故意人<コイビト>

ぜろ

故意人<コイビト>

 どんなにキツいアルバイトだったとしても、まあ慣れるまでに三ヶ月は働いてみるのが俺のポリシーだ。三ヶ月も経てばある程度作業に慣れるし、疲労の解消方法だって掴めて来る。それでも無理だ、と思ったら、新しいバイトを探せば良い。そんな俺のスタンスが初めて崩れたのが今日と言う日だった。


 どんなことでも三ヶ月耐えてから判断する、はずだったが、俺は結局一ヶ月目の今日、鴫沢をここに呼び出した。いじめ問題による中高生の自殺ブームの際、同じ事が起こるのを阻止するため、封鎖された屋上――に、続く階段。空気はひんやりと心地よく、随分昔に無くなった同好会の張り紙や古い机が積み上げられた踊り場。床には埃が溜まっているその空間は、普段まったく人通りが無い。


「――呼んだ?」


 声も響く。窓はあるから案外明るい、鴫沢しぎさわの顔もよく見える。階段の上から見下ろした彼女は、いつもの服装規約どおりの制服姿だった。普段はスカートを短くしてる女子ばかり見ているから、マジメな様子は新鮮だと思う。とは言え、髪は薄く脱色されているんだけれど。もちろん校則違反。少し乱れた短髪を軽く掻くのが、彼女の癖だった。


狭川さがわくん」


 呼ばれて俺は、ああ、と生返事をした。鴫沢のぱっちりした目が俺を見上げる。どうもまだ覚悟が出来ていない自分が情けなかったけれど、俺は一つ息を吸い込んだ。埃っぽいそれは喉を刺激する、咳払いをすると何だかわざとらしいイメージだった。

 どうもこうも、こういうのは苦手だ。


「鴫沢」

「なに?」

「お前、結局何がしたいわけ?」





 時を遡ること丁度一ヶ月前、場所も同じくこの階段。そう、あれも昼休みだった。

 午前最後の授業が苦手な英語で、午後一番が体育。眠気を覚まそうとしていた俺は、勝手に自分のスペースと決めているこの階段に座ってボケッとしていた。内側なのに外側っぽい、なんだか学校の中でも隔離された場所に居る――ってのがなんとなく格好良くて、そんな自分に酔ってみたり。


 だから眠気覚ましに咥えたのもクールミント系のガムじゃなくて、メンソールの煙草だった。細長いそれは、親に内緒で持っていること、学校で教師に見付かるかどうかというスリルを味わえること、色々役に立つおもちゃのようなもの、だった。味も好きだけど、やっぱりその他の価値の方が高い。百円ライターで火を点けて、白い煙を細く立ち上らせる。一口吸い込むとスゥとした感覚が喉までを満たして、俺は眼を細める。汚れた天井を見上げて、吐き出す――その間は、大体十秒も無かっただろう。


  パシャ。


 聞き覚えのあるその音は、携帯電話の写真撮影音だった。


「不良」


 聞こえたのはからかうような、おどけた声。慌てて視線を向けた先には、髪を薄く脱色した女子が立っていた。右手に携帯電話を構え、上目遣いに階段の下から俺を見上げている。廊下で擦れ違ったことぐらいあるけれど、名前までは知らない――そう言う類の、多分、同学年。ブレザーのネクタイ色も同じだし。


「……撮った?」

「うん、しっかり一服を」

「……えーと」

「じゃ、わたし職員室に行くから」

「え?」

「停学一週間ってところかな、しっかり内申書に付くだろうね」

「なッふざけんなよ、おい!?」


 あまりにも突然で、あまりにも突拍子無く、あまりにも降って沸いた災難だった。リスクは回避出来るから楽しいんであって、出来なきゃまったく楽しくない。野球でランナーは誰だってアウトになりたくないのと同じだ。


 そいつはにっこりと俺に笑顔を向けてきた。特別可愛いわけじゃないんだけれど、それなりに無邪気であどけないイメージの表情を。軽く髪をいじりながら見上げられて、俺は少しだけ居住まいを正す。


「よし、じゃあ取引しよう、狭川志筑さがわ・しずくくん」

「は……?」

「わたしはこれを先生達に秘密にするからさ――君はわたしのお願いを三つ、聞いてくれないかな」

「お願い?」

「うん」

「えっと」

「まず一つ目にわたしの名前を覚えろ、鴫沢桂花しぎさわ・けいかって。そして二つ目に私と友達になれ。そして三つ目に――」


 にやり、向けられたのは邪悪な笑み。


「一日一度、何でも良いからわたしにメールをよこせ」


 拒否権の無い命令だった、かもしれない。





 そんな訳で鴫沢と付き合い始めて一ヶ月。そう、三ヶ月までなら我慢できると思っていたんだけれど、俺はもう無理だった。


 いや、鴫沢は何も求めない。デートに誘ってくるとかをするわけでもないし、弱味を良いことに強請るとか、犯罪を強制するとか、そういうこともまったくしない。

 じゃあ何をしていたかと言うと、俺達はただひたすらメールをしていた。校内でたまに行き会った時は何気ない話をしたし、メールでもやっぱりそんな何気ない話ばかり。しかも鴫沢から送ってくることはほぼ皆無の俺ペース。昨日のクイズ番組は見たか、来週のバラエティ撮ってくれ、ドラマの最終回どうなると思う ――と、そんな感じで。

 たまに様々のパシリに使われはしたけれど、それは大した事じゃなかった。やれジョウロを買って来いだの折り紙を買って来いだの謎の事を言われたけれど、料金と手間賃はもらえたし。まあ、釣り銭のはした金だったけれど。


 実に無害。

 実に不可解。


 何を求められるでもない、ってのは、何かとんでもない要求をされるんじゃないかという疑心暗鬼に繋がる。じわじわとその恐怖が広がり、一ヶ月目の今日、俺はとうとうそれに耐えられなくなり――鴫沢を呼び出した。思えば呼び出すとか、待ち合わせるとか、そんなことをしたのもこれが初めてだった。


 遠くから生徒の声が聞こえる、騒がしい昼休みの時間。俺の背中に微妙な冷や汗が伝っていることなんか知らずに、鴫沢は見上げてくる。単純に疑問そうに首を傾げる仕種は、普通に見れば、可愛い。のだと思う。俺は現在恐怖でそんなことを気にしていられないが。


「だから、狭川くんにお願いを聞いてもらうのが目的だけれど」

「つったって、別になんもしてないじゃん。普通に話すとか友達になるなんて簡単にできることだし、学校以外で顔合わることも別に良いらしいし」

「ただでさえ週五日会ってるんだから外で会う必要も無いじゃない?」

「そう、なん、だけど――――」


 だけど何故か恐ろしい何かを求められている気がする。でも停学は嫌だ、確実に進学に響く。別にそこまでして大学に行きたいわけじゃないけれど、色々煩いし、怒られるのは嫌だ。でも鴫沢に生殺しにされてるのも嫌だ。


 ブツ切れになった俺の言葉にくすくすと笑いを漏らした鴫沢は、髪をくるくる弄っていた手をブレザーのポケットに突っ込み、携帯電話を取り出した。白とピンクの色合いは、実に女の子らしい。折り畳み式のそれを開いて、それから、


 それを俺に投げ渡した。


「ッうわ!」


 俺は慌ててそれを受け取る。ストラップは一切付いていなくて、デコレーションシールがちまちまと貼ってあるだけだった。プリクラなんかも貼っていない。


「うん、アルバム見て」

「へ?」

「写真の」


 訳がわからず、だけど俺は言われたとおりにアルバムを選択した。ぱらぱらと見ていくと、データはこの三ヶ月ぐらいのものになっている。たまに古いのも混じっているけれど、それは猫や空だった。

 三ヶ月、二ヶ月、一ヶ月――あれ?

 俺のが無い。

 俺がここで撮られた写真は、そこに入っていない。


「ちなみにメモリーカードは一つしか持ってないから安心していいよ」


 ひょい、と掌の中から携帯電話は取り返される。見れば、鴫沢はいつの間にか階段の中程まで足を進めていた。少し近付いた距離に、俺は彼女を見る。大量の混乱の元に。


 鴫沢は笑った。


「一応お願いはちゃんと聞いてもらったしね。じゃ、今日から元通り、ってことで」


 だから、結局何がしたいんだってば。





「狭川、鴫沢と喧嘩したわけ?」

「へ?」

「や、最近話してるの見ないから?」

「いや、なんつーか」


 クラスメートに声を掛けられて、俺は歯切れ悪く返事をする。破局より一週間、俺達は一度も会話をしていない。けれど二ヶ月前までのように、通りすがりとして認識できるわけも無く、なんとなく視線は向けるんだけれど――鴫沢が俺を見たことは、一度も無い。


 結局鴫沢の意図が俺にはまるで分からない。また気持ちの悪い感覚があって、だから俺はこのところずっと鴫沢を観察し続けている。ちなみに、大部分は無意識に。何と言うか一度見付けると眼が離せない、例えば今とか。


 午後一番が芸術選択で美術だったものだから、俺は昼休み時間中に美術室に向かっている最中である。廊下は丁度中庭に面していて、見下ろせる形になっていた。中庭、とは言うものの、以前あった園芸部の名残である花壇が鬱蒼としているだけの場所だ。野生を見下ろす趣味は無いのだが、見覚えのある姿を見付けて思わず足を止めている。


 珍しい規定通りの制服と、ところどころ乱れて跳ねているのは明るく脱色した髪。そこに指を絡め、反対の手には何故かジョウロを持っている。と、水を撒いているらしい。野生の王国の世話をしているのは、言うまでもなく、鴫沢だった。付き合っている時はまるで知らなかったけれど、鴫沢は結構色々なことを影でしている。先日、図書室で教師の手伝いにか折り紙のわっか飾りを作っているのも見たし、ボランティア部の壁新聞に飾り枠を描いたりもしていた。


 案外良い奴である。考えてる事はまるで判らないけど。


 俺としては、鴫沢からああ宣言されて良かったと思っていた、はずだった。元々鴫沢の思考のぶっ飛び具合はちょっと怖かったし、そこそこ可愛いくて付き合いたいなーと思う女子も他に居たし。

 だけどいざ元通りと言っても、何事も無かったかのように全てが戻るわけでもない。眼で追ってしまうし、なんとなく、見える範囲にいるとホッとする感じがある。

結局あいつは何がしたいんだ、本当に。

 本当に、分からない。


 そんなわけで三度目の呼び出しは放課後だった。破局からは十日目。俺の『なれるまで目安メーター』は、確実に周期を短くしている。


「鴫沢、結局何がしたかったんだ?」

「んー」

「全然わかんないんだけど」

「簡単なことなんだけれどね」


 鴫沢は長いスカートの裾をひらりと広げ、俺に背中を向けた。指先は相変わらずにくるくると髪の先を弄っていて、俺は階段の上からそんな鴫沢のつむじを見下ろす。あ、不規則だ。と言う事はつむじが一つ以上あるんだな、うちの妹がそうだから。髪を纏めるのが大変だって言ってた気がする。だから毎朝洗面所の占領時間が長い。


「わたしこと鴫沢桂花は狭川志筑に片思いを三年ほど続けてきたのだけれど一向に存在を認識すらされていないから、とりあえず意識されてみようと思ったのでした」


 つむじが多いんじゃなくてつむじ曲がりだったのかよ。


「……いや、それ回りくどすぎるから!」

「いや、やっぱり最初は演出とインパクトが肝心だと思うし?」

「にしたって凝りすぎだろ!」

「うん、計画期間一ヶ月かな」

「長すぎるんだよ!」


 三度突っ込みを繰り返し、その後に俺はくつくつと笑いを漏らした。

 ああ、なんつーか、こういうタイプも悪くない。こんなありがちなことに、こんな回りくどい手をつかうなんて。

 飽きなくていい。

 今度はちゃんと三ヶ月付き合っても良いかな。

 続きはそれから考えてみよう。


「ところで狭川くん」

「え?」

「実はあの写メ、心霊写真だったんだよね。だから始末しちゃったんだけどさ、くっきりと白い塊が全体に掛かって」

「そりゃ煙草の煙だ!」

「という訳で煙草はやめた方がいいと思う」


 鴫沢桂花という女は本当に飽きない。

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