか。うちは助かります。ありがとうございます」

「君はまだ、若そうだけど家族で引っ越してきたの?」

「そんなようなものです」

玲羅は当たらずとも遠からずといった返答をした。

「俺はこうして野菜を栽培してるだけで実益はないんだ。だから稼ぎ頭の妻の為に家事も俺がやっているんだ」

「奥さんてどんな職業なんですか?」

「フリーのライター兼イラストレーターなんだ。今、その辺で写真を撮っているみたいだからもし、そのような女性を見掛けたら声を掛けてやってよ。言い忘れたけど俺は春日竜也で妻は梨花。宜しくな」

「はい、俺は家入玲羅といいます。奥さんらしき人を見掛けたら声を掛けてみますね。それじゃ、散歩の途中なんで失礼します。野菜、ありがとうございます」

玲羅が頭を下げると春日竜也は片手を上げ軽く振った。

暫く歩いていると子柄で華奢なボブスタイルヘアの女性がスマートフォンを掲げ何やら風景を撮影している姿が目に入る。

「あっ、もしかしたらあの人かもしれない。声を掛けてみよう」

玲羅は春日竜也の妻らしき女性に歩み寄っていく。

「おはようございます。あの、もしかして春日梨花さんですか?」

「この辺では見慣れないが何故、私の事を知っている?」

梨花は眉間に皺を寄せ訝しげに玲羅を見詰めている。

「あっ、突然ごめんなさい。さっき旦那さんの竜也さんに偶然会って貴女の事を聞いたんで声を掛けました」

「そうだったのか。初めてみるがもしかして新参者か?」

「はい、越してきたばかりなんです。家入玲羅といいます。宜しくお願いします。あの、失礼な事を聞くみたいですけど年の差婚なんですか?」

「何故、そう感じる?」

「俺とそんなに年齢が変わらないのかなぁって勝手にそう思っただけなをですけど…因みに俺は20歳です」

「いやぁ、嬉しい事言ってくれるねぇっ。私はこう見えても30代だよ。旦那とは同い年だ」

「えっ?!創さんと同じ位…」

「今…創って言わなかったか…」

「はい、同居人です。赤井創っていいます」

「げっ!赤井創ってあの赤井か…珍しい名前だから間違いないかもしれん…黒歴史の記憶が蘇ってきた…」

梨花は突然、顔面蒼白になりブツブツと独り言を呟き始めた。

「あの、創さんの事、知ってるんですか?」

「本人を見たわけじゃないから確証は無いが恐らくそうだ…」

「それじゃ、確認の意味でうちに来ませんか?」

「あぁ…迷惑じゃなければそうさせてもらう…」

「全然、迷惑じゃありませんよ。それじゃ、行きましょう」

玲羅は梨花を連れ自宅へと向っていった。

「創さ〜ん、近所に住んでる創さんの事を知ってるらしき人を連れてきましたっ」

「あぁ?俺はこの辺に知り合いなんていねぇぞぉ」

「げっ!あの声といい喋り方といいやっぱ、奴だ…」

創がリビングから玄関へと向かい梨花を視認する。

「あっ!ドロケイ!」

「やっぱ、あの赤井だったかっ!」

創と梨花は互いに人差し指を向け驚愕の声を上げた。

「完全に記憶の蓋が開いた…私の黒歴史…」

「黒歴史言うな。あの時はお前も喜々として参加したじゃねぇか」

「あの後の事を忘れたか…」

「確かに…不覚だった…」

二人は回想にふける。

「ドロケイ」とはある意味鬼ごっこのような遊びだがあくまでも小学生が行う遊びである。それを当時、新入社員だった創を始めとする数人の人物が社内食堂で昼休憩の時に行ったのだ。梨花は参加者の中で唯一、紅一点だったのである。社内食堂を駆け巡り「ドロケイ」に興じていた創達は当時、まだ部長職になる前の澄江に目撃されお叱りを受けたのだ。そして、社内食堂で正座をさせられ参加者全員は社内食堂にいる人々に土下座で謝罪をさせられたのである。要するに罰としてさらし者にされたのだ。

「あぁ…私の唯一の汚点を思い出してしまった…」

「若さゆえってやつだなぁ…だがそのお陰でお前は春日と出会えたんじゃねぇか。少しは感謝しろ」

「まぁな…」

「えっ、春日って事は社内恋愛で結婚したんですかっ?」

「えっ…お前らあれから結婚したのか?!」

「あぁ、そうだが」

「そうだったのか…それにしてもお前、以前と全く変わってねぇな。まったくバケモンか」

「それはお互い様だろうが。お前も全く変わってないじゃないか」

「えっ…創さんて10年前からこんな風貌だったんですか?!」

「変わってないな。ドロケイをやらかす前まではちょいイケメンだったから女子社員にモテていたみたいだがあれ以降は皆、興ざめして去っていった。」

「へぇ、でも俺は創さんの事を尊敬してますよ。それに俺のヒーローなんです」

「えっ…何をそんな大層なもんにお前を仕立て挙げた?」

「失礼な奴だなっ。俺は玲羅にだけモテてればいい」

「俺もです。創さんだけ見ていてくれればいいです」

創と玲羅はその場で抱き合う態勢に入ったが梨花が間に入った。

「ちょっと待ったっ!私の存在を無視すんなっ!ていうか二人ってそういう関係なのか?」

「そうだが。何か文句あるか?」

「いや、人それぞれだから文句は無い。ただ少々、驚いただけだ。そうか、それじゃ、女性社員に熱い眼差しで見られていても気付かなかったって事か」

「全く気付かなかったな。てか、興味なんて無かったからな」

「まぁ、末永く頑張れ」

「そうだっ、創さん、梨花さんの旦那さんからこんなに沢山の野菜を貰ったんですよっ」

玲羅が話しの矛先を変えようと創に告げた。

「こんなに沢山、助かるぞっ。有難えな。サンキューなっ」

「あぁ、また持ってくるよ」

「こんな所で立ち話もなんだから上がってけよっ」

「いや、仕事があるんだ。また、野菜を持って寄るよ。今度は竜也も連れてくるよ」

「あぁ、楽しみにしてるぞっ」

「竜也もお前と再会できるからきっと喜ぶぞ。それじゃあな」

梨花は踵を返し玄関のドアを開け去っていった。


 

あれから3週間が経過し自動車が納品さ日がやってれるきた。

「ハンドルを握るなど10年振りなんだが…正真正銘のペーパードライバーだ。玲羅、お前はどうなんだ?」

「教習所以来です…俺達、大丈夫なんですかね…」

「まぁ、何とかなるだろ…」

二人が戸惑っているとディーラーショップの店員が自動車の納品に来る。

「届いちまったよ…取り敢えず試運転をするか…」

「はい…最初はドライバー歴のある創さんが運転席に乗って下さい」

「あぁ…」

そして、創が運転席に乗り玲羅が助手席に乗り込む。

「アクセルって確か右だったよな」

「多分…取り敢えずゆっくり踏んでみましょう」

創が自動車のキーを回すとエンジン音と共に身体に振動が伝わってくる。創は緊張が走り動きがぎこちなくなる。創はアクセルであろう右側を慎重に踏んでみる。

「おぉっ、動いたぞ!最初は徐行運転からだ。いきなりスピード出したら危険だからな」

「そうですね…初日から事故なんて最悪ですからね」

創は自転車の速度のようなノロノロ運転を始める。するとバックミラーに見知った姿が自転車で近付いてくるのが映る。

「あっ、梨花さんだ」

「今、一番会いたくない奴がきやがった。」

「梨花さ〜ん!」

「バカヤロー、声なんて掛けんじゃねぇっ」

「お前ら、何でいつまでも徐行運転なんてしている?」

「チッ…二人共、ペーパードライバーだからな。危険回避する為に徐行運転をしている」

梨花が自動車の横に並び声を掛けてきた。創は眉間に皺を寄せ訝しげな表情をしながら梨花に返答をする。

「お前ら、それでよく自動車など買う気になったな…」

「自動車が無いとこんな田舎じゃ暮らしていけねぇだろうが」

「いや、自転車で充分、生活は出来るが…スーパーに自転車で10分足らずで行けるぞ」

「………。」

「お前ら、今まで買い物はどうしてた…」

「ネットで購入していた」

「無知とは恐ろしいもんだな。事前に周辺に何があるか確認しなかったのか?」

梨花が呆れたように問う。

「田舎だから何もねぇと思っていた。先入観とは恐ろしいな…」

「肝心な所が抜けてんのは変わんないみたいだな…まぁ、頑張れや。じゃあな」

梨花は自転車のペダルを動かし去っていった。

暫し徐行運転をしていたが勘を取り戻したのか創がアクセルを少しずつ強く踏みスピードを上げていった。

「おぉ!勘が蘇ったみてぇだぞっ!」

「創さん、凄いっ!格好いいですっ!」

「だろっ!このままドライブに行くぞっ!」

しかし、玲羅はある事に気付く。

「創さん、俺達全く所持品がありませんよ…」

「だから何だ?」

「免許証です。持ってないですよね…」

「そういや…家に置きっぱなしだ…」

「免許不携帯で罰金ですよ…」

「だな…今日は引き返そう…」

創は浮上した気分が急激に萎みUターンをして家路へと戻っていった。


 

創は一週間程前に翻訳の割の良い在宅ワークを決め自宅でPCに向かいタイピングをしている。玲羅も在宅ワークを検索しているが単価の良い仕事など殆ど皆無だった。

「小遣い稼ぎ程度にしかならないなぁ」

「お前は小遣い稼ぎ程度でもいいと思うが」

「でも…」

「またか…お前は何度言ったら解るんだ。背伸びはするな」

創に言われるが玲羅は納得する事が出来ないでいる。何とか対等になりたい…その想いばかりが脳裏を駆け巡っていた。

「外で働こうかなぁ」

「それもいいが世間はお前が考えている程、甘くねぇぞ。お前は例の小説を読んでみろ。それからでも遅くねぇ。今のお前にとってはいい勉強になるぞ」

創は仕事を一旦、中断すると2階に上がり寝室の天袋から小説が納められている段ボール箱を1階に運んだ。

「お前なら一ヶ月足らずで読み終えるだろう」

「改めて見ると随分と長い小説ですよね」

玲羅は段ボール箱に納められている書籍を眺めていた。

「この小説には生きる為に大切なもんが散りばめられている。今日から読んでみろ。読み終える頃にはお前自身の価値観が変わっているはずだ」

「はい、そんなに凄い小説なんですか?」

「凄いなんてもんじゃねぇ。この作者は世界的な宗教家だ。世界を相手に平和運動をしている。小説の内容は全て実話が元になっている」

「凄いですね…」

玲羅は書籍を段ボール箱から取り出しページをめくる。創は玲羅がこの小説から何かを学び社会人になった時に何かの糧になればとの想いがあった。それは、兄弟のような父親のようなものに近い感情だった。それ程、創の玲羅に対する想いが深いのだ。

 


朝から創のスマートフォンから着信音が鳴り響く。

「誰だ、こんな朝っぱらから」

創は訝しげに眉間に皺を寄せながらスマートフォンを手にし画面に視線を落とす。

「田端かっ、一体、何の様だっ」

創は渋々、スマートフォンをスワイプする。

「こんな朝っぱらから何だっ」

「実はさぁ、私と忍、本格的に婚約したんだ。式の日取りはこれからだけど一応、報告だけしておこうと思ってさぁ」

「マジかっ、めでてぇじゃねぇかっ。玲羅とそっちに顔を出すぞっ」

「ありがとうっ!待ってるよっ。それじゃ、朝っぱらから済まないね。出勤前にと思ってさ。それじゃ、また後程ねっ」

「あぁ」

創は通話を終了すると2階に上りまだ眠っている玲羅を起こしに行った。

「おいっ、玲羅、起きろっ!さっき、田端から報告があってな。二人が婚約したらしいぞっ」

「えっ、そうなんですかっ。」

玲羅は寝ぼけ眼を擦りながら上体を起こした。

「本格的に結婚の方向に向ってるんですね。俺達もそうなれればいいですね」

「そうだ。俺達も負けていられねぇ。お前の両親を説得して何とか入籍にこぎつけてぇ」

「そうですね…うちの両親がどんな反応をするか心配ですけどね」

「田端の祝いに東京に行きたいんだがそのついでと言ったら失礼だがお前の実家にも行くか?」

「心配してるだけじゃ前に進めません。行きましょう」

 

 

今、創と玲羅は東京都内へ自動車で向かっている。ドライバーとしての勘を取り戻した創が運転席に座りまだ慣れない玲羅は助手席に座っている。

「時間は掛かるが危険回避を考えたら一般道にして正解だったな」

「そうですね。事故を起こしたら洒落になりませんからね」

創は勘を取り戻したと言ってもまだペーパードライバーを脱してから間もないのだ。

「先に田端の家に行くぞ。お前の実家はなるべく時間に余裕を持ちたいからな」

「はい」


家路を後にしてから2時間程で田端宅であるアパートに到着する。

チャイムを押すと田端がドアを開き中へと通される。

するとそこには夢の島と書籍のタワーがところ狭しと広がっていた。

しかもワンルームの一室だ。部屋に入ると森田忍がベッドに佇んでいた。

「しかし…ひでぇ部屋だな…まともなのはベッドの上だけじゃねぇか…」

「寝る場所は流石に確保しておかないとね」

「そういう問題じゃねぇだろ。森田、よくこんな女と結婚する気になったな」

創は訝しげに部屋を眺めていた。

「紀香さんはこのままでいいんです。仕事に熱心なあまり家事をやる時間が勿体ないんだと思います。結婚したら僕が家事をやりますから大丈夫です」

「結婚したら私の世話が大変だよって言ったらそれでもいいって言うからさぁ。でも忍が別の道を見つけて実行を始めたら家事を分担して全力で応援するよ」

「まぁ、人それぞれだからな。玲羅の部屋もこんなふうだったしな」

「そうですね…ハハハ…」

玲羅は苦笑しながら頭を掻いていた。

この二人はお互いを尊重してるんだ…

玲羅の心にふと影が潜んだ。自分達はまだそこまで全く行き着いてはいないと思ってしまったのだ

しかしその刹那、玲羅は気持ちを切り替えて二人を目標にするという選択に至った。時間を掛け頑張って創と対等な立場になろうと心に決めていた。

「創さん、紀香さん達って理想的なカップルだと思います。俺も創さんと対等になれるように頑張ります」

「頑張れ。その時が来るのを楽しみに待っているぞ」

創は玲羅が今、自分と肩を並べて歩んでいきたいと足掻いている事を理解している。創はその玲羅の姿に愛おしさを感じていた。

「玲羅、お前は本当に可愛い奴だな」

創は玲羅の頭をクシャクシャと撫でていた。

「相変わらずお熱いねぇ」

「紀香さん、僕達も赤井さんと玲羅くんを見習いましょう」

「全くだね」

4人は互いに笑みを浮かべながら語り合っていた。

 

玲羅の実家に向かうべく創は自動車を走行させていた。事前にカーナビに住所を登録していた為、差ほど時間を掛けずに到着をした。付近にあるコインパーキングに自動車を駐車させると二人は玲羅の実家へと赴いた。

「アポ無しだったが大丈夫だったのか?」

「通話をすると厄介な事になるんでこれでいいんです」

「厄介な事って何だ?」

「全く連絡を取っていないんで質問攻めになります」

「…この親不孝者が…」

玲羅の実家に辿り着くと創は驚愕を隠せなくなった。

「豪邸じゃねぇか…医者、恐るべし…」

そこにはヨーロピアン調の建造物がどっしりと構えていたのだ。部屋数が分からない程の規模だったのだ。玲羅は久々にキーを手にすると鍵穴

に差し込みドアを開けた。

「母さんっ!ただいまっ!」

「玲羅っ!久しぶりじゃないっ!」

「うん、なかなか連絡が出来なくてごめん…」

「そうよっ!きちんと食べてたの?母さん、連絡が出来なくて本当に心配だったのよぉ。学校のお勉強はどうなの?突然、帰ってきたという事は何か特別な事でもあったの?あっ、彼女でも出来たの?そうそう、もしかして美砂ちゃんとお付き合いしているの?貴方達、いつも一緒だったものねぇ」

玲羅の母である瑠美の弾丸のような質問攻めは止まらない。

「だから電話なんてしたくなかったんですよ…」

「すげぇな…」

瑠美は玲羅に質問攻めにしていたがふと玲羅の隣に佇んでいる創に視線を向ける。

「えっ…この方は…?」

「今更かよ…」

「友人にしては年齢が離れていそうね…そうねっ、お勉強を教えてもらってる方なんでしょ?そうに決まってるわっ。玲羅がいつもお世話になってます。玲羅、上がって頂きなさい」

「はぁ…ありがとうございます…」

「遠慮なさらないで下さいね」

「おい、家庭教師にされてるぞ」

「はぁ…あの人、思い込みが激しいから…」

玲羅は創に中へ入るように促した。

「母さん、いい加減、ラインくらい覚えてよ」

「あれってよく解らないのよねぇ。だから電話番号だけで送れるメールにしたんだけど途中で文字が打てなくなってしまうのよねぇ」

「それはCメールってやつで文字数が決まってるのっ。父さんから教わってラインを覚えてよ」

「えっ、文字数が決まってるの?おかしいと思ってたのよねぇ。解ったわ。後でお父さんに聞いてみるわ」

「今どき、高齢者でも解るよ…」

「お前のお袋さん、色々な意味ですげぇな…」

「そうなんです…」

創は玲羅に促され家の中に入りリビングへと向かった。

「何だこれ…」

創がリビングに足を踏み入れるとそこには様々な調度品や高級感のある酒類が棚やケースに並べられていた。創は玲羅と並びソファーに座る。

「もう、夕方ですしお酒の方が宜しいかしら?」

「いえっ、そんなに気を使わないで下さいっ」

「ご遠慮なさらないで下さい。玲羅がお世話になっているんですから」

瑠美がキッチンに入ろうと踵を返すと玲羅が瑠美を呼び止めた。

「母さん、話しがあるんだけど。だから酒とかはいいからさ。母さんもここに座ってよ」

「話しって何?そんなに慌ててどうしたの?」

瑠美は疑問に感じながらも二人の向かい側のソファーに座った。

「実は母さん、この人は俺の彼氏なんだ」

「彼氏…貴方は男の子でしょ…?どういう意味…?」

「俺、恋愛対象が男性なんだ」

瑠美が混乱をしながら二人を眺めていると創はソファーが立ち上がりソファーの横に座り両手を床に付け頭を下げていた。

「突然、申し訳ありませんっ!玲羅くんを自分に下さいっ!」

「えっ…下さいって…?」

「俺は創さんの嫁になるって事」

「益々、意味が解らない…」

瑠美が創と玲羅の言葉に困惑をしていると玄関のドアが開く音が聞こえてくる。そして、リビングに向ってくる足音が聞こえる

「貴方、玲羅がおかしな事を言ってるの…」

「一体、何があったんだ?」

玲羅の父親である陸雄だったのだ。陸雄は瑠美から事の一部始終を聞きソファーに座った。

「恋愛対象というものは人それぞれだから例え親であってもそれを否定する事は出来ない。嫁になるって事は彼の戸籍に移りたいという事なのか?」

「そういう事になる…」

「私はそんな事は絶対に許さないっ!」

「瑠美、黙って話しを聞きなさい。玲羅、大学は通っているのか?」

「今後の俺には必要が無いと思ったから辞めた」

「また、勝手な事を…」

「順序を誤ってしまい申し訳ありませんっ!全ては自分のせいですっ!あっ、自分は赤井創と申しますっ」

創は再び土下座をして陸雄に詫びていた。

「赤井くんか…君の職業は?」

「数カ月前までサラリーマンでしたが色々とありまして今は在宅ワークで生計を立てています」

「色々か…話したくなければ無理には聞かないが…年齢は?」

「33歳です」

「完全に物事の分別が出来る大人じゃないか。玲羅が学校を辞める事を止めるべきだったのでは?」

「すみません…今、I県で一軒家を購入して二人で暮らしています」

「全て事後報告か…」

未だ混乱している瑠美は陸雄の隣に座り顔を手で覆い伏せている。

「まぁ、そうなってしまった事は仕方ないが2つ条件がある。玲羅は通信教育の編入でもいいから大学をしっかり卒業する事と入籍は3年後にする事だ」

「えっ、父さん、3年後って何でっ?」

「お前はまだ世間知らずだ。だからしっかりと世間を知っておく必要がある」

「ごもっともです。お父さんの仰る通りです。大学の編入の件は何とかします。入籍を3年後にする件も了承しました。」

創は土下座の姿勢から立ち上がり深々と頭を垂れた。

その後は玲羅に対する両親の想いの深さに触れた創はいたたまれなくなり一人でこの場を去ろうとした。

「玲羅、今日は実家に泊まれ。俺は先に帰る。明日、迎えに来る」

「俺も帰りますっ」

「駄目だっ。この親不孝もんがっ。たまには親子水入らずで話しでもしろ。お騒がせ致しました。自分は帰ります」

創はそう告げると再び一礼をして玄関へと向かった。

「事後報告というのは頂けないが流石に大人だな物分りが良い。二人の仲は公認する事にしよう。瑠美も認めてやってくれないか」

「解りました…」

瑠美は複雑な想いであったが陸雄がそういうならばと半ば無理に納得をするしかなかった。

「ところで彼のご両親は知ってるのか?」

「創さんは天涯孤独なんだ」

そこで玲羅は創の生い立ちについて語る。母子家庭で育った事や中学生の頃に母親を亡くした事、その後は自活しながら大学を卒業した事等、田端から聞き知る限りの事を語った。

「だから、俺は彼を尊敬してるんだ」

「そうか…」

「玲羅、今日は泊まっていくんでしょ?お夕飯を作るわね」

玲羅が久々に帰ってきた事で瑠美は気分が浮上しているらしく夕食のメニューがいつもより凝った物のように玲羅は感じた。

「父さん、母さん、ごめんなさい。これからはたまに帰るよ」

陸雄と瑠美は愛しげに玲羅に視線を向け頷いていた。

 

創は自宅に辿り着くと道中でコンビニに寄り購入をした惣菜を袋から取り出しレンジで温めた。そして、冷蔵庫からワインを取り出しグラスに注ぎ一気に飲み干した。

創は夕食を取りながら自身の行った事を振り返り大人として取るべき行動ではなかったと自分自身を糾弾した。だが玲羅を手放すつもりは毛頭無い。今日はせめてもの思いで玲羅を実家に置いて一人で帰ってきたの

だ。

 

 

翌朝、全てのルーティンを終えると玲羅を迎えに行くべく朝一番で自動車に乗り込む。

東京都内に入ると創は腕時計に視線を落とす。時刻は既に10時を回っていた。少々の渋滞に巻き込まれ苛々がつのり「チッ」と小さく舌打ちをする。

漸く玲羅の実家に辿り着き時刻を見ると11時近くになっていた。

創は自動車を路肩に駐車し玲羅の実家に向かう。

チャイムを押すと開かれたドアの先には玲羅の姿が見えた。

「ご両親はいるのか?」

「仕事です。両親には話してあるから大丈夫です」

「そうか…いない間に連れ去るみたいで後味が悪いけどな」

そう言いながらも創は両親がいない事にホッと胸を撫でおろしていた。

もし、両親がいたらどのような言葉を向けるべきか思い浮かばなかったからだ。

玲羅はドアのキーをしっかり閉じると創が路肩に駐車をした自動車の助手席に乗り込んだ。創は後ろめたさを感じながらも自動車を走行させ家路へと向かった。

 


真っ赤な薔薇と白いパンジーの苗を購入してきた二人は庭でスコップを持ち植える準備をしていた。そして、それに習うかのようにシロも二人に並んで土を掘り返してした。

しかし、玲羅はある事に気付く。

「創さん、花咲か爺さんて知ってます?」

「ここ掘れワンワンか?」

「意地悪爺さんは花を咲かす事が出来ないんです」

「それがどうした?」

「正直爺さんは咲かせます」

「だから何が言いたい」

「シロを見て下さい」

「あっ!てっめえ、このバカ犬っ!なんて事をしやがってるっ!」

創がシロの足元に視線を向けると苗が無残にもシロに掘り返され至る所に散らばっていた。

「玲羅、お前も目撃したなら何故、この犬っころを止めない?」

「だってシロの姿が可愛かったから。それに無事な苗もあるから大丈夫ですよ」

「もういい、俺は一人でやるからお前はシロと戯れてろってまだやってやがるのかっ!」

「違いますよ。よく見て下さい。シロはお亡くなりになった苗を埋めてきちんと墓を作ってますよ。賢いじゃないですか」

「……。」

その後、数分間が経過し無事に苗を植える事に成功を果たした。そして、煉瓦で囲い終了した。

「おいっ、今度やったらお前を逆さ吊りにして丸焼きにしてやるからな」

「怖い…やっぱり意地悪爺さんだ…」

「意地悪ではない。躾の一貫だ」

何も知らないシロはキャンキャンと飛び跳ねてはしゃいでいた。

「あっ、ライン…またかぁ…」

「誰だ」

「上戸さんです。あの日以来、ラインのメッセージがしつこいんですよ」

「既読スルーをしろ。無視してればそのうち諦めるだろ」

「はい…そうなるといいけど…」

 

 

「あれぇ…おかしいのよねぇ」

今、元チーム赤井のメンバーは社内食堂にいる。食べ終えた上戸はスマートフォンを片手に困惑したような表情をしている。

「上戸、さっきから何をしてるんだ?」

不審に思った服部が上戸に声を掛ける。

「玲羅くんにラインしてるんだけどずっと既読が付かないのよねぇ」

「ずっとってさっきからラインを送り続けてたのか…?」

「そうですよ」

昼食を終えてから既に10分が経過している。

「それ、何件目なんだ…?」

「15件目かしら?」

「えっ…」

「おい、上戸、人の迷惑を少しは考えろ」

「黙れっ、不細工がっ!」

「また、言うにことかいて不細工って言いやがったなっ!」

原田が売り言葉に買い言葉のように上戸に言葉を放った。

「お前ら、場所をわきまえろ」

川端がこれ以上、上戸と原田を放置しておくとバトルを展開しそうな空気だった為、二人を静止した。

「これ、ヤバいぞ。ストーカーしかねないな」

「確かに…」

事件でも起こしそうな程、常軌を逸している上戸の行動に不安が過る3人の男性陣だった。

 

「創さん…スルーしていたら益々、

エスカレートしましたよ…さっきからラインの通知が鳴りっぱなしですよ…」

「恐ろしい執着心だな…ブロックしたら何をしでかすか分からねぇしな…仕方ねぇ、暫く電源を落としておけ。エラーすれば流石に避けられている事に気付くだろ」

玲羅は創に言われた通りスマートフォンの電源を落とした。



あれから3日後

ピンポ〜ン

玄関のチャイムが鳴り創がモニターに向っていった。

「誰だ?春日が野菜でも持ってきたのか…って、何でこいつがいるんだ…」

モニターには上戸の姿が写っていた。

「えっ…誰が来たんですか?」

「上戸がいる…」

「えっ…どうします…?」

「居留守使うしかねぇだろ」

そして、再びチャイムが鳴る。二人は息を殺しながら上戸が去るのを待つしかなかった。

「自動車があるって事はそんなに遠出はしていないわね。帰ってくるまで待とうかしら」

上戸はドアの前に座り込んで二人を待つ態勢でいる。

「ヤベぇな…お前に会うまで待っているつもりだぞ。もう振り切れねぇ」

「そうですね…居留守使うのは限界がありますよね…」

「お前は2階に隠れてろ。いないってわかれば諦めて帰るだろ」

創は再びモニターに向かい上戸に声を掛けた。

「玲羅に会いに来たのかっ。玲羅は今、いねぇぞっ」

「それじゃ、帰ってくるまで待たせてもらうわ」

「マジか…」

もう成す術を見失った創は仕方なく玲羅を呼び玄関のドアを開けた。

「玲羅くん、いるじゃないよっ。何、居留守を使わせようとしてんのよっ。玲羅くん、会いたかった…」

上戸は靴を脱ぎ捨て足早に玲羅へ向かい抱き付いた。

「うわっ!創さんっ、助けてっ!」

「玲羅、ちょっと待ってろっ。今、強力な助っ人を呼ぶっ」

創は2階に駆け上がり寝室に入るとスマートフォンを手に取り通話を始めた。

「田端かっ!今、大変な事になってるっ!」

創は田端に事の一部始終を語り援護を要請した。

「解ったっ。貴史に車をだしてもらうよっ。高速で向かえば1時間も掛からないと思う」

「休日なのに済まない」


「玲羅くん、貴方はあのおっさんに洗脳されてるのよ。さぁ、私と東京に帰るわよ」

「嫌だぁ〜俺は創さんと幸せになるっ!」

「何を言っているの?解ったわ。私が洗脳から救い出すわ」

その時、2階から創が何やらジェスチャーで玲羅に合図を送っている。よく見ると両手を前に出しその後、指先を寝室の方に向けている。

「そうか、そういう事か…分かりましたから兎に角、苦しいんで離れて下さい」

「あっ、ごめんなさいね。そうよね。私、どうかしてたわ」

上戸が腕を緩めた瞬間、玲羅は軽く上戸を突き放すと階段を駆け上がっていった。

「あぁ!騙したのねっ!」

創は玲羅の腕を引き寝室に入る。

「このドアは鍵がねぇ。ベッドをドアの方に移動させるぞ」

創と玲羅はベッドの頭になる方をドアにピタリと付ける。そして、創はドアノブを握り締め玲羅がネクタイでドアノブとベッドの足にくくり付けた。

「これで入ってこれねぇだろ」

「後は、紀香さん達が来るのを待つだけですね」

「開けなさいよ!」

上戸はドアノブをガタガタと無理やり開けようとしている。だが、暫く様子を見ているとドアノブの動きがピタリと止み静寂が訪れる。その後、階段を下る音が静かに聞こえてくる。

「流石に諦めたか?」

「みたいですね」

創と玲羅が呟いていると階段を登る音がきこえてくる。

「えっ…?」

「あぁ…?」

その瞬間、ドアからミシミシという音が耳に入る。二人がドアに視線を向けるとどこから持ち出したのか金属でドアを無理やり開けようとしている様子が目に入る。

「テコの原理を利用すればこんなドア、直ぐに開くわっ」

「止めろっ!落ち着けっ!ドアが壊れるじゃねぇかっ!」

「だったら素直に開けて玲羅くんを引き渡しなさいよっ!」

「それは出来ねぇ!何があっても玲羅だけは死守するっ!」

「創さん、警察を呼んだ方が早いと思いますよ」

「ただの痴話喧嘩だと思われるだけだ。こっちから招き入れてしまったんだから不法侵入にもならねぇ」

創と玲羅が万事休すと諦めかけたその時、創のスマートフォンから着信音が鳴り響く。

「田端かっ!玄関のドアは開いてるっ!早く来てくれっ!」

「助かりましたね…」

階段を数人で登る音が聞こえてくる。

「上戸ちゃん、ちょっと話しがあるんだけど」

「えっ、なんで田端部長がこんな所に…それに澄江さんまで」

「上戸ちゃん、こんな所で何をしているの?」

「玲羅くんを奪い返しに来ました」

「あのね、貴女はもう既に玲羅にふられてるのっ。玲羅は最初から創の恋人として紹介されたでしょ。大体、彼自身は元から恋愛対象が男性なんだし」

「うっ…うわぁ〜ん」

上戸は床に座り込み泣き崩れた。田端は傷ついた上戸を労るように片手をそっと上戸の肩に乗せた。

創と玲羅はベッドにくくり付けていたネクタイを解きベッドを定位置に移動させた。

「みんな、折角の休日なのに悪かったな。コーヒーでも飲んでいってくれ」 

創は人数分のコーヒーカップにインスタントコーヒーを入れリビングに運んだ。

「そういや、上戸が澄江の事を部長って呼ばなかったがやっぱり降格になったのか?」

「いや、私も辞表を提出した。今は友人の紹介で別の企業に勤務している」

「巻き込んでしまって本当に済まなかった…」

「あの企業には将来性を感じられない。私にとっては辞めるいいきっかけになった」

そして、その後は互いの近況報告のような話題になっていった。

退社した創と澄江の話題が中心となったが創はふと田端と森田に視線を向けた。

「ところで挙式はいつなんだ?」

「挙式と披露宴は近親者のみって計画なんだよ」

「そうなると2次会しか参加できねぇのか。誰か企画してるやつはいるのか?」

「私の部署にいる若い子達が幹事になるって話しだから大丈夫だよ」

「そうか、それは良かった。お前は部下に信頼されてるみてぇだからな」 

話題が田端と森田の方へと矛先が代わり時計を見るとあっという間に一時間半が経過していた。

「さて、そろそろ夕方になるからおいとまする事にしよう」

「あの、今日はご迷惑を掛けてしまいすみませんでした」

上戸は踵を返し項垂れながら玄関へ向っていった。その姿が哀れに感じたのか田端は上戸の背に手をかざし3人は創と玲羅に挨拶を交わし去っていった。

 


創はふと春日夫婦が突然、退社した事を思い出した。入社して2年後の事だった。部署は同じだったがプライベートでの付き合いが無かったせいか理由は全く解らなかった。

ピンポ〜ン

玲羅がモニターを確認すると野菜を抱えた梨花の姿を視認した。玲羅は玄関へ向かいドアを開く。

「おはようございます。いつも、すみません。助かってます」

「玲羅っ、春日かっ?話があるから上がってもらえっ」

「はいっ、だそうですよ」

「まぁ、時間があるからお邪魔するか」

梨花は創の声掛けに応じ靴を脱ぎリビングへと向っていった。

「旦那とも話しがしたいんだが呼べるか?」

梨花はスマートフォンをポケットから取り出し竜也に通話した。創の呼び出しに竜也も応じこれから向かうとの事だった。

「話しってなんだ?」

「旦那が来たら話す」

玲羅は珍しく神妙な面持ちの創を気遣いコーヒーを入れてくるという体でキッチンへと向かった。そして、程なくして竜也が到着し3人はローテーブルを囲む。

玲羅は入れたてのコーヒーをテーブルに置くと玄関へと向かう。

「創さん、シロを散歩させてきます」

「あぁ、気を付けろよ」

玲羅は創と同じ企業に勤務していた梨花と竜也の双方を呼ぶという事は自分の知らない切実な会話が展開される事を予測し3人を気遣い暫く外にいる事を選択した。

「話しってなんだ?」

梨花が再び創に問う。

「単刀直入に聞くが何故、二人揃って辞めた?」

梨花と竜也は暫し押しだまりリビングに静寂な時が流れる。

「簡単に言えば嫌がらせだ」

最初に口火を切ったのは竜也だった。

「嫌がらせって…お前、何故そんな事になったんだ?」

竜也は創に語り始めた。

一部の上層部が企業の商品の横流しを行っているのだが創達の数人の同期がそれに加担していたのだ。そして、偶然にその輩達が会話をしている場面に竜也が遭遇してしまったのだ。その輩達は竜也に口止め料として金銭を差し出してきた。しかし、正義感の強い竜也はそれを拒否し輩達の行いを非難するように糾弾をしたのだ。その日を境に竜也に対する嫌がらせが始まったのだ。竜也は徐々に精神的に追い詰められ自主退社を余儀なくされた。それを見兼ねた当時はまだ恋人だった梨花は企業に対し訴訟を起こした方が良いと竜也に話したが上層部がもみ消す可能性が高いと言って泣き寝入りをする選択をしてしまったのだ。

「誠実に勤めている奴が馬鹿を見るという典型例だな。実は俺も連中に足元を掬われた。俺の場合は脇が甘かったんだかな。まぁ、澄江も見限って辞めたしな。だが皆、こうして平和に暮らしているんだから結果往来って事でいいんじゃねぇのか?」

「だが仕返しをしてやらないと気が収まらない。この事実をSNSを利用して暴露してやるっ」

梨花は歯ぎしりをしながら鋭い眼差しで一点を見詰めていた。

「梨花、君の気持ちは嬉しいけどもうあれから何年も経っているし俺は今、君との暮らしを大切に思っているし幸せだよ」

「竜也…」

二人は手を取り合い見詰め合っている。

「おい、二人の世界に入るのはいいが場所をわきまえろ」

「あっ…済まない」

創の言葉で我に返った二人は赤面しながら握り合っていた手を解いた。

「俺も玲羅との暮らしは満足してるぞ。終わり良ければ全て良しというじゃねぇか」

「そうだよな」

竜也は創の言葉に同意を示すが梨花は未だ納得がいかないような表情をしている。

「貴様と俺とは〜同期の桜〜」

創が突然、歌い始める。

「なんだ…その歌…?」

「よく分からない歌を歌い始めたぞ…」

「お前ら、知らねぇのか?有名な曲だぞ」

創が続きを歌い始めたところで玲羅が帰宅をした。

「ただいまぁって…何か歌ってる…創さん、何ですかその歌は…?」

「玲羅、毎朝これを聞きながら俺は家事をやってるんだが気付かなかったのか?」

「その時間は絶賛爆睡中ですから」

創は毎朝、5時に起床をし家事を熟している。

創は玲羅にダウンロードした曲の数々を玲羅に見せた。それを梨花と竜也も覗き込む。そこには青葉城恋唄や高校3年生等の昔の懐メロが羅列していた。

「こんな曲、全く分からんなぁ…お前、本当に私達と同世代なのか…」

「そうだが。免許証を見せてやってもいいぞ」

「まぁ、そこまで公言するなら真実なんだろうな…」

梨花は疑念を抱きながらも創の言葉に納得せざる負えなかった。

 

 

年末に近い初冬の最中、田端紀香と森田忍は親族のみでの挙式を終え2次会の会場へと赴く。

その頃、創と玲羅も結婚式の2次会が行われる「ウッドスペース」に向っていた。そして、田端のたっての希望で春日竜也と梨花も創の自動車に同乗している。

 

店内に入ると田端や澄江の他に暫く会っていなかった創が所属していた大学のサークル仲間の姿が見える。

「おぉ、赤井、久し振りじゃないか!」

一人の仲間が創に声を掛け他のメンバーも集まり近況報告等の談話が始まった。

「あれ?一緒にいる若い子って弟?」

一人のメンバーが創の隣にいる玲羅に視線を移した。

「俺の恋人だ」

「そうなんだ…まぁセクシャリティは人それぞれだからな…」

「それにしてもかなりのイケメンじゃないか」

「そうだろ。玲羅はビジュアルだけじゃねぇ。中身もイケメンだ。玲羅は元医学生で頭も良い。性格も思いやりがあり誠実で努力家で…」

「はぁ…」

「創っ、いい加減にしなっ」

創のスピーチに周囲がへきへきとしているとそこへ紀香が入り創のスピーチが止まった。

「玲羅の素晴らしさは語りつくせねぇ」

「今は結婚式の2次会だよっ。主役は私と忍だよっ」

「そうだったな。ところで春日達を連れてきたんだが」

創は竜也と梨花がいる場所を指し示した。

「あっ、久し振りじゃん!」

「久し振りだな。まだあのろくでもない企業にいるのか?」

「まぁね、創から色々と話しは聞いてるよ。本当に腐敗しきってる企業だよ。でも、あんたや創は今、幸せそうで良かったよ」

「あぁ、俺は今、幸せに暮らしてる。お前らもそうだろ」

「そうだな。結果往来だったよ」

梨花に引き続き竜也も頷いていた。

宴もたけなわになり3次会の話しが展開した。

「3次会としてカラオケってのはどうだ?」

創が周囲に声掛けをすると明日は仕事だからという理由で断る面々が多い中、脱サラ組の梨花や竜也はその話しに便乗した。勿論、主役の森田忍、紀香は暗黙の了解で参加する運びとなっている。澄江も久々の仲間との再会に胸を踊らせ参加する事になった。

そこで紀香はふと嫌な予感が脳裏を過る。

「ヤバい…創がノリノリになってる…」

「えっ、何か言ったか?」

「いやぁ、別に…ただの独り言だから」

折角の宴に水を差す結果になりかねないと紀香は梨花の問いに言葉を濁した。

 

3次会会場となったカラオケボックスに到着した頃は既に午後8時を回っていた。

各々、曲を選びリモコンに入力をし送信する。一曲目は梨花と竜也のデュオでスタートした。

そこで創は数曲、まとめて送信する。

2曲目は紀香と忍のデュオだが未だ創はリモコンを離さない。

二人のデュオが終わると即座に創はマイクを手に取った。

曲のタイトルを見た全員が表情を曇らせる。というのも誰一人、その曲名を知る者がいなかったからだ。それまで熱気に満ち溢れ温度が急上昇した部屋は一変して急降下する。皆のテンションもだだ下がりだ。

曲のタイトルは「銀座の恋の物語」

と表示されている。

「なんだ、こんな有名な曲もしらねぇのか?カラオケの定番だぞ。略して銀恋という」

「知らねぇ〜」

「さぁ、玲羅歌うぞ」

「えっ…俺もですか…?その曲、知らないんですけど…」

「玲羅よ、案ずるな。俺がエスコートするから大丈夫だ。これはデュエット曲だ。お前が一緒に歌わなきゃ話しにならん」

「えっ…デュオですか…」

「そうだ。時間が勿体ない。早く歌うぞ」

創が一時停止してある曲を再開させた。

「創オンステージが始まったよ…」

「なんだ…それ…」

「創のワンマンショーだよ」

「マジか…暫くこんな感じの歌を聞かされるのか…」

「今、創は熱唱してるから周囲に眼中が無い。今のうちに曲を選ぼう」

「了解」

一同、創の行いに冷ややかな眼差しを送りながらリモコンを操作している。しかし、そのような事に動じる事など無く玲羅の肩を抱きながら意気揚々と昭和の懐メロを歌い続けている。玲羅は羞恥から俯き、か細い声で仕方ないとばかりに創に付き合い歌い続けている。

「まるでスナックのホステスに執着している親父みたいだな…」

「確かに…」

竜也と梨花の言葉に皆、頷いている。

皆、暫し耐え忍び漸く澄江に創がマイクを譲る。

そして、澄江が美しいバリトンボイスを放つと1名を除き皆が一斉に煌めきを宿す瞳で見詰めている。

「創、不機嫌モードだね」

「いや、まだ勝算はある」

澄江が歌い終えると即座に創はマイクを取り戻す。

「今度はソロだ。これからが本領発揮だ。青い山脈を歌う」

「知らねぇ〜」

「しかも音痴だし。いい加減、勘弁してもらいたい…」

「赤井…やっぱり戸籍謄本を見せろ…」

「年齢詐称している可能性がある」

口々に皆、呟きながら夜は少しずつ更けていった。

 

 


年の瀬が押し迫り街中はクリスマスのイルミネーションの輝きが目に入るようになった。

「創さんっ、今日はクリスマスイブですよっ」

「そうだな。初めてのクリスマスイブだな。駅前に買い出しに行くか」

「行きましょう!」

玲羅は初めての二人きりのクリスマスイブに朝からはしゃいでいる。創はそのような玲羅の姿を愛しむような想いで見詰めている。

 

夕方になり創と玲羅は自動車に乗り駅前のショッピングモールへ向っている。しかし、考える事は誰しも同様だったようでしかも土曜日だった為か交通量が普段よりかなり多くなっていた。

「早めに出たつもりだったが渋滞に巻き込まれたな」

「これじゃ、夜になっちゃうかもしれませんね」

「裏道を使うか」

創はスマートフォンで駅前の住所を検索をしてカーナビに入力をした。そして、次の交差点で左折をする。

しかし、暫く進んでいくと見知らぬ土地に入っていった。

「創さん…本当にこの道で大丈夫なんですか…」

「カーナビの指示通りだが…」

「もう一度、住所を確認した方が良さそうですよ…」

「そうだな…」

玲羅はスマートフォンで駅前の住所を検索した。創は路肩に自動車を停止させ二人でカーナビの住所と照らし合わせた。

「住所、間違ってますよ…」

「だな…今度は二人で確認した方が良さそうだ」

再びカーナビに住所を入力をし自動車を発進させる。

しかし…今度は民家が疎らな僻地のような土地に入っていった。外は薄っすらと暗くなり始め二人の脳裏に不安が過る。

「創さん…何かヤバくないですか…」

「もう一度、確認するか…」

創は再度、スマートフォンで住所を検索し照らし合わせる。

「また、ちげぇ…」

「えっ…カーナビが故障…?創さん、何かしませんでした?」

「あっ…」

創は思い出したように声を上げた。

「万が一に備え色々な場所の住所を入力したんだが…」

「きっと原因はそれですよ。なんて事をしてくれたんですか」

「まぁ、道は繋がっているから引き返せば何とかなるだろ…」

創はUターンをして元来た道に引き返したがそこで玲羅が目前を指差し声を上げた。

「わぁっ、綺麗…」

二人の目の前には木々や民家に飾られた沢山のイルミネーションが輝いていた。

「すげぇな…」

「迷って良かったかもしれませんね。凄いクリスマスプレゼントですね」

「迷って正解だったな。サンタも粋な事しやがるな」

「ですね」

二人はイルミネーションをバックに互いに見つめ合いそっと唇を重ねた。

 

 

年が開け時は元日。

この日は夜更しをした為に8時が回ってから創は目覚めた。ベッドの横には未だ玲羅が爆睡中だ。

「おいっ、いい加減に起きろっ」

創は玲羅の身体を揺すり起床を促している。

「まだ、いいじゃないですかぁ。正月ですよぉ」

「何を言ってやがる。初詣に行くぞ。午前中は多分、人が少ねえ。今のうちに行くぞ」

「はいはい、分かりましたよ」

玲羅は渋々、ベッドから起き上がり創と共に1階のリビングへ向かう。

「朝飯は昨日、準備しておいたお節と雑煮だ」

「いつの間に…」

「お前は俺が夜、キッチンに立ちっぱなしだった事に気付かなかったのか?」

「あっ、昨日の夜はソファーで暫く寝てました」

「お前の睡眠状態は一体、どうなってやがる。人生の半分を睡眠で費やす事になるぞ」

創は呆れながら言いキッチンへと向っていった。

創は餅を焼きながら重箱に昨夜、準備をした昆布巻きや筑前煮、煮豆やきんぴらゴボウ等を綺麗に盛り付けていく。

そして、雑煮の準備も整い重箱と共にトレイに乗せリビングへ運んでいった。

「すっごい…その辺の主婦、顔負けですね…」

「どうだ。伊達巻も栗きんとんも手製だぞ」

「えっ〜!マジで凄いですね…」

「食ってみろ」

玲羅は重箱から一品を箸で摘んだ。

「うっまいですっ!」

「だろぉ〜。俺が端正込めて作ったんだから間違いねぇ。後で春日にもおすそ分けするぞ」

「きっと喜びますよっ」


朝食を終えた創と玲羅は近所にある神社へと赴いた。しかし、予想に反して人でごった返していた。

「チッ、考える事は皆、同じらしいな」

「ですねぇ。参拝を終わらせてさっさと帰りましょう」

二人は境内の前に並ぶ人々の群れに並んだ。

10分近く経過し漸く二人は境内の前に立つ事が出来た。すると玲羅は賽銭箱に小銭を投げ入れると即座に鈴を鳴らした。

「玲羅、お前はニ礼ニ拍手というマナーを知らねぇみてぇだな。今どき、外国人観光客でも知っているぞ」

「なんですか?それ?」

「俺が手本を見せるからお前は後に続け」

創は2回お辞儀をし賽銭箱に1000円札を投げ入れ鈴を鳴らし2度拍手をし終了した。玲羅も創に習いニ礼ニ拍手をする。

二人が踵を返すとお守りや破魔矢等の縁起物やおみくじが目に入った。

「玲羅、全種類買っていくぞ」

「全種類ですか…?」

創は巫女の衣装に身を包み販売のアルバイトをしている女性の前に立ち全ての御守を手にすると財布を出し会計を済まそうとしていた。

「創さん…このお守りって俺達には全く関係無いんですけど…」

玲羅が手にした御守には「安産祈願」と書いてあった。

「あっ…お前が気付かなかったら買うとこだったぞ」

創は会計を済ますと次は破魔矢を購入した。

「これだけ投資をしたんだから何かしら利益があるだろ」

「投資って…神様とも取引するんですか…?」

「当たり前だ。ある意味これもビジネスだ。これだけ投資したんだから利益にあやかれなきゃ割に合わねぇ」

「神様に敬意を示す事は皆無…あくまでも現実的…」

二人がそろそろ帰宅をしようと歩いていると玲羅はある物が視線に入る。

「創さん、あの巫女さんが持ってるトレイに乗せてある物って何ですか?」

「あれはお屠蘇というもんだ。お前は成人したばかりだから知らなかったんだな。飲んでみるか?最近は衛生管理がうるせぇから大丈夫だろ」

玲羅は巫女のアルバイトに近付きお屠蘇を二人分、手に取り創の元に戻った。

「美味いですっ。これって日本酒なんですか?」

「そうだが」

「もう一杯飲みたいっ」 

「日本酒は後から酔が回ってくるから程々にしておけよ」

そして、玲羅は創の助言を聞き流し一気に3杯も飲み干した。

「なんかクラクラします…」

「だから、言わんこっちゃねぇ。大人の助言を無視するからだ。そろそろ帰るぞ」

「は〜い」

玲羅がフラフラと千鳥足になっていると横で創が支えながら歩いている。

「完全に酔ってるな…だが、チャンス到来…今度は巫女のコスプレだ…」

創は既に神社で巫女の衣装に目を付けていた。

「玲羅、お前が巫女になった姿を俺に見せてくれ」

「いいですよぉ〜好きにして下さい〜。俺は貴方のものですからぁ〜」

「よっしゃっ!玲羅、しっかり聞いたぞ」

創は早速スマートフォンを取り出しアマゾンで巫女の衣装を探し一番サイズが大きい物を注文した。

「アマゾンよ…何でも揃ってやがるな。今後とも宜しく頼むぞ」

創は一人で呟きながら歩みを進めていった。


そして、翌日…

ピンポ〜ン

「アマゾンで〜す」

「流石、アマゾンだ。仕事が早い」

「何か注文したんですか?」

「玲羅、待望の品が届いたぞ」

「待望の品ってなんですか…?」

創は箱から巫女の衣装を取り出し床に広げ不敵な笑みを浮かべた。

「今回はこれをお前に着てもらう」

「はぁ?!」

「お前は昨日、了承しただろうが」

「そんな事、了承した覚えなんて無いですよっ」

「いや、昨日の初詣の帰りにお前は好きにして下さいと言った」

「言った覚えはありません…て初詣の帰りって俺がお屠蘇で酔っ払っていた時ですよね?それは無効ですよっ」

「言い訳など見苦しいぞ。さぁ、これを身につけて俺に愛らしい姿を見せてくれ。ジタバタするようだったら田端を呼んで協力してもらうぞ」

「えっ〜!それだけは勘弁して下さい!分かりましたよ…着ればいいんでしょ…まったく…」

玲羅は渋々、巫女の衣装を手に取り2階へ上がっていった。

そして、数分後…

「美しい…その辺の巫女などクソだ…玲羅、寝室へ行くぞ」

創は玲羅の腕を掴み2階の寝室へと向かう。その間、創はデレデレと表情筋を緩ませスケベ親父さながらの様相だった。

 

 

今日は正月三が日の最終日。創と玲羅は未だベッドの中にいる。玲羅がふとスマートフォンの時刻を見ると既に午前9時を回っていた。

「創さんがこんな時間まで寝てるなんて珍しいなぁ」

玲羅は隣で寝ている創を見ながら一人、呟く。

「寒い…布団から出たくない…」

玲羅は前日の夜にベッドの横に放った部屋着を布団の中に引きずり込み着替え始めた。

「お前、モゾモゾと何をやっていやがる?」 

創が隣で玲羅が何やら動いている様子に気付いたのか目覚めた。

「寒いからここで着替えてるんですよ」

「確かに部屋は極寒だ…よし、俺も中で着替えるぞ」

しかし、ダブルベッドとはいえ二人の大人がこのような行為をするには狭すぎた。

「真似しないで下さいよっ。狭いじゃないですかっ」

玲羅は掛け布団を思いき引っ張る。

「ふざけんなっ。寒いじゃねぇかっ」

今度は創が掛け布団を取り戻すべく思いきり引っ張るが玲羅も負けじと引っ張る。

そして、創が力の限り引っ張ったその瞬間…

創の勢いで二人共にベッドから転げ落ちた。衣服は散乱し掛け布団は開けていた。

「寒い…」

二人がガタガタと震えながら同時に呟くと創は掛け布団を即座に引き寄せ身体に巻き付けた。

「あっ、ズルいじゃないですかっ。俺も入れて下さいよっ。だいたい、創さんが真似をするからこんな事になったんじゃないですかっ」

すると、どちらかのスマートフォンの着信音が聞こえてきた。創がもそもそとベッドサイドに置いてあるスマートフォンを確認する。

「なんだ。田端か」

創がスマートフォンをスワイプし通話を始める。

「こんな朝っぱらからなんだ?」

「あけおめ!」

「あぁ、あけおめ。新年の挨拶か?」

「そうだよっ」

「こっちはそれどころじゃねぇ。さみぃ…」

「えっ…寒いって一体、どこにいるの…?」

「寝室だ」

「新年早々、お取り込み中だったのねっ。邪魔してごめんっ。じゃあねっ」

「……」

紀香は一方的に巻くしたて通話を終了した。

玲羅は創が巻き付けている掛け布団を引っ張り二人は身体をピタリと合わせ掛け布団を巻き付けた。

「おい、この状態でこれからどうする…?」

「そうですね…取り敢えずこの状態で1階に降りてヒーターを点けるってのはどうです?」

「おぉっ、その手があったかっ」

二人は注意を払いながら1階へと降りていった。

ピンポ〜ン

「お〜い!いるかっ!」

「梨花さんだ…」

「おっ!野菜を持ってきたかもしれん!今、着替えるからちょっと待て!」

創は階段を駆け上がり部屋着に着替えると再び、1階に降り玄関のドアを開けた。

「恐るべし主婦根性だ…さっきまで寒いって大騒ぎしていたくせに…」

玲羅は創の行動にただひたすら感心の眼差しで眺めていた。

 

 

正月が明け創は在宅ワークを再開した。玲羅も送らばせながらウェブライターの仕事を少しずつ開始していた。

「玲羅、俺は考えたんだがお前、大学の通信教育を受けてみねぇか?費用は俺が出すから心配するな」

「でも、今更学びたい物も無いし…俺は今のままでも幸せなんでいいです」

創は大学を辞めたのは自分のせいだと自責の念を感じていた。玲羅の両親に対し少しでも償わなければならないとの考えからだった。それと玲羅自身が後悔をするのではという思いもあった。

「お前は両親に対してどう感じている?俺が言えたもんではないが今の状態、両親に親不孝していると思わねぇか?」 

「思いますけど俺の人生です。親にとやかく言われる事ではないです」

「そうか…まぁ、お前の人生だ。お前がやりたいようにやればいい。まだ若いからやり直す事はいつでも出来る。だがこれだけは言っておく。後悔の無い選択をしろ」

創は今まで後悔の無い選択をしてきたという自負がある。玲羅にも熟慮し自身にとっても周囲にとっても堅実な選択をしてもらいたいと願っている。

 

 

時は過ぎ春先に突入した。この緑に恵まれた土地に春風が瞬き草花が芽吹き少しずつ春の訪れを感じさせる。

創と玲羅はシロを散歩させながら春の息吹を肌に感じていた。

「お〜い!春野菜が実ったよ!持っていかないか!」

声がする先を見ると春日竜也が畑で農作業をしていた。

「春野菜ってどんなもんがあるんだ?」

竜也は新玉ねぎや春キャベツ、アスパラガスや新じゃがいも等を沢山、抱えていた。

「こりゃ、美味そうだ。いつもわりぃな」

「いや、貰ってくれた方が助かる」

「今日は新玉ねぎとキャベツのサラダだな!腕がなるぜっ」

「美味しそうですね」

玲羅は破顔しながら創に応えていた。創は色とりどりの野菜を受け取ると礼を言い二人はこの場を去った。

自宅へ帰ると創は早速、春キャベツと新玉ねぎを手に取り作業を開始する。春キャベツを一口大に切り塩もみをし新玉ねぎをスライスしオリーブオイルやブラックペッパー等でドレッシングを作り冷蔵庫に保管した。

「じゃがいもは甘辛煮だな」

「やっぱり主婦だ…」

「違う。主夫だ。熟語の誤りは良くないぞ」

「はい、はい」

「はいは一度でいい」


 

3月20日、この日は玲羅の誕生日だ。

「今日はお前の21歳の誕生日だ。何がしたい?」

「創さんに任せます。創さんが祝ってくれるんだったら何でも構いません」

「そうか…行きたい所とかねぇのか?」

「そうですねぇ…海に行きたいです」

「海か、確か遠方になるが県内に海岸があるぞ。ドライブに行くか?」

「遠方ですか…やっぱり家でパーティーをしましょう」 

玲羅はクリスマスの日に道に迷い散々な思いをした事がトラウマになっていたのだ。

「まぁ、その方が無難だな…」

創もそれは同様だった為、玲羅の意見に賛同した。

「だったら昼飯食ったらショッピングモールに行って食材を買うか」

「そうしましょう」

 

創と玲羅は今、駅前のショッピングモールにいる。

創はやはり手料理を作りたいという思いがあった為か食材選びに余念がない。玲羅はというと暫く食べていなかったスナック菓子やスイーツを目の前に品定めをしている。

「創さん、俺はこれが食べたいです」

玲羅は厳選したスナック菓子やスイーツをカゴの中に無造作に放る。

「添加物の大行進だな…」

「たまにはいいじゃないですか」

「まぁ今日はお前の誕生日だからな。好きなもん食え」

ある程度、食料調達を終えた二人はケーキ屋に足を運ぶ。

「何が食いたい?」

「そうですねぇ…目移りして決められません」

玲羅は色とりどりのケーキに心を踊らせている。

「だったら全て一種類ずつ全て買うか」

「そんなに食べ切れるかなぁ」

創は店員に注文すると店員が顔をひきつらせながら必死に営業スマイルを維持しようしている。

「全てという事はデコレーションケーキもですか…?」

「そうだが」

変な客が来た…店員は心の声を必死に抑制している。

二人の後方には訝しげに待っている他の客がいる。

そして、10分程で全てを終えた店員は安堵の笑みを浮かべていた。

「お客様、大変、お待たせ致しましたっ」

創と玲羅は後方で待機しへきへきとしていた客を尻目に満足げに店を後にした。

スイーツよりも玲羅に甘い創なのであった。

その後は玲羅のリクエストでファーストフード店に向かいハンバーガーやフライドポテトを購入した。

「少し…買いすぎたな…」

「そうですね…どうします…?」

「……」

ピンポ〜ン

二人が困惑していると玄関のチャイムが鳴り響いた。

「いきなり誰だ…?」

玲羅がモニターを確認するとそこには有村健人を始めとする玲羅の友人である純也、真司、奈緒が待機していた。

「久し振りじゃんっ。今、開けるよっ」

玲羅は玄関のドアを開き招き入れる。

「玲羅、誕生日おめでとう!サプライズで突然、行ってみようって話しになったんだ」

「そうなんだ。ありがとう!ていうか助かった…」

「えっ…何があったの…?」

「実は…」

玲羅は今に至るまでの経緯を話す。

「へぇ…」

一行は唖然としながら玲羅の話しを聞いている。

「お前らに来てもらって助かったぞっ。適当に食ってくれっ!」

「マジですか…」

一行はローテーブルからキッチンに至るまで並べられた数々の食品に色めき立っ。

「頂きますっ!」

「キャー!ケーキがいっぱい!」

一番、最初に食いついたのは真司と奈緒だった。それを期に純也、健人が後に続いた。

そして皆、食べ盛りのせいかあっという間に食べ尽くされた。

「あっ、そうそう、誕生日プレゼントがあるんだ」

健人が綺麗にラッピングされた箱を玲羅に差し出す。 

「ありがとう!」

玲羅は満面の笑みで応える。

「僕達、4人で選んだんだ。開けてみて」

「うん。何だろう。楽しみだなぁ」

玲羅がラッピングを丁寧に解き箱の中を見ると対のマグカップが入っていた。

「創さん!見て下さいよ!」

玲羅が破顔させながらマグカップを手にすると創も表情筋がほころび笑みを浮かべている。

「お前は良い友達を持ったな。俺からも礼を言うぞ」

「喜んでくれて良かったぜ」

「本当に良かったよね」

「選ぶの苦労したんだぜっ」

真司と奈緒、純也もそれぞれ笑みを浮かべていた。

「あまり長いしても二人に悪いからそろそろおいとましようか」

「だな」

健人の掛け声に純也も同意をして真司と奈緒も頷いていた。

「今日はごちそうさまでした!」

皆が一斉に頭を垂れていた。

「こっちこそありがとう!嬉しかったよ!」

「また、いつでも来てくれや。歓迎するぞ」

一行が踵を返し玄関に向かうと創と玲羅も玄関まで見送りに行った。

創自身にも玲羅と同様に大切な友人達がいる。創は自身も玲羅が大切にしている友人達を暖かく受け入れなければならないと強く感じていた。

  

 

「創さん、最近、ワークホリックになってますよね。大丈夫なんですか?」

創は翻訳の仕事の他にも経理等の仕事や流通関連の仕事にも睡眠時間を削り着手している。

「俺は丈夫だから心配するな。お前には絶対に経済的な苦労はさせねぇ。お前は小遣い稼ぎでもしてろ」

創は物心がついてきた時分から既に経済的に豊かでなく母親が家計で苦労している状況を見て育った。そのような事から玲羅には豊かな生活を送ってもらいたいと常に願っている。

「ところでお前は例の小説は読んでいるのか?」

「はい、もう少しで読了します」

「何か感じた事はあったか?」

「凄い人だなぁ位しか今はちょっと…」

「レジリエンスという言葉は知ってるか?」

「言葉は聞いた事あります」

「逆境を乗り越える力という意味だ。この小説に時折、散りばめられていた事は解ったか?この主人公は様々な壁にぶつかってもその都度、乗り越えてきた。人生とは常に自分との闘いだ」

「確かにこの主人公は常に闘い勝ってきたという事は理解しました。自分との闘い…」

「そうだ。自分自身に負けた奴は敗北しか無い。それを心に留めておけ。社会人としても一人の人間としても一番、大切な事だ。お前も社会に出れば必ず壁にぶつかる場面がある。その時になれば実感する事が出来る。自分自身に勝利しろ」

「はい、今はまだピンとこないけど留めておきます」

「俺はお前から見れば順風満帆だったように見えただろうが敵も多かった」

「そうだったんですか」

玲羅は頭では理解しているが心に落とし込む事が出来ない。今まで大学受験のハードルを超えるという壁にぶつかった事はあるがそれ以外は順風満帆でこれといった難事に遭遇した事が皆無だったからだ。

 

 

5月18日この日は創の34歳の誕生日だ。玲羅は朝から浮き足立ってソワソワしている。

「創さん、今日は俺が何か作ります!先ずはケーキですねっ」

「そうか。でもお前は料理なんて初めなんじゃねぇか?」

「そうですね…でも、レシピを見ながら頑張ります!」

「いや、俺も手伝う。手解きするから簡単な料理を作って覚えろ」

「そうですね…基本も解ってないんでお願いします」

創は玲羅が自ら料理を作りたいと言うのを待っていたようでこれは良い機会だと思っていた。

 

二人は今、特売日になっているスーパーにいる。創は玲羅に何を作りたいのかと問うと野菜や肉を品定めを始めた。

「玲羅、野菜というもんはこう選ぶんだぞ」

創はレタスを両手に持ち重さを調べている。

「レタスというのは軽い方を選ぶ。思いやつは固くて不味いからな」

「へぇ。創さんて本当に凄いなぁ」

「アボカドは色の濃いやつの方が質が良い。固さを持って調べる。柔らかすぎるのは傷んでる可能性があるからな」

「勉強になります」

創は次々と玲羅に伝授しカゴに収める。

「ここのスーパーは一番、質がいいからな。今日が特売日でラッキーだったぞ」

「きちんとリサーチしてるんですね」

「当たり前だ。料理の基本だ」

その後は肉を品定めしケーキの材料を揃え買い出しを終了した。ケーキは比較的、簡単なチーズタルトを作る事にした。

 

二人は自宅に戻ると早速、ケーキ作りに取り掛かる。作業工程をネットを見ながら進めていく。

「生地を冷蔵庫で寝かせてる間に他のもんを作るぞ」

次はローストビーフを作る為に冷蔵庫から牛肉のブロックを取り出した。

「これってめちゃくちゃ、時間が掛かるみたいですね」

「ふっ…時短で作る方法を俺は知っている」

「本当に主婦みたいですね…」

「ちげぇ。主夫だ。熟語の誤りは良くないと言ったはずだぞ。早速、取り掛かるぞ」

創は玉ねぎやセロリ等の野菜の切り方を玲羅に手本を見せながら指導を始めた。玲羅は手本通りに次々とカットしていった。

「お前、飲み込みが良いし器用じゃねぇか」

「そうですか?創さんの指導が良いからですよ」

「いや、料理はセンスだ。いくら教えても出来ねぇ奴もいるぞ」

そして、カットを終えるとフライパンで炒め牛肉を乗せ焼き色を付ける。その後は数分間、レンジで加熱する。

「これで出来上がりだ」

創は牛肉を少し切り取ると玲羅に味見をさせる。

「わぁっ、本当にローストビーフだっ。すっごいっ!」

「だが、これはお前が作ったんだぞ。自信を持て。機会があったらじゃがいもとかの皮むきを教えてやる。お前なら出来る。大丈夫だ」


アボカドサラダやローストビーフ、ケーキやその他にも2種類の料理を作り二人きりのバースデーパーティーが始まる。

二人は軽く口付けを交わし楽しげにパーティーを繰り広げていった。

創のスマートフォンに着信音が鳴り響く。画面を確認したら紀香だった。

「何の用だ?」

「何の用だって酷いねぇ。誕生日、おめでとう!私が代表で祝わせてもらったよ。皆、宜しく伝えてくれって言ってたよ!」

「ありがとう。俺からも皆に宜しく伝えてくれ」

「分かったよ。あんたからありがとうなんて言葉、初めて聞いたよ。雪でも降るかもね」

「うるせぇ。今、パーティーの最中なんだ」

「あっ!ごめんっ!それじゃ、玲羅にも宜しく伝えておいてね」

「あぁ」

創は紀香の言葉で自身の角が丸くなってきた事に気付く。愛という物は人の心を豊かにするものなのだと創は初めて気付いた。


 

今は夏真っ盛りで創と玲羅は暑さでダウンしている。

「あちぃ〜。南向きの窓だったからこの家、購入したが照り返しがハンパねぇ。エアコンも効いているんだか分からねぇ…」

「本当ですねぇ。暑い〜」

創は家を購入する際に日当たりも考慮したのだがそれが裏目となってしまったのだ。冬は暖かくて良かったのだが夏になってからの事まで考えていなかった。

「あっ!そうだっ!シロの様子を見てきますっ!シロが大変な事になっているかもしれません」

玲羅は玄関を出てシロに視線を向けるとシロは案の定、息を切らせながらグッタリと伏せていた。

「シロ、ごめんな。今、うちに入れてやるからな」

「くぅ〜ん」

玲羅はシロを抱きながら家に戻っていき冷たい水を飲ませてやった。

「キャンキャン!」

「良かったぁ。シロが元気になりましたよっ」

「夏場は家の中で飼うか。それにはこいつを洗ってやらなきゃならねぇ」

「そうだっ!俺達も水浴びしましょうよっ!」

「そりゃ、名案だなっ!よっしゃ!風呂場に直行だっ!」

そして、大人二人と子犬が浴室でじゃれ合うという情けない構図になった。

「ひゃあ〜!冷たい〜!」

「生き返るぜぇっ!」

「キャンキャン!」

暫くこの状態を謳歌していると玄関のチャイムが耳に入る。

ピンポ〜ン

「あっ、野菜かもしれねぇ」

「梨花さんかも」

創は慌ててバスタオルで体を拭き部屋着を着ると玄関に向っていった。

「春日かっ!」

「そうだが」

創がドアを開けると野菜を抱えた梨花が立っていた。

「髪が濡れてるがこんな時間に風呂に入ってたのか?」

「いや、涼を求めて浴室にいた」

「あっ、梨花さん」

「キャンキャン」

玲羅とシロも浴室から出て玄関へと向かった。

「シロと水浴びをしてたんですよ」

「お前らはガキか…」

梨花は呆れながら呟く。

「照り返しがハンパねぇからまともに仕事も出来ねぇ」

「カーテン閉めればいいじゃん。エアコンの効きも違うぞ。うちはそうしているが」

「……。」

「お前、本当に肝心な部分が抜けてるな…」

創はこのような単純な事に気付けなかった己を恥じ言葉を詰まらせた。

太陽光をカーテンで遮断すればよい事だったのだ。

「玲羅、今後はそうしよう…」

「梨花さん、助言をありがとうございます」

「いやぁ…対した助言じゃないよ…」

春日梨花は思った…似た者同士なのだと…

その後は梨花の助言通りにリビングのカーテンを閉め二人はかなり暑さから開放された。

 

 

「市から健康診断の通知がきてますよ。行った方が良いですよ」

「何故だ。俺は至って健康だ」

「万が一って事もありますよ。健康的な日々を送っていでも検査しないと解りませんよ」

「あぁ…仕方ねぇな。解ったよ。医者の卵だったお前が言うんだからそうかもしれねぇな」 

創は玲羅に押し切られ不本意ではあったが健康診断を受ける事にした。

 

そして、当日。二人は市が指定した最寄りの病院へ自動車で向かう。

「なんか、今日の創さんて身長が少し伸びたような感じがする…」

「気のせいだ」

最寄りの病院に辿り着くと玲羅は事務員に健康診断の書類を手渡した。

最初は身長と体重を調べる。

「靴は脱いで下さいね」

「履いたままじゃ駄目なのか」

「当然です」

創は看護師の言葉に反論する。

「俺は潔癖症だ。誰が使ったか分からねぇもんに素足で乗れるか」

すると看護師は素早く除菌スプレーで計測器を清めた。

「除菌したのでもう大丈夫ですよ」

「……。」

創は渋々、靴を脱ぎ計測器に乗る。

「えっ…いつもの創さんの身長に戻ってる…シークレットブーツってやつか…そこまでして身長がコンプレックスだったんだなぁ…何かおかしいと思ったんだよなぁ…」

「はい、身長が165センチ」

「いちいち、デカい声で言うな!恥ずかしいだろうが!」

看護師は創の言葉を無視して記入をしていた。

その後、様々な検査を終えると二人は家路へと戻っていった。

 

「玲羅、男は身長じゃねぇ。ハートだ」

「そうですね…シークレットブーツを履いてた人がよく言うよ」

「何か言ったか」

「独り言です」

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美少年に魅了された俺、33歳おっさんです 崎田恭子 @ks05031123

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