夏(4) 殺人鬼
私は一人で暗い夜道を歩いていた。
他の客がいる前であんな話をして、ほとほと愛想が付きそうになる。
いつからだっけ、彼と付き合うようになったのは?
最初に声をかけたのは……。
アレ? 声をかけられた覚えがない。
私が彼に声をかけたの?
しばらく歩みを進めると電柱下のシルエットが、消えかかる街頭の明かりを避けるように隅へ隠れていたが、目を凝らせば一組の輪郭を
片方は背が高く、もうは片方は段になるように背が低い。
低い方は腰のあたりがワイングラスのように、くびれている。
男女のカップルだった。
私はシュウジ君とのケンカの余韻が腹に据えていたので、密着するカップルに嫌悪し、足早に過ぎさろうとする。
本当ならあの後、私とシュウジ君もアレくらいまで進んでいたはずなのにな……。
口を尖らせ目をそらしていると、壁を殴り付けるような鈍い音と共に、背の低いシルエットのてっぺんが消えた。
帰りの夜道を照らす光にボールのような物が転がり込み、こちらの足元まで来て止まる。
すぐ様それがなんなのか解ると、私はショックで息が止まり心臓が破裂しそうなほど、脈が早まった。
女性の頭部が転がって来たのだった。
顔の幼さと肌の張り具合から見て、私と同じ大学生。
横顔をアスファルトに寝かせた女性の頭部は、長い黒髪が触手の開いたクラゲのように地べたへ広がる。
女性の脳は完全に活動が停止していなかったのだろう。
生首の表情はしばしば歪み瞳が震動するように、目線が泳いでいた。
酸欠の魚が水面から顔を出して、泡を食うように口を開け広げを繰り返すが、生首の女性もそれと同じように口が小刻みに動く。
ヤダ、ヤダヤダヤダヤダヤダ!
なんなの?
本物の人の首?
次第に生首の生体反応が途絶え始め、動きが停滞して行くと焦点の定まらない瞳が、まぶたへ吸い付くように上がって白目を向いた。
女性の首はミイラのような顔を見せて、こと切れた。
私の震える足が身体を支えられず、膝から崩れ尻もちを付いた。
電柱の闇に隠れるもう一つの影。
女の首を切り落とした男は私への恐怖をあおるように、荒い息使いを聞かせた。
消えかかる街頭に入り込むと、薄っすらと姿を見せる。
上着のフードを被り顔を隠していて顔が解らない。
フードの男が着るシャツには女性の返り血がたっぷりと付着し、滲んでいた。
手には片腕で振り回せるほどの大きさの斧を持っていて、斧の刃から赤い液体が滴り落ちている。
斧で女の首を切り落としたのは明白。
今の現状を数式に置き換え解を導き出すまでもなく、明らかな身の危険を感じた。
私は立ち上がり服装の乱れを気にすることなく走りだした。
振り向くことなくひたすら足を走らせる。
殺人を犯した男の足音がゆっくり近づいてくる。
おかしい。
歩幅は走る私の方が大きいのに、男の足音が一定の距離を保っている。
まるで道を進まずペルトコンベアの上を走っているようだ。
私の足音をたどるノロマな歩幅が、走る速さを越えて一歩一歩近寄って来る。
――――逃げ切れない。
私はそう判断して角を曲がり、街頭の光が射し込まない電柱の陰へうずくまり姿を隠す。
息を殺した後に酷く後悔して、自分の機転の無さに血の気が引く。
こんな面積の狭い柱に身を潜めて、隠れたと言えるのか?
愚行に走った自分を呪った。
電柱を影がよぎると、男の背中が見えた。
お願い振り向かないで!
息を押し殺す私とは逆に、私へ存在を示すように荒い息使いを聞かせる男。
斧を持つ男は、ゆっくりと振り向き上から見下げるように、私へ視線を移す。
過ぎた恐怖は悲鳴すら忘れさせる。
私はただただフードで隠れ口元まで影で覆われた男の顔を、見ていることしかできなかった。
しゃがんだ私の顔の位置に斧がある。
もはや私は殺されたも同然。
顔に影が入り込んだシルエットの男が、うわ言のように呟いていた。
「アァ……ダカラ、シ、ハ……ウツク、シイ……」
バラバラの一文字を縫い合わせたような喋り方。
男はゆっくり身体を反転させて歩き始めた。
隠れた電柱を過ぎて角を曲がると、ドップラー効果で足音が小さくなり、遠ざかって行くのが解って安堵した。
きっと殺されると覚悟した。
何故か解らないが殺人を犯した男は、私へ兇器の斧を振り下ろさなかった。
見逃したの? なんの為に?
そうだ――――警察に電話。
手持ちのバッグからスマホを取り出し、かじかんだように震える指で110番へかけると、女性係員か応対した。
『はい、警察です。事故ですか? 事件ですか?』
「あ、あの、目の前に人が殺されて、どうしたらいいのか、わからなくて……」
『落ち着いて下さい。今、どちらにいますか?』
「えっと、場所は……」
気が動転していたので応対した係員へ状況が伝わったか不安になるが、電話口の彼女は『解りました。すぐに警察官を派遣します』と答えてくれた。
親身な対応をしてくれた女性係員のおかげで、精神が徐々に落ち着き始めた。
思考がある程度、回るようになるとさっきまでの恐怖体験が脳内で、再生される。
あ、あの男。な、何か言っていた。
(あぁ……だから死は美しくしい)
どこかで聞いた言い回し。
ふとある顔が頭に浮かんだ。
そうだ、彼――――彼に電話。
彼の声が聞きたい。
助けに来てほしい。
その腕で震える私の身体を抱き寄せて、血の気が引き冷えきった体温を温めてほしい。
番号、番号、番号…………。
いち早く恋い焦がれる彼の番号を探す為、スマホの液晶画面を指で激しく叩いた。
番号――――――――番号がない?
彼の電話番号だけない。
何で? どうして番号ないの?
どうしてぇ!?
パニックで混乱する思考の中、まるで頭を吹き飛ばされたような戦慄が脳内を駆け抜ける。
違う、番号は
彼? 彼って誰?
最初から私に恋人はいない。
一人でコンサートを聴いて一人で演劇を観た後に、バーへ寄った。
ただ、それだけ――――……。
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