第39話 陸夜は覚悟を決めたい

 ひどいセリフを吐いた僕は、部活を放り出し、学校から逃げた。愚かだ。挽回するチャンスを自分から放り出すような行為だっていうのに。


「ただいま」


 姉さんは映像の編集をやっているらしかった。パソコンと睨めっこをしながら、しきりにマウスを動かしている。

「おかえりなさい。陸夜、浮かない顔してるわね。何かあったの」


「別に」


「強がってるときこそさ、姉さんに気軽に打ち明けてみなさいよ」


 突然「結婚が〜」とかいいだしたら、冗談と受け取られかねない。こんなときに、馬鹿にされたくない。


「自分じゃなくちゃいけない理由がわからない」


「哲学か何か? そんなの考えても仕方ないでしょ」


「いいから、何かヒントが欲しい」


「自分じゃなくちゃいけないのは、陸夜が陸夜だからよ」


「何いってんだよ姉さん」


「陸夜っていう存在自体が大事なの。細かい要素で分解すると、ありふれた特徴ばかりかもしれないけど、それをいくつも組み合わせれば陸夜という存在ができあがるの。だから、自分には特徴がないとかいったって無駄なのよ。すでに陸夜はオンリーワンなんだから」


 うまくいいくるめられたように思ってしまう。オンリーワンなんていわれたって、自分の上位互換みたいな存在はゴロゴロ存在しているわけで。


「ともかく、あんたがあんたのままでいればいいの。難しく考えないの。困ったときは本心に従って動くだけ。私はそうやって配信者になったんだから」


 本心に従って動いた結果、自己嫌悪に陥っているというのに。


「それは別の話だろ」


「イライラしないの。今日もう一回考えてみなさいね。もっとリラックス、リラックス」


 呼吸を整える。冷静になっていく。今の自分は、どうだ。今しなくちゃいけないのは、何だ。


 半端じゃないくらいダサい。結婚の重圧に耐え切れず、「鬱陶しい」なんて言葉まで吐き、敵前逃亡。


 自分から美麗のことを避けてしまったのに、今さら後悔するなんて。何やってんだよ。


「姉さん、今から行かなくちゃいけないところができた」


「今から? 気をつけなさいよ」


「わかってる」



 制服のまま走って家を出た。電車を一本見送ってしまったために、待ち時間が長かった。


 クヨクヨしてるんじゃねえよ。未来に向かっていく覚悟を決めて見せろ。


『次は、○○。お出口は、右側です』


 減速し、扉が開いた刹那。僕は走り出した。日が沈みかけて、奏流生が駅に向かって歩いている姿が目に映った。改札口を駆け抜けていく。


 奏流生がちらほら見える。最終下校時刻までに間に合うだろうか。それ以前に、美麗は

残っているだろうか。


 自分は陸上部だ。まだ飛ばせるだろ。体に鞭を打って走る。


 校門を通り抜けた。閑散としている。昇降口は空いていた。途中で教師と出会い、「こんな時間に何をしているんだ」といわれたが、適当な理由をつけてかわした。


 とにかく今は、屋上へと向かう。


 数段飛ばしの、無駄のない走り。息を切らしながらも、前に進む。屋上へのドアを乱雑に開ける。壁に力強く押し付け、その反動で外へ飛び出す。


「美麗! どこだ、美麗!」


「遅いよ、陸夜」


 あれから下手したら二時間はたっているというのに、彼女はいた。


「陸夜のこと、信じてよかった」


「もう一回、結婚の話をしてほしい」


「わかった」



 美麗は、雨宮グループの長男、雨宮光一の許嫁になったらしい。ちょうど、僕と付き合うことを決めてからすぐのことだったという。はじめから印象は最悪で、嫌だといっても下手に距離を詰められて不快だったらしい。


 許嫁という立場でありながら、美麗が僕と別れようとしなかったのは。本当に光一が嫌だったからだという。


 何度も我慢ならなくなり、僕に頼ってきたようだ。


 これまでに何度、ふたりの間ですれ違ったのだろうか。


「……こんなところかな」


「ありがとう」


 話が終わった頃には、「遠き山に日は落ちて」が流れていた。教師はここまで巡回しにくるだろうか。


「寒くなってきたな」


「うん」


「缶コーヒー、買おうか」


「私、苦いの無理だから。そんなのも知らないわけ」


「厳しいこというよな。二年間は会ってなかったんだぞ」


「そうだったね。あれ、自販機って扉開けてすぐのところだっけ」


「ああ。じゃあ、いってくる」


 ポケットに忍ばせておいた小銭を、自販機に突っ込む。本当はブラックコーヒーを飲みたかったが、美麗と同じものを飲みたいのでやめておいた。


「お待たせ」


「いつまで残るの、ここ」


「考えてない。とにかく今はココアだ」


 両手に持って冷えた手をあたためていたのをやめる。


「美麗、投げるぞ」


「ちょっと、もう少し優しく投げてよ」


「じゅうぶんやさしく投げたつもりだったんだがな」


 プルタブを勢いよく開け、口にココアを注ぎ込んだ。


「冷えた日のココアはうまいな。温かいうえに絶妙に甘い」


 一口飲んだら、缶に手を擦り付ける。



 しばらく沈黙が続いてしまった。


「あのさ、美麗」


「ん?」


「美麗のこと、やっぱり好きだ。ツンされても許せる。そんでもって、動きのすべてを閉じ込めたくなる」


「独占欲強いね。あとツンデレとかじゃないから、私」


「そうかもしれないな」


「ねえ。どんなカップルでも、極限状態で『一生添い遂げる覚悟がありますか』って尋ねたら、多くの人はイエスと答えられないと思うんだ。でも、陸夜はそこで負けずにイエスっていってくれたね」


 手元にあった缶コーヒーをグイッと一気飲みし、左の人差し指を美麗の方向にビシッとさす。


「完全に幸せにできるかわからないけど、美麗のことをよく知っているし。何度も喧嘩したけど乗り越えてきた。それを思い出したら、俺が幸せにしなくて誰がするって思ったんだ」


「自意識過剰でナルシストな陸夜って超キモい。まるで私の婚約者みたい」


「これには続きがあってだな────」


 ちょうど、「遠き山に日は落ちて」が流れ終わった。


 屋上のフェスのところまでまでいく。


「何してるの、陸夜」


 座っていたはずの美麗は、こちらに駆け寄る。


 僕は、フェンスに指をかけ、顔をできるだけ近づけて。


「俺は。笹倉美麗のことが、大好きだぁぁ!!」


 腹からの、駅ひとつブチ抜く声量を出す。


「やめてよ、恥ずかしい。それにバレたらどうするの」


「こんな気恥ずかしいことができるくらい、こっちは覚悟がついたってことさ」


「本当馬鹿なんだから……」


「これでようやくいえるよ────一生を共に過ごしたい。結婚しよう」


「ありがとう」


 監視の目をくぐり抜けて、校舎を出ていく。どうにか教師と出くわすことなく帰れそうだ。


「美麗、今日は遊園地でもいくか? テストも終わったんだしさ。午後は暇だろ」


「もし嫌だっていったらどうする?」


「ちょっと悲しいな」


「じゃあいってあげない」


「それはひどくないか?」

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