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 数日後、終業式の前日に真琴は神田君を屋上に呼び出した。

 ホームルームが終わり、帰り支度や部活に向かう人たちにわざと聞こえるように神田君に話しかけた。

 そして、無理やり連れ出すようなかたちで屋上に上がった。だから、正確には‘呼び出した’わけじゃないのだけれど。

 派手なパフォーマンスをしたかいは十分にあった。

 開け放した屋上の扉の影に、ことの顛末を覗こうと何人もギャラリーがいるのがわかった。

 本来なら二人の問題なのだから、放っておいて欲しい。と言いたいところだけど、今回ばかりはそうはいかない。

 噂話を強制的に終結させるためには、二人の間だけで決着をつけただけではだめ。

 その場面を他人に見てもらって、広めてもらわなければ意味がない。

「で、話って何だよ」

 気だるそうにそう言い放った神田君は、鋭い目つきで真琴を見据えた。

 不覚にも一瞬ドキリとさせられた。

 神田君のこんな表情は、今まで一度も見たことはなかったから。

 たじろいだ自分の心を立て直して、真琴は凛と話しかけた。

「例の噂、知らないわけじゃないわよね」

「まあな」

 ため息まじりに神田君はそう言った。

「よかったわ。それじゃ、はっきり聞くけど噂の真相は?」

「そんなこと聞くためにわざわざ連れ出したのか?」

「そう……だけど……」

 本音を言えば他にも理由はあるけれど、さすがにそれは言えない。

「大崎ってさ、もう少し頭のいいやつだと思ってたんだけど、勘違いしてたみたいだな」

「どういう意味よ」

「噂話の渦中の二人が、二人っきりで話してるところを見られたら余計に広まるだろ」

「それはたぶん大丈夫よ」

 今日ここで、この話には決着がつくから。と心の中でつぶやいた。

 含みを持たせたように言ったせいか、神田君は訝しげな顔を向けた。

「はあ? ……何の根拠があってそんなことが言えるんだよ」

「と、とにかく噂の真相を教えてよ」

 何だか段々本題から逸れていくような気がした真琴は、もう一度同じ質問を繰り返した。

「……それを知って、どうするつもりだ? 噂は噂だろ、その真相に何の意味があるんだよ」

「え……? ……意味……?」

 何を言ってるのか理解できなかった。

「大崎は噂の当事者だろ? 何で野次馬みたいなことを聞くんだよ」

「あ……」

 言われて初めて気づいた。

 何て馬鹿で的外れなことを聞いていたのか。

「そうね……確かにそうだわ……」

 自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。

 噂の真偽は最初から問題じゃなかったのだ。

 聞くべきことは一つ。

「私のこと、好きなの?」

 真琴は淀むことなく真っすぐに言った。

 二人の間に静寂が訪れる。

 ジリジリと照りつける太陽が暑い。

 この季節に屋上に出たのは間違いだったかもしれない。

 でもたぶん、木陰の下でもこの暑さはあまり変わらないのだろう。

 男子からの告白なんて初めてのことだったから。

 まるで屋上だけ時間が止まってしまったかのように静かだった。

 セミはうるさく鳴いているはずなのに。

 そろそろ部活も始まって、威勢のいい野球部のかけ声が聞こえてきてもいいはずなのに。

 何も言わず、表情一つ変わらない神田君を見つめていると真琴は少し不安になってきた。

 わりと大きな声で言ったつもりだったけど、聞こえていなかったのではないかと。

 ――あの――と言いかけた時、神田君は口を開いた。

「それ、今ここで答えなきゃだめなのか?」

「……うん、曖昧なままにしておきたくないのよ。迷惑な噂を二学期まで引きずりたくないし……」

「迷惑? …………最低だな……~~~~~~~……」

「え……何?」

 神田君のつぶやいた言葉はあまりに小声で、後半の部分は聞きとれなかった。

「お前、鏡で自分の顔見たことあるのか?」

「――――!?」

「噂なんか真に受けやがって。ハッ、馬っ鹿じゃねえの。俺がお前みたいなやつを好きになるわけねえだろ」

 向けられた悪意に気圧されて、息がつまる。

 言い返したいのに何も考えがまとまらない。

 吸い込まれるような瞳に睨まれたまま、真琴は唖然としていた。

「あの噂、誰かが間違えたんだろうな。ったく、迷惑なのは俺の方だ。せっかくだからここで訂正しておいてやるよ。俺は大崎真琴が、大っ嫌いだってな!」

 ぶっきらぼうにそう吐き捨てると、神田君は背を向けコマ送りの映像を見ているかのように校舎へ消えていった。

 神田君が視界から消えると、真琴は糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちた。

 荒くなった呼吸を整えながら、何が起こったのか冷静に思い返す。

 自分が考えていたのとは役割が逆になってしまったけれど、目的は達成できたと思う。

 決着がついたこの噂で盛り上がることはもうないだろう。

 しかし、それにしてもさっきの信じられないような光景は何だったのだろうか……。

 あんな神田君は見たことがなかった。

 ふと、クラスの女子たちが噂していたことを思い出した。

 ――神田君は女嫌い――か。

 それを聞いた時は信じられなかったし、納得もできなかった。

 でも、今はその噂の理由が痛いほどよくわかる。

 特別な感情を抱いていない、ただのクラスメイトとしてしか見ていなかった真琴でさえ、神田君の放った悪意は心に突き刺さった。

 女子に対して普段からあの態度で接していたとしたら……。

 それは、女嫌いの噂が立つ理由としては十分すぎる。

 ただ、神田君のことを考えると一つどうしても疑問が残る。

 今日屋上で話すまでは、真琴に対してあの態度を見せたことは一度もなかったから。

 そもそも、神田君が真琴のことを好きだという噂が広まった最大の理由は、そこにあったのではないだろうか。

 由紀子と美希は、明らかに真琴に接する時の神田君の態度が違うと言っていた。

 神田君を好きな人はもっとよく見ているだろうから、いっそう感じていたはず。

(どうして、私と話すときだけはあんなに普通だったのよ……)

 他人に誤解されるような行動をとっていたのは神田君の方だ。

(それなのに、あの態度は何?)

 抑えきれなかった感情が勝手に口をついて出た。

「私のことが嫌いなら、もっとわかりやすい態度をとりなさいよ!」

 空に向かって真琴は叫んだ。

 風が冷たく頬を撫でる。

 まだまだ夏の日差しは強く照らしていたのに。

 いつもは生温かい風も、なぜだか冷たく感じた。

 今まで、誰かに特別な感情を抱くことはなかった。

 けれど、今日クラスメイトの一人でしかなかった神田勇壱は、真琴の心に最も嫌いな男子として刻み込まれた。

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